第二十一話「梅雨」
第二十一話「梅雨」
六月中旬。
台湾県台北市。
朝。
窓を開けた瞬間だった。
「うわ……」
小雪は思わず顔をしかめた。
空気が重い。
まるでお風呂場みたいだった。
「暑い……」
まだ朝七時。
なのに額がじんわり汗ばむ。
テレビでは天気予報が流れていた。
『本日も各地で雨が予想されています』
『湿度は八十パーセントを超える見込みです』
小雪はため息をついた。
「また雨かぁ……」
登校中。
傘を差しているのに意味がない。
横殴りの雨。
じめじめした空気。
制服まで少し湿っている気がした。
「最悪……」
その時だった。
「おはよー!」
元気な声。
渚だった。
「おはよう……」
「元気ないね」
「暑い」
「まだ朝だよ?」
「もう暑い」
渚は首を傾げる。
「今日そんな暑い?」
小雪は思わず立ち止まった。
「暑いよ!」
「湿気すごいし!」
「制服張り付くし!」
「髪まとまらないし!」
渚はきょとんとしていた。
「そう?」
「そう!」
教室。
休み時間。
小雪は机に突っ伏していた。
「もう帰りたい……」
「まだ二時間目だよ?」
渚が笑う。
「北海道だったらこんなじゃないもん」
「東京もここまでじゃなかったもん」
「台湾がおかしいんだよ」
「台湾県民にケンカ売ってんの?」
渚が笑う。
小雪は机に顔を埋めたまま答えた。
「売ってない……」
昼休み。
突然。
ザーッ!
激しい雨が降り出した。
「うわ!」
小雪が驚く。
さっきまで晴れていたのに。
「また!?」
渚は平然としていた。
「スコールだね」
「スコール!?」
「うん」
「すぐ止むよ」
「なんで分かるの!?」
「なんとなく」
小雪は納得できなかった。
しばらくして。
雨は嘘みたいに止んだ。
すると。
窓際の生徒が声を上げた。
「虹だ!」
教室が少しざわつく。
小雪も窓へ近付いた。
校舎の向こう。
大きな虹が掛かっている。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。
「綺麗だね」
「でしょ!」
なぜか渚が得意そうだった。
「渚が出したわけじゃないでしょ」
「でも台湾の虹だよ!」
意味が分からなかった。
それでも。
小雪は少し笑った。
放課後。
空はまだ曇っていた。
しかし。
雨は止んでいる。
「ジメジメだ……」
「慣れるよ!」
渚が得意げに笑う。
二人は夜市へ向かって歩く。
湿った空気。
濡れたアスファルト。
提灯の灯り。
雨上がりの夜市は、
いつもより少しだけ綺麗に見えた。
「でもさ」
渚が言う。
「私、小雪が汗だくなの結構好き」
「やめてよ」
「なんか台湾に染まってきたね!」
小雪は呆れた。
「全然嬉しくない」
渚は大笑いした。
福來炒飯。
「おはようございます」
「おう」
大将が開店準備をしている。
「小雪ちゃん」
「はい?」
「今日暑かったろ」
「暑かったです」
「アイス食うか?」
冷凍庫から棒アイスが飛んできた。
「え」
「貰いもんだ」
小雪は受け取る。
冷たい。
思わず笑顔になった。
「ありがとうございます」
「夏はまだこれからだぞ」
大将が言う。
「え?」
「七月八月になったらもっと暑い」
小雪は固まった。
「嘘ですよね?」
「本当だ」
「嫌だぁ……」
店内に笑い声が響く。
帰り道。
夜風は少しだけ涼しかった。
それでも。
台湾の空気はまだ湿っている。
小雪は空を見上げた。
最初は嫌だった。
暑くて。
蒸し暑くて。
雨ばかりで。
でも。
少しずつ慣れてきている自分もいた。
昼間見た虹を思い出す。
東京でも。
北海道でも。
虹を見たことはある。
それでも。
台湾で見る虹は少し違って見えた。
隣には渚がいて。
帰る場所があって。
働く場所があって。
気付けば。
ここにも日常があった。
台湾の夏。
台湾の雨。
台湾の匂い。
それも少しずつ。
自分の日常になり始めていた。
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