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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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18/20

18杯目 時の神様は終わりを知っている


夜の路地裏は、妙な静けさに包まれていた。

風は吹いている。提灯も揺れている。

だが、時間だけが止まってしまったかのように、何も音がしない。

店主は暖簾を整えながら、小さく空を見上げた。

「……今日はいよいよか。」

その時だった。

カチ、カチ、カチ――。

静かな路地裏に、時計の秒針だけが響き始める。

音はゆっくり近付いてくる。

しかし姿は見えない。やがて屋台の前で、その音が止まった。

「こんばんは。」

暖簾の向こうから現れたのは、一人の青年だった。

年齢は二十代前半ほど。漆黒の髪に、金色の瞳。

黒い和服の上から灰色の羽織を羽織り、胸元には古びた懐中時計を下げている。

表情は穏やかだが、その瞳だけは何千年もの時を見続けてきたような深い色をしていた。

店主は青年を見るなり、小さく笑った。

「珍しい客だ。」

青年も静かに微笑む。

「あなたが噂のラーメン屋ですか。」

「そういうお前は。」

「時の神です。」

店主は一瞬だけ目を細める。

「なるほど。だから時計の音か。」

青年は懐中時計を撫でる。

「癖みたいなものです。」

店主は椅子を引いた。

「座れ。」

青年は静かに腰を下ろす。店主は何気なく青年を見る。

「随分疲れた顔してるな。」

青年は苦笑した。

「神様にも疲れることはあります。」

「そうか。」

店主はそれ以上聞かなかった。

少しの沈黙。やがて青年が口を開く。

「店主さん。」

「今日は相談をしに来ました。」

「珍しく素直だな。」

「ええ。」

「時間は、あまり残っていませんから。」

その一言に、店主の手が一瞬だけ止まる。

だがすぐに笑って誤魔化した。

「まずは飯だ。今日は何食べる?」

青年は少し考えた。

「あなたが最後に作りたいラーメンを。」

店主は思わず吹き出した。

「最後って縁起でもねぇ。」

「失礼しました。」

青年は少しだけ頭を下げる。

店主は笑いながら鍋へ向かった。

「じゃあ全部乗せだ。」

醤油、塩、味噌。

三つの出汁を少しずつ合わせる。

豚骨、鶏ガラ、煮干し、昆布。

それぞれが喧嘩しないよう、絶妙な加減で調和させる。

チャーシューは二種類、炙り豚と低温調理した鶏。

煮卵、九条ねぎ、白髪ねぎ、海苔。最後に柚子をほんの少し。

湯気は金色に輝いて見えた。

「ほら、特製創作ラーメンだ。」

青年は目を細める。

「……美しい。」

「冷める前に食え。」

「いただきます。」

青年は静かに箸を持つ。

一口スープを飲んだ瞬間。

その表情が初めて崩れた。

「……こんな味…初めてです。時間まで止まりそうですね。」

店主は笑った。

「それはお前の担当だ。」

青年も思わず笑う。

静かな夜。

二人だけの笑い声が路地裏へ響いた。

青年は最後まで一滴残さず飲み干す。

「ごちそうさまでした。」

店主は空になった丼を受け取る。

「さて。」

「相談だな。」

青年は懐中時計を取り出した。

時計の針は、あと数目盛りで十二時を指そうとしている。

「店主さん。」

「私は未来を見る神です。」

「そうか。」

「だから知ってしまいました。」

青年は店主を真っ直ぐ見つめる。

「もうすぐ。」

「この世界の時間が終わります。」

屋台に沈黙が落ちた。

それでも店主は笑っていた。

「……それで?」

青年は驚く。

「驚かないんですか。」

「まあな。」

青年はゆっくり拳を握る。

「私は未来を変えようとしました。何千回も何万通りも。ですが、すべて同じ結末でした。世界は終わります。必ず…」

店主は静かに目を閉じた。

「そうか。」

その返事だけだった。

青年は苦しそうに続ける。

「だから教えてください。どうすれば、世界を救えますか。」

店主はしばらく黙っていた。

そして空になった丼を青年の前へ静かに置く。

「その前にお前自身の未来を見てみろ。」

青年は静かに頷いた。

黄金色のスープに、小さな波紋が広がっていく。

その水面に映し出された未来を見た瞬間、時の神の表情が凍り付いた。

「……そんな…嘘だ……。」

その未来には、滅びゆく世界の中で、一人だけ泣きながら立ち尽くす時の神自身が映っていた。黄金色のスープは静かに揺れていた。

時の神は、息をすることすら忘れたように丼の中を見つめる。

映し出されていたのは、誰もいない世界だった。


━━空は割れ、大地は崩れ、海は静まり返っている。

世界から色という色が失われ、灰色だけが広がっていた。

その中心に、一人の青年が立っている。

時の神自身だった。

懐中時計を両手で抱きしめ、涙を流している。

「間に合わなかった……また……また救えなかった……。」

青年は崩れ落ちる。その声は誰にも届かない。

世界にはもう、聞いてくれる者がいなかった。

その時だった。

灰色の世界の向こうから、一人の人物が歩いてくる。

割烹着姿の、小さなラーメン屋の店主。

「店主さん……!」

時の神は思わず声を上げる。だが、未来の店主は振り返らない。

静かに歩き、青年の前で立ち止まる。そして穏やかに笑った。

「泣くな。」

青年は何度も首を横に振る。

「でも…世界が!みんなが!あなたまで……!」

未来の店主は空を見上げる。

ひび割れた空から、無数の光が落ちてきていた。

まるで星が砕け散っているようだった。

「世界ってのはな。」

店主は静かに呟く。

「いつか終わる。始まりがあるものには、必ず終わりがある。」

青年は震えながら叫ぶ。

「だったら!どうして世界を創ったんですか!」

その瞬間だった。

店主はほんの少しだけ寂しそうに笑う。

「……。」

何かを答えようと口を開く。

しかし、その声は聞こえない。

世界そのものが崩れ始め、景色は白い光に包まれていく。

最後に映ったのは――

店主が青年へ向かって優しく笑う姿だった。

そこで映像は途切れた━━


スープは静かに元の黄金色へ戻る。

屋台には重い沈黙が流れる。時の神は肩を震わせていた。

「どうして……どうして、笑えるんですか。」

店主は黙って湯呑みにお茶を注ぎ、青年の前へ置く。

「飲め。」

青年は震える手で湯呑みを持つ。

「私は未来を見る神です。未来は変えられません。何度見ても、何度やり直しても世界は終わる。なのに……。」

青年は店主を見つめる。

「あなたは、少しも絶望していない。」

店主は静かに笑う。

「絶望してねぇわけじゃねぇ怖いさ。世界が終わるなんて誰だって怖い。」

「じゃあ!」

青年は立ち上がる。

「どうして諦めないんです!」

店主はゆっくりと青年を見上げた。

その瞳は、どこまでも穏やかだった。

「一つ聞く。お前、未来しか見てねぇだろ。」

青年は言葉を失う。

「未来が終わる、だから今を諦める。それじゃ今日笑ってる奴らに失礼だ。」

青年は何も言えなかった。店主は続ける。

「明日終わるかもしれないからって今日の飯を食わねぇのか?今日笑わねぇのか?

違うだろ。」

青年の瞳から涙が零れる。

「でも……救えない。」

店主は優しく笑う。

「全部はな。」

「全部……?」

「神様でも世界全部は救えねぇ。だから目の前の一人を救う。一杯のラーメンで、一言の言葉で。それで十分だ。」

青年は震える声で尋ねた。

「あなたは……どうしてそんなことが言えるんですか。」

店主は少しだけ困ったように笑った。

「長生きしてるからかな。」

青年はその笑顔を見つめる。

そして、ようやく気付く。

店主の身体から、かすかに光が漏れていることに。

袖の隙間、首元、指先。

まるでガラスに入ったひびのように、細い光が少しずつ広がっていた。

「店主さん……!」

青年は立ち上がる。

「その身体……!」

店主は静かに袖を直した。

「見えたか。」

「あなたは……世界と繋がっている。」

店主は答えない。

青年は懐中時計を強く握り締める。

「違う…あなたが世界なんだ。」

静寂が流れた。

店主は少しだけ目を閉じる。

「さすが時の神だ。」

青年は息を呑む。

「やっぱり……。」

店主は苦笑した。

「誰にも言うなよ。みんなにはただのラーメン屋でいたい。」

青年の目から涙がこぼれる。

「そんな……こんな状態なのにどうして笑っていられるんですか。」

店主は鍋の湯気を見つめた。

「笑ってねぇと、みんなが安心してラーメン食えねぇだろ。」

その言葉に、青年は顔を覆って泣き崩れた。

「私は未来しか見ていませんでした、終わりばかりを。今日を見ていなかった。」

店主は静かに頷く。

「それがお前の弱さだ。でも、今日から変われる。」

青年は涙を拭き、ゆっくりと立ち上がる。

「はい。私は残された時間を見ます。未来ではなく、今を。」

店主は満足そうに笑った。

「それでいい。」

青年は深く頭を下げる。

「ありがとうございます……創造主様。」

その呼び名に、店主は少し照れくさそうに頭をかいた。

「その呼び方はやめろ。今はラーメン屋だからな。」

二人は小さく笑い合う。

しかし、その笑顔の裏で、懐中時計の針は静かに進んでいた。

カチッ。

十二時まで、あとわずか。

時の神はその音を聞き、静かに屋台を後にする。

暖簾をくぐる直前、振り返った。

「店主さん。みんなに伝えなくていいんですか。」

店主は首を横に振る。

「まだ早い…最後まで笑っていてほしい。」

時の神は何も言えず、深く一礼した。

「……必ず。あなたの願いを繋ぎます。」

「ああ。」

青年が姿を消すと、店主は一人、夜空を見上げる。

空の亀裂は、もう誰の目にも見えないほど大きくなっていた。

店主は静かに呟く。

「さて…そろそろ、本当の客が来る頃だな。」

その瞬間、路地裏の奥から、懐かしい気配がゆっくりと近付いてくる。

それは、この世界を創った存在自身の足音だった。


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