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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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12/20

12杯目 河童は流れを知らない


夜の川から吹く風が、路地裏までひんやりと流れ込んでくる。

屋台の提灯がゆらゆらと揺れ、寸胴鍋から立ちのぼる湯気が夜空へ溶けていった。

店主は麺を打ちながら、大きく伸びをする。

「今日は川の匂いがするな。」

そう呟いた、その時だった。

――バシャァン!!

路地裏の入口から盛大に水しぶきが上がった。

「ぶはぁっ!」

ずぶ濡れの何かが勢いよく転がってくる。

「痛ってぇ……。」

頭の皿から水をぽたぽた垂らしながら起き上がったのは、一匹の河童だった。

緑色の肌、頭の皿、甲羅、腰には小さな瓢箪をぶら下げている。

どう見ても河童だった。店主は思わず吹き出した。

「なんだその登場。」

河童は服を絞りながら睨む。

「笑うな!」

「笑うだろ。」

「笑うところじゃない!」

「いや十分笑うところだ。」

河童は頬を膨らませる。

「路地裏に入ったら急に転んだんだ!」

「そんなことあるか?」

「あったんだよ!」

店主は肩を震わせながら笑う。

「まぁ座れ。」

河童はぶつぶつ文句を言いながら椅子へ座った。

「まったく……今日は厄日だ。」

店主は河童を見ながら首を傾げる。

「そういや、お前みたいなのは川からあんまり出てこねぇだろ。」

河童は深いため息をついた。

「だから来たんだよ。相談があって。」

店主は「なるほど」と頷く。

「その前に飯だ。」

「何食う?」

河童は目を輝かせる。

「きゅうりラーメン!」

店主の手が止まる。

「……は?」

「きゅうりラーメン!」

「そんなもんねぇ。」

「えぇぇ!?」

「ラーメンにきゅうりは入れねぇよ。」

河童は本気で落ち込んだ。

「河童なのに……。」

「河童だからって毎日きゅうり食うわけじゃねぇだろ。」

「いや、結構食う。」

「食うのか。」

二人は顔を見合わせ、思わず笑った。

店主は腕を組みながら考える。

「よし。」

「今日は冷やし塩ラーメンだ。」

「冷たいの?」

「ああ。川の連中にはちょうどいい。」

河童は嬉しそうに身を乗り出した。

「やった!」

店主は麺を茹で、すぐに氷水で締める。

透き通る塩スープを冷やし、鶏チャーシュー、白髪ねぎ、刻んだ大葉、半熟卵を添える。

最後に、細く切ったきゅうりをほんの少しだけ乗せた。

「ほら。」

河童は目を輝かせた。

「きゅうり!」

「少しだけな。」

「最高!」

両手を合わせる。

「いただきます!」

勢いよく麺をすすった。

「うまっ!」

冷たいスープが口いっぱいに広がる。

「こんなラーメン初めて食べた!」

「夏限定だからな。」

「毎日食べたい!」

「毎日は飽きる。」

河童は夢中で食べ続け、あっという間に完食した。

「ごちそうさま!」

店主は笑いながら空になった丼を見た。

「きれいに食ったな。」

「もちろん!」

河童は満足そうにお腹をさする。

しばらくして、店主がお茶を差し出した。

「それで。」

「相談って?」

河童の表情から笑顔が消えた。

「俺さ、昔は川で一番泳ぐのが速かったんだ。」

店主は静かに耳を傾ける。

「子どもたちにも人気だった。泳ぎを教えたり、一緒に遊んだり。」

河童は嬉しそうに昔を思い出していた。

しかし、その笑顔はすぐに曇る。

「でも最近、もっと速い河童が現れた。若くて、力もあって、泳ぎも上手い。」

河童は拳を握る。

「子どもたちもみんなそいつのところへ行く。誰も俺を呼ばなくなった。」

屋台では静かな時間が流れた。

河童は苦笑いを浮かべる。

「情けないよな、河童なのに泳ぎで負けるなんて。」

店主は何も言わない。

河童は続けた。

「努力もした、毎日泳いだ。でも追いつけない。だったら。俺なんて、もう必要ないのかなって。」

その言葉を聞いた店主は、静かに空になった丼を河童の前へ置く。

「……見てみるか。」

河童は小さく頷き、ゆっくりとスープを覗き込んだ。

黄金色だったスープに、小さな波紋が広がっていく。

やがて、水面には一つの未来が映り始めた━━

黄金色のスープに広がった波紋は、ゆっくりと一つの景色を映し始めた。

そこは、見覚えのある川だった。

河童が何百年も守り続けてきた川。

しかし、そこに河童の姿はなかった。

岸辺では、一人の若い河童が子どもたちに泳ぎを教えている。

「もっと力を抜いて!水に身を任せるんだ!」

子どもたちは楽しそうに笑いながら川を泳いでいた。

河童は目を細める。

「あいつだ……。」

自分の代わりに人気者になった若い河童だった。

その姿を見て、河童は寂しそうに笑う。

「やっぱり俺はいなくても……。」

その言葉を遮るように、景色が変わった。

夕暮れの川。

子どもたちは帰り、若い河童も疲れた様子で岩に腰掛けていた。

その時だった。

「た、助けて!」

川下から子どもの声が響く。急な増水で、一人の男の子が流されている。

若い河童は慌てて飛び込む。だが流れは想像以上に速い。

「くっ……!」

何度も流されそうになり、子どもへ近づけない。

その時だった。大きな影が水面を滑るように現れる。

年老いた河童――今、スープを覗いている河童自身だった。

「流れに逆らうな!」

叫びながら、水の流れへ身を任せる。

流れを利用して一気に子どもの後ろへ回り込み、そのまま背中を押して岸へ送り返した。

男の子は無事に助かった。若い河童は息を切らしながら頭を下げる。

「ありがとうございました!」

年老いた河童は笑う。

「まだまだ若いな。」

「速さだけじゃ、川は泳げねぇ。」

「え?」

「川は生き物だ。」

「流れを読め、焦るな、水と喧嘩するな。」

若い河童は真剣な顔で頷いた。

「はい!」

その景色を最後に、スープは静かに元の黄金色へ戻った。

河童はしばらく言葉を失っていた。

「俺……教えてた。」

店主は静かに頷く。

「泳ぎ方を、じゃねぇ。生き方をな。」

河童は丼を見つめたまま、小さく笑った。

「そうか、俺は負けたんじゃなかった。」

店主は湯呑みへお茶を注ぐ。

「速く泳げる奴はいくらでも現れる。でも、長く川を見てきた奴にしか分からねぇこともある。」

河童は静かに耳を傾ける。

「お前は、自分の良さを忘れてた。」

「良さ?」

「流れを読むことだ。」

店主は川の方へ目を向けた。

「魚は流れに逆らいすぎると疲れる。人も同じだ。無理に若い奴と張り合えば、自分まで流される。」

河童は苦笑した。

「確かに俺、ずっと競争してた、勝たなきゃ価値がないって。」

店主は首を横に振る。

「違う、役目が変わっただけだ。」

「役目……。」

「速く泳ぐ役は若い奴、教える役はお前。どっちが偉いとかじゃねぇ、どっちも必要だ。」

河童は目を閉じ、大きく息を吐いた。

胸の中で固く結ばれていた何かが、少しずつほどけていく。

「俺さ。子どもたちに泳ぎを教えるの、好きだった。」

「だったら続けろ。」

「でも人気は……。」

店主は笑う。

「人気なんて流れるもんだ、川みたいにな。」

河童は思わず吹き出した。

「上手いこと言ったつもりか?」

「半分くらい。」

「半分かよ。」

二人は顔を見合わせて笑う。屋台の空気がまた温かくなる。

河童は立ち上がり、大きく伸びをした。

「なんかスッキリした!」

「そうか。」

「決めた!」

河童は力強く拳を握る。

「明日から子供たちに泳ぎを教える!それと若い河童にも!」

「それがいい。」

店主は満足そうに頷いた。

「速さは負けても経験なら負けねぇからな!」

「その意気だ。」

河童は暖簾をくぐろうとして、ふと立ち止まる。

「あ、そうだ。」

腰の瓢箪(ひょうたん)をごそごそ探る。

「これやる!」

取り出したのは、きゅうりだった。

店主は苦笑する。

「やっぱりきゅうりか。」

「うちの畑で採れた特別製だ!」

「ラーメンには入れねぇぞ。」

「入れなくていい!そのまま食え!」

店主は受け取り、少しかじってみる。

「……。」

「どうだ?」

「うまい。」

その一言に、河童は子どものように笑った。

「だろ!今度は魚も持ってくる!」

「生魚は勘弁してくれ。」

「じゃあ焼いてくる!」

「それなら歓迎だ。」

河童は大きく手を振りながら夜の川へ帰っていった。

路地裏には再び静けさが戻る。

店主は河童からもらったきゅうりを眺めながら、小さく笑った。

「役目、か……。」

誰にでも、役目は変わる。

変わることは終わることではない。

流れる川が同じ場所に留まらないように、人も、神も、妖怪も変わりながら生きていく。

店主はそう呟き、寸胴鍋の蓋を開けた。

立ち上る湯気の向こうで、一瞬だけ誰かの笑い声が聞こえた気がした。

「気のせい……か。」

そう微笑むと、店主は静かに暖簾を掛け直す。

今夜もまた、この小さな屋台には、迷える誰かがやって来るのだろう。


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