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世界を創った神ですが、悩める客にラーメンを出していたら世界を救うことになりました。  作者: 霜月 羽流


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10/20

10杯目 恋愛の神様は恋を知らない


夜風が暖簾を優しく揺らす。

路地裏の奥にある小さな屋台には、今日も変わらず提灯の灯りがともっていた。

寸胴鍋から立ち上る湯気が、夜空へゆっくりと溶けていく。

店主は鼻歌を歌いながら麺を打っていた。

「さて、今日は誰が来るかな。」

そう呟いた、その時だった。

どこからともなく、甘い花の香りが風に乗って漂ってきた。

桜でもない。梅でもない。どこか心が落ち着く、不思議な香りだった。

「……ん?」

店主が路地裏の奥へ目を向ける。

そこには、一人の少女が立っていた。

年は十六、七ほど。桃色がかった長い髪を腰まで伸ばし、白と紅色を基調とした巫女のような装束を身にまとっている。

頭には小さな花飾り。歩くたびに、花びらがふわりと舞い落ちる。

少女は屋台を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「見つけた!」

勢いよく暖簾をくぐろうとして――

ゴンッ。額を暖簾の柱へ思い切りぶつけた。

「いったぁぁぁ……。」

額を押さえてしゃがみ込む少女。店主は思わず吹き出した。

「派手にぶつかったな。」

少女は涙目になりながら立ち上がる。

「わ、笑わないでください!」

「悪い悪い。」

「絶対思ってません!」

「いや、ちょっと思った。」

「ひどいです!」

少女は頬を膨らませる。

その姿がおかしくて、店主はまた笑ってしまった。

「まぁ入れよ。」

「……はい。」

少女は少し拗ねたまま席へ座る。店主はその様子を見ながら笑った。

「腹減ってるだろ?」

「はい!」

さっきまで拗ねていたのが嘘のような返事だった。

「元気だけはあるな。」

「そこだけは自信があります!」

「そこ”だけ”か?」

少女は少し考えてから、小さく頷く。

「……たぶん。」

店主は肩を震わせて笑った。

「面白い奴だな。」

少女もつられて笑う。

屋台の空気が一気に明るくなった。

「今日は何ラーメンですか?」

「今日は塩ラーメンだ。」

「しお!」

「恋をすると、甘いものばかり食べたくなる奴が多いからな。」

「たまにはあっさりした方が頭も冷える。」

少女は首を傾げた。

「恋って、そんなものなんですか?」

店主は手を止めた。

「……ん?」

少女は不思議そうな顔をしている。

「恋って何ですか?」

店主は一瞬固まった。

「知らねぇのか?」

少女は首を横に振る。

「本で読んだことはあります。」

「でも、自分では分からなくて。」

「だから今日は、その相談に来ました!」

店主は眉をひそめる。

「相談?」

「はい!恋愛について!」

「なるほど。」

店主は頷きながら麺を茹で始める。

「そういや名前聞いてなかったな。」

少女は背筋を伸ばした。

「わたしは恋愛の神です!」

店主の動きがぴたりと止まる。

「……恋愛の神?」

「はい!」

「恋を司る神様です!」

店主はしばらく黙っていた。そして、静かに笑い出した。

「ははは!」

「えっ!?なんで笑うんですか!」

「いや……。」

店主は笑いをこらえながら言った。

「恋愛の神が恋を知らねぇのか。」

少女は恥ずかしそうに俯いた。

「そうなんです……。みんなの恋を応援するのが仕事なんですけど。実は、恋をしたことがなくて。」

店主は笑うのをやめ、真剣な表情になる。

「それで困ってると。」

「はい。」

少女は小さく頷いた。

「人間や妖怪、それに神様まで。毎日たくさんお願いが届きます。『好きな人と結ばれますように。』『告白が成功しますように。』『もう一度、あの人に会えますように。』」

少女は両手を胸の前でぎゅっと握った。

「わたしは、その願いを叶えるために力を使います。でも……わたし自身は恋を知らない。だから最近、本当にこれでいいのかなって思うようになったんです。」

店主は黙って話を聞いていた。少女は続ける。

「ある日、一人の女の子に聞かれたんです。『神様は恋をしたことあるの?』って。わたし……答えられませんでした。」

少女は少しだけ笑う。その笑顔は、とても寂しかった。

「恋を知らない神様が、人の恋を応援してもいいのかなって。」

屋台に静かな時間が流れる。

店主は火加減を調整しながら、小さく息をついた。

「難しい相談だな。」

「ですよね。」

「でも。」

店主は麺を湯切りしながら笑う。

「まずは腹いっぱいになってから考えようぜ。」

透き通った黄金色のスープを丼へ注ぐ。

そこへ麺を入れ、鶏チャーシュー、三つ葉、ゆずの皮を少しだけ添える。

最後に桜色のかまぼこを一枚。

「お待ち。」

少女は目を輝かせた。

「わぁ......!きれい。食べるのがもったいないです。」

「冷める方がもったいねぇ。」

「それもそうですね!」

少女は箸を持ち、手を合わせる。

「いただきます。」

湯気の向こうで、少女はそっと麺をすすった。

その瞬間、ぱっと表情が明るくなる。

「おいしい!こんな優しい味、初めてです!」

店主は腕を組みながら満足そうに笑った。

「そりゃよかった。」

少女は夢中で食べ進める。

恋を司る神でありながら、今はただ一人の少女のように無邪気な笑顔を浮かべていた。

やがて最後の一口を食べ終え、丼をそっと置く。

「ごちそうさまでした。」

店主は頷くと、静かに丼を少女の前へ戻した。

「さて。」

「ここからが本番だ。」

少女は店主の言葉に気づき、静かにスープを覗き込む。

黄金色の水面がゆっくりと揺れ始める━━黄金色のスープが静かに揺れる。

恋愛の神は息を呑み、水面を覗き込んだ。

波紋はゆっくりと広がり、やがて一つの景色を映し始める。

━━春の日差しが差し込む小さな公園。桜の花びらが風に舞い、子どもたちの笑い声が響いていた。その中を、恋愛の神が歩いている。

しかし、人々にその姿は見えない。

「今日もたくさんお願いが届いてるなぁ。」

そう呟きながら、一人の女子高校生の前で立ち止まった。

少女は桜の木の下で何度も深呼吸を繰り返している。制服のポケットには、一通の手紙。

震える手で何度も握り直していた。恋愛の神は少女の周りを歩きながら、小さく微笑む。

「大丈夫。きっとうまくいくよ。」

そっと力を贈る。

少女は勇気を振り絞り、一人の男子生徒へ駆け出した。

「す、好きです!」

その声は震えていた。男子生徒は驚きながらも笑顔になる。

「俺も。」

二人は照れくさそうに笑い合った。恋愛の神も嬉しそうに笑う。

「よかったぁ。」

その笑顔を見た瞬間、景色が変わる。

今度は雨の降る街角。

一組の男女が向かい合っていた。女性は泣いている。男性は何度も頭を下げていた。

「ごめん。」

「もう一緒にはいられない。」

恋愛の神は慌てて二人の間へ入る。

「待って!」

「まだ終わらないで!」

力を送ろうとする。しかし、何も起こらない。

二人は静かに別々の道へ歩いていった。恋愛の神は呆然と立ち尽くす。

「どうして……。」

涙が一滴、頬を伝った。

景色はまた変わる。


年老いた夫婦が、病室で手を繋いでいた。夫はベッドに横たわり、静かに息をしている。

妻は優しく笑っていた。

「あなた。ありがとう。」

夫も小さく笑う。

「幸せだった。」

恋愛の神は二人を見つめている。

夫は最後に妻の手を少しだけ強く握り、そのまま静かに目を閉じた。

妻は泣いていた。けれど、その表情はどこか穏やかだった。

「また、会いましょう。」

その言葉と共に景色は消えた。━━

スープは元の黄金色へ戻る。恋愛の神はしばらく動けなかった。

「どうして……幸せな恋だけじゃない。別れもある。届かない想いもある。」

店主は静かに頷いた。

「恋だからな。」

恋愛の神は俯く。

「わたし。全部幸せにできると思ってました。神様だから…でも違った。」

店主は湯呑みにお茶を注ぐ。

「飲め。」

恋愛の神は両手で受け取り、一口飲んだ。

温かさが胸へ広がる。店主は静かに話し始める。

「恋ってのはな。結ばれることだけじゃねぇ。」

恋愛の神は顔を上げる。

「え?」

「片想いも恋だ、失恋も恋だ。夫婦になることだけが恋じゃない。別れることだって恋の一つだ。」

恋愛の神は驚いたような表情になる。店主は続けた。

「だから、お前の力で全部を幸せにする必要はねぇ。」

「でも……みんな願ってるんです。叶えてあげたい。」

店主は少し笑う。

「願いを叶えるのと、心を決めるのは別だ。」

恋愛の神は首を傾げた。

「恋は相手の気持ちもある。一人じゃ決められねぇ。だから神様は最後の一歩を背中から押すだけでいい。無理やり引っ張るもんじゃない。」

恋愛の神は静かにその言葉を噛みしめる。

「背中を押す……。」

「そう。」

店主は頷いた。

「告白する勇気、ありがとうって伝える勇気、ごめんって言う勇気、さよならを受け入れる勇気、そういうもんを少しだけ支えてやれば十分だ。」

恋愛の神の目に涙が浮かぶ。

「わたし……勘違いしてました。恋を成功させるのが仕事だと思ってました。」

店主は笑う。

「違う、恋を応援するのが仕事だ。」

その一言で、恋愛の神の涙がこぼれ落ちた。

「応援……。」

「そうだ、成功しても失敗しても。恋をしたこと自体が、その人にとって大事なんだ。」

恋愛の神は涙を拭いながら笑った。

「あなたって、本当に不思議な人…そんなこと言われたの初めてです。」

店主は照れくさそうに鼻をかく。

「俺も恋なんてよく分かってねぇよ。」

「えっ?」

恋愛の神は驚く。

「好きって気持ちは見たことある。でも、自分で誰かを好きになったことはねぇ。」

恋愛の神はくすっと笑う。

「それなのに、こんなに分かるんですね。」

店主は肩をすくめた。

「分かるんじゃない。今までここへ来た客が教えてくれたんだ。」

恋愛の神はその言葉を聞いて、優しく微笑んだ。

「なんだか。少しだけ恋が好きになれそうです。」

店主も笑う。

「それで十分だ。」

恋愛の神は立ち上がる。

「また来てもいいですか?」

「もちろん。」

「今度は相談じゃなくて、恋のお話を聞かせに。」

店主は親指を立てた。

「ラーメン食いながらなら大歓迎だ。」

恋愛の神は嬉しそうに笑い、暖簾をくぐって夜の路地裏へ消えていった。

店主は一人になった屋台で、空になった丼を洗い始める。

「恋、か……。」

そう呟いた時だった。

ふわり、と一枚の桜の花びらが風に乗って屋台へ舞い込む。

季節はまだ、桜の咲く時期ではない。

店主は花びらを手に取り、小さく目を細めた。

「……お前も、誰かを応援できたみたいだな。」

花びらは淡く光ると、夜風に乗って静かに消えていった。

暖簾が優しく揺れる。

その灯りは、今夜もまた、誰かの想いをそっと照らし続けていた。



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