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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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8/20

8杯目 地震は泣いていた


夜空には雲一つなかった。

満月の光が路地裏をぼんやりと照らし、小さな屋台の提灯が静かに揺れている。

ぐつぐつと煮える寸胴鍋の音だけが、夜の静けさに溶け込んでいた。

店主は暖簾を眺めながら伸びをする。

「今日は月がきれいだな。」

そう呟いた、その瞬間だった。

ゴゴ……

小さな揺れが屋台を襲った。

吊るされた提灯がゆらりと揺れ、丼がかたんと小さな音を立てる。

店主は驚く様子もなく、寸胴鍋を押さえた。

「おっと。」

揺れは数秒で治まる。

「珍しいな。」

そう言って空を見上げるが、風もなく、雲もない。

静かな夜だった。

「気のせいか……?」

そう思った矢先。

ゴゴゴ……

今度はさっきより少し大きな揺れ。

屋台全体がぎしっと軋み、暖簾が大きく揺れる。

店主は静かに立ち上がった。

「……来たか。」

その言葉と同時に、路地裏の奥から一人の少女が歩いてきた。

年は十歳くらい。茶色がかった長い髪は土埃で汚れ、ところどころ葉っぱが絡まっている。

服も泥だらけだった。裸足の足には細かな傷が無数についている。

少女が一歩踏み出すたびに、

ゴト……地面が小さく震えた。店主は苦笑した。

「そんなに落ち込むなよ。」

少女は驚いたように顔を上げる。

「……見えるの?」

「見えるさ。」

「……怖くないの?」

「別に。」

少女は少し困ったように笑った。

「普通は逃げるのに。」

「普通じゃねぇからな。」

店主は暖簾を持ち上げた。

「入れよ。」

少女は首を横に振る。

「だめ。」

「なんで?」

「わたしが近づくと揺れる。」

「店を壊しちゃう。」

店主は屋台を見回した。

「まだ壊れてねぇ。」

「でも……。」

少女が俯く。その瞬間。

ゴゴ……また地面が震えた。

少女は肩を震わせ、慌てて後ろへ下がる。

「ご、ごめんなさい!また揺らしちゃった……。」

店主は静かに少女へ近づく。そして頭をぽん、と軽く叩いた。

「謝るな。」

少女は目を丸くした。

「え?」

「腹減ってるだろ。」

少女のお腹が、ぐぅ、と小さく鳴いた。

恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。

「……。」

店主は笑った。

「ほら。」

少女はまだ迷っていた。

「でも……。」

「もし店が壊れたら?」

店主はにやりと笑う。

「その時はまた作ればいい。」

少女は思わず吹き出した。

「そんな簡単に……。」

「俺、屋台作るの得意だから。」

「本当に?」

「ああ。」

もちろん嘘ではない。

世界を創った創造主にとって、屋台一つ作るくらい朝飯前だった。

もっとも、本人はそんなことを口にしないが。

少女はゆっくりと屋台へ近付いた。一歩。

また一歩。そのたびに地面は小さく震える。

しかし店主は気にも留めない。少女は恐る恐る席へ座った。

「……壊れない。」

「だから言ったろ。」

店主は鍋へ向かった。

「今日は少し辛いぞ。」

「辛い?」

「担々麺だ。」

「たんたんめん?」

「食えば分かる。」

店主は中華鍋で挽き肉を炒め始めた。

ジュワッと音が響き、香ばしい匂いが広がる。

豆板醤の辛味。胡麻の香り。鶏ガラの旨味。真っ白な湯気が屋台いっぱいに広がっていく。

少女は思わず鼻をひくひくさせた。

「いい匂い……。」

「腹減ったか?」

「うん。」

「素直でよろしい。」

店主は笑いながら麺を茹でる。やがて真っ赤な担々麺が完成した。

白いすり胡麻が雪のように浮かび、小口ねぎが鮮やかな緑を添えている。

「お待ち。」

少女は丼を見つめた。

「きれい……。」

「冷める前に食え。」

「いただきます。」

恐る恐る麺をすする。次の瞬間。

「……あっつ!」

店主が吹き出す。

「猫舌か。」

「ち、違うもん!」

もう一口。今度はゆっくり。

辛さの後に胡麻の甘みが口いっぱいに広がる。

少女は目を輝かせた。

「おいしい……。」

「だろ?」

夢中になって麺をすすり続ける。食べるたびに表情が明るくなっていく。

最後のスープを飲み干す頃には、さっきまでの暗い顔はどこにもなかった。

「ごちそうさまでした。」

店主は静かに頷いた。

「それで。」

少女は少し緊張したように姿勢を正す。

「名前、聞いてなかったな。」

少女は少しだけ迷ってから答えた。

「わたし……。」

「地震。」

その瞬間。屋台の空気が、少しだけ静まり返った。

店主は驚かなかった。ただ、小さく頷くだけだった。

「やっぱりな。」

地震は俯く。

「……やっぱり、嫌いになる?」

店主は首を横に振る。

「まだ、お前の話を聞いてねぇ。」

その言葉に、地震は目を見開いた。

そして小さく息を吸い、ゆっくりと話し始める。

「わたしね……。人を……たくさん泣かせてきたの。」

その声は震えていた。

店主は何も言わず、地震の少女を見つめていた。

地震は膝の上で両手を強く握りしめる。

「わたしね……。人をたくさん泣かせてきたの。」

その声は今にも消えてしまいそうなほど小さかった。

「家を壊して……。町を壊して……。家族を失わせて……。

ニュースでは”災害”って呼ばれて……。みんな、わたしのことを怖いって言う。」

地震は俯いたまま続ける。

「本当は、揺らしたくなんてない。でも、止められないの。気がついたら揺れてる。

誰かが泣く。誰かが恨む。誰かがわたしを憎む。」

一粒の涙がぽたりと膝へ落ちた。

「だから……。もう、消えてしまいたい。」

屋台の中が静まり返る。

店主はゆっくりと湯呑みにお茶を注ぎ、地震の前へ置いた。

「飲め。」

地震は驚いたように顔を上げる。

「え……?」

「泣いた後は喉が渇くだろ。」

地震は小さく頷き、お茶を一口飲んだ。

その温かさに、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜ける。

店主は静かに口を開いた。

「お前は、どうしたい。」

地震は少し考えたあと、小さく答えた。

「誰も傷つけたくない。誰にも泣いてほしくない。だから……。

揺れない世界になればいい。」

店主は頷いた。

「そうか。」

そして、地震が食べ終えた丼をそっと前へ寄せた。

「見てみろ。」

地震はスープを覗き込む。黄金色のスープは静かに波紋を広げる。

……しかし。何も映らない。

「……あれ?」

地震は何度も覗き込む。店主も眉をひそめた。

「おかしいな。」

スープは鏡のように澄んでいる。

だが、未来は映らない。前にもこんなことがあった。

店主はもう一度スープを見る。

それでも何も映らない。

「……まただ。」

「え?」

「未来が映らねぇ。」

地震は不安そうに店主を見る。

「わたし……未来もないの?」

店主は首を横に振る。

「違う。」

少し考え込み、小さく笑った。

「そうか。」

「お前は”人”でも”神”でも”妖怪”でもない。」

「事象そのものか。」

地震は首を傾げる。

「じしょう?」

「雨が降るように。風が吹くように。お前は世界そのものの働きなんだ。」

店主は静かに空を見上げた。

「未来を選ぶ存在じゃない。未来を支える存在。」

地震は黙って聞いている。

店主は続けた。

「地面はな。ずっと動いてる。

山も。海も。大陸も。全部。止まったら世界は死ぬ。」

地震は目を丸くした。

「わたしが……世界を支えてる?」

「ああ、お前がいるから山ができる。島が生まれる。温泉が湧く。豊かな土も生まれる。」

地震は初めて聞く話だった。

「でも……人が死ぬ。」

その一言だけは消えなかった。

店主は静かに頷く。

「そうだ。」

「だから辛い。」

「でも、お前だけのせいじゃない。」

地震は顔を上げる。

「人は昔から地震と生きてきた。揺れることを知って家を建て。逃げる方法を考え。備えることを覚えてきた。」

店主は優しく笑う。

「自然は敵じゃねぇ。付き合う相手だ。」

地震は涙をぬぐった。

「それでも……嫌われる。」

店主は少しだけ考えてから言った。

「嫌われる役ってのは、つらい。でもな、誰かに嫌われることと、悪であることは違う。」

その言葉に地震は息を呑んだ。

「お前は誰かを苦しめるために存在してるんじゃない。世界を動かすために存在してる。

それを忘れるな。」

地震は何も言えなかった。

涙だけが静かに流れていた。

しばらくして、ようやく口を開く。

「ありがとう。そんなこと言ってくれたの……初めて。」

店主は照れくさそうに鼻をかく。

「柄じゃねぇけどな。」

地震はくすっと笑った。その笑顔を見て店主も笑う。

「そっちの方が似合う。」

地震は立ち上がった。

「また来てもいい?」

「もちろん。」

「次は相談じゃなくても?」

「ラーメン食いたくなったら来い。」

地震は深く頭を下げた。

「ありがとう。」

暖簾をくぐり、ゆっくりと路地裏を歩いていく。

不思議なことに、今度は地面は揺れなかった。

店主はその後ろ姿を見送りながら、小さくつぶやく。

「……少しは肩の荷が下りたみたいだな。」

そう言って丼を片付けようとした、その時だった。

何も映らなかったはずのスープに、小さな波紋が広がる。

店主は動きを止めた。

波紋は一度だけ揺れると、幼い少女の笑顔を映し出した。

それは、先ほどまで泣いていた地震の笑顔だった。

未来ではない。過去でもない。

ただ今、この瞬間の笑顔。店主は少しだけ目を細めた。

「……そういうことか。」

「お前には未来じゃなく、“今”が映るんだな。」

誰に聞かせるでもなく呟くと、スープは元の黄金色へ戻っていった。

屋台の提灯が夜風に揺れる。

その灯りは、今日もまた迷える誰かを照らすように、静かに路地裏を照らし続けていた。



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