第四話「夜市」
第四話「夜市」
夜市は、昼間の台北とは全然違った。
ネオン。
湯気。
人混み。
油の匂い。
聞き慣れない台湾弁。
そして、絶え間なく響くスクーターの音。
「うわ……」
小雪は思わず立ち止まる。
東京とも違う。
もっと雑多で、もっと近い。
人の熱気がそのまま街になったみたいだった。
「こっちこっち!」
渚が人混みの向こうから手を振る。
その後を、小雪は慌てて追いかけた。
しばらく歩くと、赤い看板が見えてくる。
『林鶏排』
店の前では、顔くらい大きな鶏肉が次々と油へ沈められていた。
ジュワァァァ……
激しい音と一緒に、独特な香辛料の香りが広がる。
「ただいまー!」
渚が店の奥へ向かって叫ぶ。
「おかえりー!」
金髪ショートカットの女性が、笑顔で出てきた。
「この子は!?」
距離が近い。
渚そっくりだった。
「小雪、この人うちのお母さん」
「林美鈴でーす」
「……冬城小雪です」
「綺麗な子!」
美鈴は嬉しそうに笑う。
すると奥から低い声が飛んだ。
「美鈴、手ぇ動かせよ」
「はーい、海太さん!」
鍋の前には、日に焼けた男が立っていた。
ねじり鉢巻。
暑苦しそうな髭。
「お父さん、小雪」
「いらっしゃい、小雪ちゃん」
豪快な声だった。
その時。
海太が、揚げたての大鶏排を紙袋へ入れて差し出した。
「小雪ちゃん、揚げたて食べていきな!」
熱い。
重い。
顔くらい大きい。
小雪は少し戸惑う。
「ありがとうございます……」
そして、恐る恐る齧った。
サクッ。
肉汁が溢れる。
「……っ」
美味しい。
でも。
後から、独特な香りが鼻へ抜けた。
「あー」
渚がすぐ気づく。
「苦手?」
「えっ」
図星だった。
「出た出た、観光客あるある」
渚はけらけら笑う。
「八角無理〜ってやつ」
「……ちょっと苦手かも」
「や、別にいいって」
美鈴も苦笑する。
「小雪ちゃん、本土から来たの?」
「はい、東京から引っ越してきました」
小雪はもう一口食べる。
やっぱり香りが強い。
苦手かもしれない。
すると美鈴が優しく言った。
「無理して食べなくていいからね?」
その瞬間。
祖父の言葉が、小雪の頭に浮かぶ。
食べ物を粗末にするな。
北海道で、何度も聞かされてきた言葉だった。
小雪は紙袋を持ち直す。
「……いえ、美味しいです」
そしてまた齧る。
渚はそんな小雪を見ながら、どこか面白そうに笑っていた。
「真面目〜」
「そういう問題じゃないの」
「いや真面目だって」
海太は黙ったまま、じっと小雪を見ていた。
「いい子だなぁ!」
「え」
「最近のやつ、嫌なら平気で捨てていくからな!」
豪快な笑い声が夜市へ響く。
その時。
海太が、新しい紙袋を小雪へ差し出した。
「小雪ちゃん、ご家族にお土産!」
「え?」
中には、揚げたての大鶏排が二枚入っていた。
「いや、そんな……」
小雪は一瞬だけ言葉に詰まる。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げた。
夜市の喧騒。
油の匂い。
渚の笑い声。
海太の豪快な声。
気づけば小雪は、さっきより自然に笑えていた。
八角は苦手だったけれど。
その夜は、お腹も心も少し満たされていた。




