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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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19/20

19杯目 ラーメン屋は世界を創った


夜の路地裏。

屋台の赤提灯だけが、静かに揺れている。

客はいない、虫の声も聞こえない。

まるで世界そのものが、息を潜めているようだった。

店主はいつものように寸胴鍋の蓋を開ける。

立ち上る湯気は温かい。

「……今日も、いい出来だ。」

そう呟いた瞬間だった。

コン――。

路地裏の奥から、小さな足音が聞こえた。

一歩。また一歩。

ゆっくりとこちらへ近付いてくる。

店主は振り返らない。

「来ると思ってた。」

足音が止まる。

暖簾の向こうに立っていたのは、一人の人物だった。

白い着物、長い黒髪。年齢も性別も分からない、不思議な姿。

その顔は店主とよく似ていた。

いや――

鏡に映したように、同じ顔だった。

「久しぶり。」

その人物は穏やかに笑う。

店主も苦笑した。

「何年ぶりだ?」

「世界を創ってから、一度も会ってない。」

「そうだったな。」

その人物は静かに席へ座る。

「ラーメンを食べに来た。」

「お前がか?」

「うん。」

店主は肩をすくめる。

「神様も腹減るんだな。」

「減るよ……心が。」

静かな沈黙が流れた。

店主は何も聞かず、鍋へ向かう。

「今日は何にする?」

「君が一番得意なやつ。」

「注文が難しいな。」

店主は笑いながら麺を茹で始める。

鶏ガラ、豚骨、煮干し、昆布。

今まで積み重ねてきたすべての技術を注ぎ込む。

醤油を合わせ、香味油を垂らし、炙ったチャーシューを乗せる。

最後に刻みねぎを散らした。

「できた、創造ラーメン。」

「ありがとう。」

白い着物の人物は箸を持つ。

一口。

静かに麺をすする。

その瞬間、目を閉じた。

「……おいしい。本当に世界で一番。」

店主は照れくさそうに笑う。

「褒めても何も出ねぇぞ。」

「本当のことだよ。」

その人物は最後の一滴まで飲み干した。

「ごちそうさま。」

店主は空になった丼を受け取る。

「それで、今日は何しに来た?」

白い着物の人物は店主を真っ直ぐ見つめる。

「君を迎えに。」

店主の手が止まる。

「……そうか。時間か。」

「うん。」

静かな返事だった。

店主は笑う。

「まだ少し早い。みんなには笑っていてほしい。」

その人物は悲しそうに微笑んだ。

「優しいね、昔から。」

店主は首を振る。

「違う。ただ世界が好きなんだ。」

その言葉を聞き、白い着物の人物は目を閉じる。

「覚えてる?世界を創った日のこと。」

店主は小さく笑った。

「忘れるわけねぇ。」

その瞬間、スープの残る丼が静かに光り始めた。

黄金色の波紋が広がる。

しかし映ったのは未来ではなかった。はるか昔の記憶。

何もない真っ白な空間。光も闇もない、時間さえ存在しない場所。

そこに、一人ぼっちの神が座っていた。

それが店主だった。

誰もいない、話し相手もいない、笑う者もいない、泣く者もいない。

「……退屈だ。」

初めて漏らした本音。

その一言で、小さな光が生まれる。

光は星になった、星は空になった、空は海になった、海は大地になった。

木々が芽吹き、風が吹き、命が生まれる。

人間、妖怪、神。

様々な命が笑い、泣き、恋をし、喧嘩をする。

店主はその様子を遠くから見ていた。

「これが……世界。」

誰もが幸せそうだった。

だから店主は決めた。

「正体は隠そう。一人のラーメン屋として…みんなと話そう。」

そうして、小さな屋台を作った。

最初の客は、路地裏で倒れていた座敷わらし。

次は貧乏神、その次は疫病神。雪女。人間。河童。

森の神、恋愛の神、平和の神、時の神。

一杯のラーメンを通して、たくさんの命と出会った。

映像はゆっくり消えていく。

店主は懐かしそうに笑った。

「楽しかった。」

白い着物の人物は静かに尋ねる。

「後悔は?」

店主は即座に首を振る。

「ねぇな…全部。俺の宝物だ。」

その言葉と同時に――

パキッ。

店主の右手に走っていた光のひびが、大きく音を立てた。

袖の下から光が漏れる。白い着物の人物は目を伏せる。

「もう限界だ。」

店主はひびを見つめ、小さく笑った。

「……ああ。分かってる。」

その時、路地裏に冷たい風が吹き抜ける。

提灯の火が、大きく揺れた。店主は静かに暖簾を見つめる。

「でも、あと一日だけ。あと一日だけ、ラーメン屋でいさせてくれ。」

白い着物の人物はしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと頷く。

「分かった、最後の一日。君の好きなように…」

店主は嬉しそうに笑う。

「ありがとな。」

その夜誰も知らない場所で世界を創った神は、最後の一日を迎えようとしていた。

路地裏に静かな風が吹く。

提灯の火は、まるで命そのもののように小さく揺れていた。

店主と白い着物の人物は、しばらく何も話さなかった。

鍋の中ではスープが静かに音を立てている。

その音だけが、この世界がまだ生きている証のようだった。

やがて白い着物の人物が静かに口を開く。

「……本当に、後悔はない?」

店主は鍋を見つめたまま笑った。

「しつこいな。」

「大事なことだから。」

店主は一度だけ空を見上げる。

夜空には、人には見えない無数の亀裂が走っていた。

まるでガラス細工が壊れる寸前のようだった。

「後悔はねぇよ。ただ……一つだけ心残りはある。」

白い着物の人物は静かに耳を傾ける。

「座敷わらしだ。」

「え?」

「あいつには、何も話してねぇ。」

「貧乏神も、雪女も、河童も、森の神も、恋愛の神も、平和の神も、時の神もみんな笑って帰っていった。だから最後まで笑っていてほしい。」

白い着物の人物は悲しそうに微笑んだ。

「君らしいね。」

店主は照れくさそうに頭をかく。

「泣き顔は苦手なんだ。」

その時だった。パリン――。

店主の左腕にも光のひびが走る。

今度は隠しきれなかった。

袖が裂け、その下から眩い光が漏れ出す。

まるで身体が光になって崩れ始めているようだった。

白い着物の人物が立ち上がる。

「もう駄目だ。世界を維持できない。今なら、まだやり直せる。」

店主は静かに首を横へ振る。

「まだだ。」

「……どうして?」

「約束したから。」

「約束?」

店主は懐かしそうに笑った。

「『また来る』って、みんな言って帰っていった。俺はラーメン屋だ。客を待たねぇ店なんて、店じゃねぇ。」

白い着物の人物は目を閉じた。

何も言えなかった。

その言葉が、あまりにも店主らしかったから。

その時――チリン。

暖簾の鈴が鳴った。

店主も白い着物の人物も同時に入口を見る。

「こんばんはー!」

元気な声が路地裏に響く。

暖簾をくぐってきたのは、座敷わらしだった。

その後ろには雪女、河童、森の神、恋愛の神、平和の神、時の神。

そして、第五杯で出会った人間の青年、第十一杯で出会った中年の男性までいた。

屋台の前は、あっという間に賑やかになる。

店主は目を丸くした。

「……なんだ、お前ら。」

座敷童は笑顔で胸を張る。

「今日はね!みんな誘ってきたの!お兄ちゃんのラーメンが食べたくて!」

店主は苦笑した。

「席、三つしかねぇぞ。」

「順番に待つ!今日は朝までいるから!」

雪女も笑う。

「久しぶりに味噌ラーメンをいただきたいですわ。」

河童が腕を組む。

「今日は醤油だな。」

恋愛の神は笑いながら言う。

「わたしは塩!」

森の神は静かに頭を下げる。

「私は何でも。」

平和の神は嬉しそうに笑う。

「おすすめで!」

時の神だけは店主を静かに見つめていた。

その瞳には涙が浮かんでいる。

しかし、何も言わない。

店主も何も言わない。

二人だけが真実を知っていた。

店主は大きく息を吸う。

「……ったく。今日は忙しくなりそうだ。」

鍋に火を入れる。湯気が立ち上る。

いつもと同じ景色。いつもと同じ匂い。

店主は笑った。

「ほら、注文聞くぞ。一人ずつだ!」

「はーい!」

笑い声が路地裏いっぱいに広がる。

店主は一杯一杯、心を込めてラーメンを作る。

雪女には味噌ラーメン。

河童には昔ながらの醤油ラーメン。

森の神には山菜を使った塩ラーメン。

恋愛の神には彩り豊かな柚子塩ラーメン。

平和の神には優しい鶏白湯。

時の神には、初めて来た日と同じ特製ラーメン。

そして座敷わらしには――。

「ほら。バター味噌だ。」

座敷童は満面の笑みになる。

「やったー!やっぱりこれ!」

みんなが笑う。

誰も気付いていない。

店主の身体が少しずつ光になっていることを。

白い着物の人物だけが、その姿を静かに見つめていた。

店主は次々とラーメンを作り続ける。

「うまい!」

「今日も最高!」

「また食べに来ます!」

その言葉を聞くたびに、店主は嬉しそうに笑った。

「いつでも来い。」

その返事に、時の神だけが静かに目を伏せる。

(その約束は……。)

胸の中で言葉を飲み込んだ。

宴も終わりに近づいた頃、店主は空を見上げる。

亀裂はもう夜空全体を覆っていた。

(……いよいよか。)

誰にも気づかれないよう、小さく息を吐く。

そして心の中で、静かに呟く。

(ありがとう。みんなのおかげでこの世界は、本当に幸せだった。)

その瞬間。

世界のどこかで、何かが砕けるような音が響いた。

パリン――。

誰もその音には気付かない。

ただ一人、時の神だけが顔を上げる。

懐中時計の針は、静かに十二時を指していた。

店主はそっと暖簾を見つめる。

「……最後の客が来るな。」

その言葉に、時の神がゆっくりと目を見開く。

最後の客。

それは、誰なのか。

路地裏の奥から、一つの足音が近づいてくる。

静かに、ゆっくりと。

世界の終わりを告げるように。


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