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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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17/20

17杯目 平和の神様は守れない平和を知る


夜の路地裏は、不思議なほど静かだった。

風は吹いている、提灯も揺れている。

それなのに、虫の声が一つもしない。

店主は寸胴鍋の前で腕を組み、静かに空を見上げた。

「……今日は嫌な静けさだな。」

そう呟いた時だった。

「店主さん!」

聞き慣れた元気な声が路地裏に響く。

暖簾をくぐってきたのは、白い羽織をまとった少年神だった。

以前よりも少し背が伸び、表情もどこか凛々しくなっている。

店主はその姿を見て笑う。

「久しぶりだな。」

「はい!」

「ちゃんとラーメンを食べに来ました!」

「相談じゃなくて?」

少年神は照れくさそうに笑った。

「……相談もあります。」

「だろうな。」

店主は笑いながら椅子を引く。

「座れ。」

少年神は勢いよく座った。

「前より落ち着いたな。」

「本当ですか!」

「前は椅子ごと転びそうだった。」

「あれは忘れてください!」

二人は顔を見合わせて笑う。

その笑い声が静かな路地裏に優しく響いた。

店主は鍋へ向かう。

「今日は何にする?」

「おすすめで!」

「相変わらずだな。」

今日は鶏白湯ラーメンにすることにした。

じっくり炊いた鶏ガラスープ、白く濃厚なスープに細麺、炙った鶏チャーシュー、青ねぎ、

半熟味玉。最後に黒胡椒をひと振り。

「ほら、今日は鶏白湯だ。」

少年神は目を輝かせる。

「わぁ!いただきます!」

勢いよく麺をすすり、思わず笑顔になる。

「おいしい!前よりもっとおいしいです!」

「腕は落ちてねぇらしい。」

店主も少し嬉しそうに笑った。

少年神は最後まできれいに食べ終え、丼を両手で返す。

「ごちそうさまでした!」

「それで。」

店主はお茶を注ぐ。

「今回は何があった?」

少年神の笑顔が静かに消えた。

「最近……世界中で争いが増えているんです。」

店主は黙って耳を傾ける。

「人間だけじゃありません。妖怪も神様同士も。今までなら話し合えた人たちまで、突然怒り出したり、悲しみ続けたり。どうしても止められないんです。」

店主は表情を変えなかった。

「止めようとしたのか。」

「はい。でも…」

少年神は拳を握る。

「誰も悪い人じゃないんです。それなのに、少しずつ心がすれ違っていく。まるで…世界そのものが壊れていくみたいで……。」

店主は一瞬だけ目を閉じた。しかし、すぐに笑顔を作る。

「そうか。」

少年神は気付かなかった。

けれど、その笑顔はどこか寂しかった。

「それだけじゃありません。」

少年神は続ける。

「森の神様の森も、海の神様の海も。少しずつ元気がなくなっています。恋愛の神様も最近、人の心が冷たくなったって。」

店主は何も答えない。

「店主さん。何か知っていますよね?」

静かな沈黙が流れた。

店主は少し笑う。

「ラーメン屋だぞ。そんな大層なことは知らねぇ。」

「……そうですよね。」

少年神は納得したように笑う。

だが、その胸には小さな違和感が残った。

店主は空になった丼を少年神の前へ置く。

「未来を見てみるか。」

少年神は静かに頷いた。

「はい。」

黄金色のスープに、小さな波紋が広がっていく。

その水面に映し出されたのは、大きな街だった。

人も妖怪も神も、一緒に暮らしている平和な街。

しかし、その空には、誰にも見えない黒い亀裂が静かに広がっていた――。

黄金色のスープに広がった波紋は、やがて一つの世界を映し出した。

平和の神様は静かに息を呑む。

そこには、人間と妖怪、神々が笑い合いながら暮らす大きな街があった。

市場では人間と河童が魚を売り合い、雪女が子どもたちと雪遊びをしている。

森の神様は子どもたちに木の実を配り、恋愛の神様は公園で照れくさそうな二人を見守っていた。

「……平和だ。」

少年は思わず笑みをこぼした。

「みんな笑ってる。」

店主は何も言わず、その景色を見つめている。

しかし、その空には一本の細い黒い線が走っていた。

最初は髪の毛ほど細い亀裂だった。

だが、時間が経つにつれその亀裂はゆっくりと広がっていく。

誰も気付かない、笑い声は続く、祭りも開かれる、子どもたちは走り回る。

それなのに、空だけが少しずつ壊れていく。

「……あれ。」

少年神が小さく呟く。

「空が……。」

次の瞬間だった。

パキン――。

ガラスが割れるような音が世界中へ響いた。

空の亀裂が、一気に大きく広がる。

その瞬間。

森の木々が一斉に葉を落とした。海は色を失い、波が止まる。

空を飛んでいた鳥は羽ばたくことをやめ、地面へ降り立った。

街の時計は、すべて同じ時刻で止まる。

「何……これ……。」

平和の神様は立ち上がりそうになる。映像は止まらない。

人々は次第に笑顔を失っていく。怒っているわけではない、悲しんでいるわけでもない。

ただ、何か大切なものを忘れてしまったような表情だった。

親子が向かい合う、恋人同士が見つめ合う、友人同士が話している。

それでも、その瞳には光がない。

「どうして……。」

少年神は震える声で呟く。

その時、一人の幼い少女が転んだ。

膝を擦りむき、泣き出す。だが、誰も駆け寄らない。助けたいと思っている。

それなのに、誰も動けない。まるで世界そのものから、「誰かを想う心」が少しずつ失われているようだった。

「やめて……。」

少年神は拳を握る。

「お願いだから……。」

その願いも届かない。

やがて空の亀裂は街全体を覆い尽くし、世界は静かに白い光へ包まれていった。

――景色は消えた。


スープは静かに元の黄金色へ戻る。

屋台には重い沈黙が流れていた。平和の神様は丼を見つめたまま動けない。

「……あれが。未来なんですか。」

店主はすぐには答えなかった。

しばらくして、小さく口を開く。

「未来は変わる。だから、決まった未来じゃねぇ…でも、可能性の一つではある。」

少年神は俯く。

「ぼくには止められません。平和の神なのに誰も守れない。」

その声は震えていた。

店主は温かいお茶を注ぎ、少年神の前へ置く。

「飲め。」

少年神は両手で湯呑みを包み、一口飲む。

少しだけ肩の力が抜けた。店主は静かに話し始める。

「前に言ったこと、覚えてるか。」

「……争いをなくすことが平和じゃない、ですよね。」

「そうだ。」

「じゃあ、今度はもう一つ教えてやる。」

少年神は顔を上げる。

「平和ってのは、守るものじゃねぇ。」

「え……?」

「育てるものだ。」

少年神は目を瞬かせる。

店主は鍋の湯気を見つめながら続けた。

「木を植えたら、次の日には森にならねぇ。毎日、水をやって、日を浴びて、長い時間をかけて育つ。平和も同じだ。一人の神様が守れるほど、世界は小さくねぇ。」

少年神は静かに聞いていた。

「だから、お前は。世界全部を守ろうとするな。目の前の一人を笑顔にしろ、その笑顔が隣へ伝わる、隣がまた笑う。そうやって少しずつ広がる、それが平和だ。」

少年神の瞳に涙が浮かぶ。

「でも……もし世界が本当に壊れるなら。ぼくは何をすればいいんですか。」

店主は一瞬だけ言葉に詰まる。

そして、いつものように笑った。

「その時は、最後まで諦めるな。最後の一人が笑うまで、平和の神なんだろ。」

少年神は何度も頷いた。

「……はい。ぼくは逃げません。みんなと一緒に笑える世界を最後まで諦めません。」

店主は満足そうに笑う。

「それでいい。」

少年神は立ち上がり、深く頭を下げた。

「ありがとうございました。」

「また来ます。」

「今度はもっといい報告を持って。」

「ああ。待ってる。」

少年神は暖簾をくぐり、夜の路地裏へ消えていった。

その姿が見えなくなったあと、店主は静かに空を見上げる。

夜空はいつもと変わらない。

けれど、店主の瞳には、人には見えない小さな亀裂が映っていた。

「……もう、時間がないか。」

その呟きと同時に、提灯の火が一瞬だけふっと消えかける。

店主はそっと提灯に手を添えた。

すると灯りは再び温かく輝き始める。

「まだだ。あと少しだけ。」

その声には、自分自身へ言い聞かせるような強い意志が込められていた。

その時、路地裏の奥で、小さな懐中時計の針が「カチリ」と音を立てた。

店主はゆっくりとその音のした方へ目を向ける。

「……来るか。」

その視線の先には誰もいない。

しかし、その「時」を告げる音だけが、静かな夜の路地裏にいつまでも響いていた。


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