第三十八話「墓参り」
第三十八話「墓参り」
翌朝。
朝食を食べ終えると、
豊平が静かに立ち上がった。
「行くぞ」
小雪は箸を置いて、
顔を上げる。
「どこに?」
豊平は短く答えた。
「墓参り」
その一言で、
居間の空気が少しだけ変わった。
よし江が湯飲みを片づけながら言う。
「小雪ちゃんが帰ってきたら、連れて行くって言ってたのよ」
「そうなんだ」
小雪は小さく頷いた。
渚は隣で少し姿勢を正す。
豊平は渚を見る。
「渚ちゃんもおいで」
そして、
短く頷いた。
「はい」
よし江が笑った。
小雪は窓の外を見た。
庭では、
リュウが日陰で丸くなっていた。
昨日より少し疲れているようにも見える。
「リュウは?」
「今日は留守番ね」
よし江が言った。
「昨日たくさん歩いたから」
「うん」
小雪は少しだけリュウを見てから、
立ち上がった。
豊平の車に乗り、
四人は家を出た。
道は相変わらずまっすぐだった。
畑。
電柱。
遠くの山。
広い空。
昨日見た景色と同じはずなのに、
朝の光の中では少し違って見えた。
車内は静かだった。
豊平は何も言わずに運転している。
よし江も、
今日はあまり多くを話さなかった。
渚も、
窓の外を見ながら黙っていた。
何かを話した方がいいのかもしれない。
けれど、
小雪にその静けさが好きだった。
しばらく走ると、
車は畑道を外れた。
小さな道を進んだ先に、
低い石垣が見えてくる。
その向こうに、
墓石が静かに並んでいた。
大きな霊園というより、
この辺りの家々が集まった小さな墓地だった。
車を停めると、
豊平は花と線香を持って降りた。
「この辺りの家は、だいたいここだ」
それだけ言って、
墓地の中へ歩いていく。
小雪と渚も後に続いた。
風が吹く。
草の匂いがした。
山梨のお墓参りとは、
少し違っていた。
山梨は、
山に抱かれているようだった。
北海道は、
空の下に置かれているようだった。
どちらが良いとかではない。
ただ、
違う。
小雪はそう思った。
豊平は一つの墓の前で足を止めた。
墓石には、
冬城家の名前が刻まれていた。
よし江が花を供える。
小雪も手伝い、
水をかけた。
渚は少し離れて、
邪魔にならないように立っていた。
豊平は黙って線香に火をつける。
煙が、
細く上がっていく。
風に揺れながら、
空へ溶けていく。
「ほら」
豊平が言った。
小雪は頷き、
墓前に手を合わせた。
目を閉じる。
何かを言おうとした。
けれど、
言葉はすぐには出てこなかった。
北海道に帰ってきました。
それだけでいい気がした。
小雪は心の中で、
静かにそう言った。
隣で、
渚も手を合わせていた。
渚にとっては、
知らない家のお墓だった。
けれど、
小雪の大切な場所なら、
ちゃんとしたかった。
しばらくして、
小雪は目を開けた。
豊平はまだ手を合わせていた。
背中は大きく見えるのに、
どこか寂しそうにも見えた。
小雪は、
父の一平を思い出した。
一平も、
あまり多くは話さない。
きっと父は、
祖父に似たのだろう。
小雪は少しだけ、
そう思った。
墓参りを終えると、
豊平は墓石の前に立ったまま言った。
「小雪」
「また来いよ」
「うん」
その言葉は短かった。
一見冷たい祖父だが、
この一言に祖父の愛情を感じた。
小雪は豊平の横顔を見る。
豊平は前を向いたままだった。
「うん」
小雪は静かに答える。
「また来る」
よし江が少しだけ目を細めた。
渚は何も言わなかった。
帰りの車内は、
行きよりも静かだった。
けれど、
重い沈黙ではなかった。
小雪は窓の外を見る。
畑が流れていく。
空が広がっている。
北海道は、
小雪が幼い頃に住んでいた場所だった。
はっきり覚えていることは少ない。
でも、
ここには祖父母がいて。
リュウがいて。
冬城家のお墓がある。
小雪が忘れていたとしても、
この場所は小雪を覚えている。
そんな気がした。
冬城家に戻ると、
リュウが玄関の前まで出てきていた。
「リュウ」
小雪がしゃがむと、
リュウはゆっくりと近づいてきた。
昨日ほど勢いはない。
けれど、
嬉しそうに尻尾を振っている。
小雪はリュウの頭を撫でた。
「ただいま」
リュウは小さく鼻を鳴らした。
渚がそれを見て笑う。
「リュウ、ちゃんと待ってたんだね」
「うん」
小雪はリュウの毛を撫でながら、
小さく笑った。
よし江が玄関から声をかける。
「お茶にしましょう」
「うん」
小雪は立ち上がる。
もう一度だけ、
空を見上げた。
広くて、
遠くて、
静かな空だった。
北海道に帰ってきた。
その実感が、
ようやく胸の奥に落ちていった。




