第二話「体育」
第二話「体育」
ホームルームが終わる。
その瞬間、
教室の空気が一気に騒がしくなった。
椅子を引く音。
笑い声。
窓際では、誰かが早速携帯をいじっている。
天井の扇風機は、
古い音を立てながら回っていた。
「ねぇねぇ東京の人!」
また隣から顔が近づく。
小雪は少しだけ後ろへ引いた。
「……冬城です」
「ん?」
「東京の人じゃなくて」
その女子は数秒きょとんとしてから、
すぐ笑った。
「あ、ごめん!」
そして。
「じゃあ小雪って呼ぶね!」
「……え」
「私、林渚!」
渚は胸を張る。
「渚って呼んで!」
距離が近い。
近すぎる。
でも。
その笑顔は、
まるで昔から友達みたいに自然だった。
「……よろしく、渚」
その瞬間。
渚の顔がぱっと明るくなった。
「うん!」
それからは、
教科書配りや学校説明が続いた。
その間も、
渚は何度も小雪へ話しかけてくる。
「ねぇ小雪」
「……なに」
「レインボーブリッジって渡ったことある?」
「あるけど……」
「いいなぁ〜〜……」
本気で羨ましそうだった。
「あと原宿!」
また始まった。
「めっちゃ長いチーズのホットドッグあるじゃん!」
「あぁ……」
「食べた!?」
「食べてない」
「えぇっ!?」
渚は大げさなくらい驚いた。
「東京の人って毎日ああいうの食べてるんじゃないの!?」
「食べないよ……」
「うそだぁ」
中学時代からの友人が笑っている。
「渚、また言ってるよ」
「東京好きすぎだろ」
「だって東京だよ!?」
渚は当然みたいに言った。
その言い方がおかしくて、
小雪は少しだけ笑ってしまう。
「あ、笑った」
渚が嬉しそうに目を細める。
「小雪、さっきまでずっと緊張してたでしょ」
図星だった。
小雪が言葉に詰まると、
渚は満足そうに笑う。
「大丈夫だって」
四時間目が近づくにつれて、
教室の熱気は少しずつ増していく。
制服の背中が、
じんわり汗で張り付き始めていた。
「……暑い」
小雪は小さく呟く。
「今日まだマシだよ?」
隣で渚が笑った。
「これで……?」
「うん」
感覚が違う。
北海道で過ごした夏とも、
東京の暑さとも違った。
「よーし、次は第四部だからなー」
第四部。
こちらでは、四時間目のことをそう呼ぶらしい。
同じ日本でも、
言葉が少し違う。
担任が出席簿を閉じる。
「今日は体育、水泳な」
その瞬間。
教室の空気が少し浮ついた。
「やったー」
「今日プール最高じゃん」
「絶対気持ちいい」
小雪だけが止まる。
「……水泳かー」
思わず声が漏れる。
すると隣で、
渚が不思議そうな顔をした。
「え、やらないの?」
「うーん…」
「問題ないって!」
更衣室を出た瞬間。
強い陽射しが肌へ刺さった。
「うわ……」
思わず目を細める。
プールの水面が、
白く光っている。
足裏に伝わるコンクリートの熱。
塩素の匂い。
「小雪こっちー!」
先に出ていた渚が、
大きく手を振る。
黒髪を高い位置で結び、
日に焼けた肩が陽射しを反射していた。
「台湾、暑すぎ……」
「え?
今日かなり涼しい方だけど」
「さっきも聞いたそれ……」
渚はけらけら笑った。
「小雪、白っ」
「………」
その時。
プールサイドの反対側で、
男子たちがざわついていた。
「渚やば……」
「つーか東京の子めっちゃ白くない?」
「お前見るなって」
「いや無理だろ」
男子の視線が痛い。
すぐに女子たちから声が飛ぶ。
「男子うるさーい!」
「きもーい!」
プールサイドに笑いが広がる。
その中で渚だけは、
あまり気にした様子もなく髪を結び直していた。
「よーし、集合ー!」
体育教師の笛が鳴る。
生徒たちがプールサイドへ並び始めた。
「泳げるやつは右側ー」
「苦手なやつは左なー」
ざわざわと列が分かれていく。
「泳げないやついるかー?」
何人かが手を挙げた。
先生は慣れた様子で頷く。
小雪は少し迷ったあと、
小さく手を挙げた。
「お、冬城泳げない組かー」
少しだけ笑いが起きる。
小雪は居心地悪そうに目を逸らした。
「え、小雪泳げないの?」
隣で渚が目を丸くする。
「……うん」
「へぇー」
意外そうにしながらも、
渚はどこか楽しそうだった。
「じゃあ教えたげる」
「いやいい」
「えー」
その時。
「林、お前、中学まで水泳部だっただろ」
先生が渚を見る。
「じゃあお手本なー」
「えぇ〜」
嫌そうに言いながらも、
渚はプールサイドへ出る。
笛が鳴る。
その瞬間。
渚は静かに水へ沈み込んだ。
水しぶきが上がらない。
「……っ」
小雪は少し目を見開く。
綺麗だった。
無駄がない。
水の中へ、
そのまま溶けていくみたいだった。
気づけば、
渚はもう反対側へ近づいている。
「うわ、渚すげ」
「相変わらず速っ」
男子たちが声を上げる。
戻ってきた渚が、
髪をかき上げながら笑った。
「水泳部だったの?」
小雪が聞く。
「中学までね」
「高校ではやらないの?」
「うーん、バイトしたいし!」
「バイト……」
「あと筋肉付けたくない!」
渚は自分の腕を見ながら言った。
「水泳って肩ごつくなるじゃん?」
「へぇ……」
「だからもう楽しく泳ぐくらいでいいかなって」
本当に、
深刻そうな感じは全く無かった。
「なんで水泳はじめたの?」
「だって台湾暑いじゃん?」
「……理由それ?」
「え、うん」
本気だった。
「プール入れるし、
アイス食べれるし」
「不純……」
「あと焼ける」
「もう十分焼けてるよ」
渚はけらけら笑った。
青い水面が揺れる。
歓声。
照り返し。
真っ青な空。
小雪はぼんやり思う。
東京とは、
何もかも違う。
でも、少しだけ文化の違いを楽しんでいる自分がいた。
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