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40話 海神の娘と悪代官屋敷 13/13(結) 海神の妻子と悪代官屋敷

【今回の三文あらすじ】

「興味があるけど読む時間が取れない」「最新話だけ手っ取り早く追いたい」という需要を考え、あとがきに今回の主な出来事を三文に要約しました。

「母さん……?」


 ストーカーと思い込んでいた冒険者の割れた兜から、母の顔が出たことにエッダが声を絞り出す。一方でエッダの母は観念した様子で目を瞑っている。


「マギリア、まだ拘束は解くなよ。まだ2人が親子とわかっただけだ、複雑な事情があるかもしれん」


 侵入者の戦意が薄れて弛緩した空気を戒めるダン長。彼女がエッダにつきまとっていた以上、安心して引き渡すわけにはいかなかった。


「……私はもう危害を加えない。拘束はこのままでもいい、話をさせてくれ」


 そう哀願し、彼女は無抵抗の証に握り続けていた剣を手放す。


「まあいいじゃない。お母さんの目、エッダちゃんを傷つける人のものじゃないわ」

「「軽っ!?」」


 いの一番に母を信じたキャンディが素手で魔力の鎖を引き千切る。判断の早さにダン長達が驚くも、どちらにせよ事情を聞かないと何も始まらないので、ここの面々で対談となった。





「申し遅れた。私はそこの受付嬢の母のニア、アインはこの村に来る時に作った偽名だ」

「あ、俺はこのダンジョンに取り憑いてるお化けやってます。本名は忘れたけど、皆からダン長と呼ばれてます」


 侵入者がエッダの母親とわかり、態度を改めて挨拶を返す卓上のダン長。魔女の家で対談となったが、ニアと名乗った女性はエッダと向かいの席に座らせ、隣にそれぞれキャンディとマギリアが席に着き万が一に備える。装備も剥がされた相手ならどうとでもできると、ニアの傷は治療済みだ。

 ダン長はこれ以上魔物を移動させる力が残っていなかったので、消耗を抑えるため酒場の実況用ダン長を『結果がわかり次第伝える』と言い残して停止させた。


「結婚式の用意など何もしてないのを見るに、私は偽情報に乗せられたんだな……」

「母さん……」


 これまでの全てが罠だったことにニアが気づく。彼女が正体を明かさなかったとはいえ、母をストーカー扱いしていたエッダが申し訳なさげに声をかける。


「お前をここまでさせるほど追い詰めてしまったんだな。付き合わせてしまったダンジョンの皆さんも、本当にすまないことをした」

「いやいや、こちらもアイ……ニアさんが母上だと最初から知っていれば、ここまでしませんでした。悪代官屋敷だとか凝ったもんで迎え撃ってすみません」

(すれ違いがわかって冒険者とダン長が謝りあう光景、なんか前にも見たなぁ……)


 エッダは騙されてもなお、不平をもらさず一同に詫びる。ダン長も勘違いから彼女を迎え撃ったことを謝り返す。その謝罪には迎撃を口実にダンジョン工事に実況と、様々な行為を楽しんだ後ろめたさも言外に含まれていた。冒険終了後にお互いペコペコしている様子を見て、マギリアはダン長が目覚めた当日のことを思い返していた。

 

「しかしダン長、よくこやつがエッダの母親などとこの短時間で推理したもんだな」


 謝罪合戦を眺めながら、マギリアがダン長に話を振る。表向きは平然としているが、彼女達は救助から上がって即ストーカーの正体の推理を聞いて面食らっていたのだ。


「何も戦いが始まってから考えてたわけじゃない。エッダさんが相談に来た時点から、俺は身内の可能性を怪しんでいた」

「そ、そんな最初からですか?」


 自分が相談していた時に、すでに母の関与を疑われていたのを驚くエッダ。

 

「エッダさんがこの人をストーカーだと疑ったのは、見知らぬ鎧の戦士が教えてない自宅の道を先導したことがきっかけだった。でも家族なら荷造りを手伝ったとか、住所が書かれた手紙をもらったとかで、事前に住処を知れていても不思議じゃない」

「あ……村のギルドへ就職が決まった時に、手紙を送ったことがありました。仕事が始まったら、書く時間なんてあまり取れませんから」


 過去の行動を思い出したエッダがハッとする。彼女はどうやら、ミルス村へ越してから受付嬢となるまでの間に実家に手紙を出していたようだ。


「それでダン長ちゃんはママが手紙を見てここへ来たと思ったわけね?」

「いや、まだ材料が足りない。これだけじゃ本当にストーカーが故郷から追いかけて、尾行したか職員の名簿でも盗み見て住所を知った方がまだ妥当だ」


 キャンディの問いを否定するダン長。そもそも相談の時点でその確信に至れていれば、それならそうとエッダに直接言っていた。


「それで、冒険者に囲まれて育ったはずのエッダさんがこの手の鎧を知らないと言うのだから、兄弟とか同世代の線は消えた。その推察の答え合わせは酒場で鎧を調べた時だったが、現にそうなんだろうニアさん?」

「あ、ああ。海底神殿が踏破されて以降、街では魔術の優位性が盤石になったおかげでな。エッダの物心がつくような頃には、少なくとも海の仕事に着る者にはいない」


 ダン長の質問にニアが是と返す。


「あと、ニアさんの戦いは理性的なものだった。少なくとも寝取られると思って突貫してきた狂人の言動ではなかったから、邪なタイプのストーカーの疑いはほぼなくなっていたよ」


 ニアは倒したアクア達にトドメを刺さずに次の間に向かったり、相手の強さに応じて大技の出力を制御していた。

 今回は決闘として解禁されたものの、どちらにせよ他の冒険者には喜ばれない守護モンスターの殺害。すでに一線を超えたストーカーだったら、不利な証言を恐れて消す選択肢もある。その点、ニアは節度を大きく外す探索はまったく行わなかった。


「社会性と狂気のオンオフが巧みな狂人もいるだろうが、言い出すとキリが無いからな。最終的に決め手になったのがイワシの爺さんの話したタイダリア発展の経緯だ。

 両勢力のトップになった若いリーダー、技術者側についた冒険者の頂点がニアさんなんじゃないか?」

「……そこまで調べがついていたとは」

「二人は気が合ったと聞いてましたから。精強な冒険者達の一番上が男って先入観を無くせば連想できるかなって。エッダさんより世代が上で、彼女の住所を事前に知り得て、頑なに魔物との婚姻を認めない人物となると、父親が故人な以上お母さんが一番ありえるんじゃないか?」

「その通りだ、ここと違って故郷の守護モンスターは冷淡でな。魔女殿達の事もよく知らないのもあって、魔物と式を挙げると聞いて鳥肌が立ったよ」


 自分の正体を見破られ、感心したニアにダン長が答える。これが迷宮基地を舞台にした親子の人騒がせなすれ違いの種明かしだった。


「ま、まあ娘さんに粉をかける人が誰も居ないとわかって、お互いよかったじゃない♪」

「失礼な! その言い方じゃまるでうちの娘に魅力が無いみたいじゃないか、街でも評判で――」

(お、親バカ……!)


 マギリアとの婚約は罠で、エッダの訴えたストーカーは親だった。誰にも狙われてなかったことを喜ぶキャンディに取り乱して反論するニア。うちの娘が可愛すぎるのも考え物だと思わされたダン長だった。


「しかし、会った時に早々に正体を明かしておけばこうはならなかったんじゃないか?」

「……面目次第もない」


 一連の親子のすれ違いの発端は、ニアが冒険者である過去と己の正体を隠して娘に接触したことだった。推理を聞き入っていたマギリアは、事態がこじれたそもそもの発端を指摘した。


「私がエッダに過去を隠していたのは、冒険者が危険な職業であったからだ」


 ニアが姿勢を正し、改めて己の事情を話し始める。その理由に、守護モンスターもダン長も言い返すことができなかった。


「ガイナスとは本心から愛し合い、子宝にも恵まれたが……二親とも冒険者という立場は子どもの生育には良くないのが定説でな。万が一にもエッダを孤独にしないよう、どちらかが引退し、二度とダンジョンへは関わらないと約束を交わした」


 冒険者が危険な職業であるのは、ここにいる全員の共通認識だ。現に今朝も冒険者がダンジョンの地下で生き埋めになり、マギリア達が救助をしていたのだ。


「ニアさん、それでも冒険者だった過去まで隠す必要はなかったんじゃないですか?」

「いや、私の分まで働こうと無理して死んだ父親のこともあって、エッダには子どもの頃から冒険者絡みで怖い思いをさせてしまった。この子にとって冒険者は恐怖の象徴だったんだ。私もそうだと知られれば、私までも暗い海に消えていくと怖がらせるだろうと、どうしても打ち明けられなかった」


 彼女達の街が持つダンジョンは海底という過酷な環境にあり、守護モンスターもこの迷宮ほど親身ではない。よって海産資源の恩恵の代償に、冒険者達の死亡率も高い。昨日までエッダにお菓子をくれた優しい冒険者が、翌日に亡骸で海岸に打ち上げられていたこともあった。


「そこで私の知り合いの冒険者や技師達と一計を案じ、私の冒険者としての記録を抹消して、ダンジョン踏破はガイナス個人の功績ということで口裏を合わせてもらうことにした」


 この情報操作がマギリア達の前知識でガイナスの名しか知れ渡っていないことと、イワシが技術側トップのその後を知らなかった原因だった。タイダリアの冒険者ギルドや技師周りがニアの存在を隠し、20年以上の時を経て今の逸話へと変化していた。


「でも私、母さんがそうだなんて一度もわからなかった……」

「それはエッダが物心つく前から、母さんはずっと隠す練習を繰り返してきたからな」

「母さんが家で何もないところで転んだり、寸胴鍋より重いものが持てなかったのも……」

「エッダの前でしか見せなかったな」


 冒険者を見る目には自信があったはずのエッダだが、一緒に暮らしていても正体に気づけなかった。幼い頃から冒険者を観察し続けたエッダと、隠し続けたニア。その優劣は母に一日の長があったようだ。


「一緒にお風呂入る時になんで服を着たまま入るのか聞いたら、母さんの趣味って言ってたじゃない!」

「冒険でこしらえた傷だらけの筋張った身体を見せられなかったから」

(趣味は別にいいが村の銭湯ではやるなよ……?)

 

 驚愕に駆られ、実家での母の所業を問い詰めるエッダに淡々と答えるニア。マギリアが彼女の習慣を村でもしてなかったか心配する。むろん、ミルス村の公衆浴場では着衣入浴は禁止だ。


「……しかし怖いもの見たさというか、『いなくなる』という恐怖がかえって冒険者への観察眼を育んだというのも皮肉だな」

「私が見ている限り、新人ながら中堅顔負けの仕事をしていたよ。だけどエッダは自分の育ちが嫌で家を飛び出したのに、その先でも冒険者の相手をさせられて……」


 神妙な顔で彼女の好き嫌いと才覚の噛み合わなさを憐れむマギリア。育て上げた責任からか、そんな彼女以上に表情を暗く沈ませるニア。

 ミルス村は規模に対して栄えてはいる。しかし商売するにも元手もなければ、職を斡旋する身寄りもいない成人女性が就ける仕事は選択肢が限られている。仕方なく幼少から冒険者を観察し続けた経験を活かして冒険者ギルドで働く道を選んだのだが、その報を受けた母にとっては気が気でなかったのだ。

 ニアは娘の仕事姿を見守ろうと隠していた昔の装備を引っ提げて乗り込んだはいいが、粘着されていると勘違いされてしまった。母娘から冒険者と受付嬢という新しい関係に距離感を掴み損ね、挙句の果てに母がダンジョンの魔物達と戦うことになってしまった。


「私の不手際でエッダを迷宮の奥底へ追いやって、どれだけ謝っても――」

「……なんで母さんが謝ってるの」


 娘を追い詰めた慙愧の念に顔を伏せながら謝るニアだったが、謝罪の言葉をエッダが遮る。


「愚痴の手紙ひとつで母さんは来てくれた! なのに勝手に勘違いして、魔女様達に相談して、皆をけしかけたのは私だよ!? そこは怒るところでしょ……」


 母に対して自分のしでかしたことを懺悔するエッダ。ストーカーが正体不明だった時の乗り気だった感情が後悔に反転し、彼女の目には大粒の涙が浮かんでいる。

 正体を明かせないまま娘に恨まれ、本来は冒険者の味方である相手から狙われる心境はいかばかりか、ダン長もマギリア達も想像が及ばなかった。


「お前の溜めた冒険者への恨みつらみの結果がこれなら、冒険者として、そして親として受け止めたまでだ。むしろ他の冒険者に御鉢が回らなくてよかった」


 ニアはエッダの目を見据えて答える。アインとして接触したことがきっかけに彼女の冒険者への悪感情が爆発したのなら、その気持ちに向き合うのが自分の役目だと。『母』でなく『親』と言ったのは、亡き父ガイナスが逆の立場ならニアと同じことをしていたという確信が含まれていた。


「母さん……」

「……いつかは打ち明けるべきだと思っていたが、まさかこんな形になるなんてな。案外、このダンジョンでよかったかもしれないな」


 感極まったエッダが席を立って母に飛び込み、親子の抱擁を交わす。ニアにとっては思わぬ暴露になってしまったが、ボロボロになりながらダンジョン奥までたどり着いたことで、計らずも娘への情の深さを体現した。

 エッダも母への想いが冒険者に抱く恐怖を上回り、冒険者の正体が露見してもなお変わらぬ好意を示している。わだかまりの解消を見て、キャンディがハンカチで顔を覆って泣いている。


「苦労かけてごめんね……母さん……」

「いいや、エッダの今までに比べればな。一人で知らない村に越してきて、嫌な仕事にも向き合ってるんだ。ちゃんと生活できてるだけで、母さんは充分誇らしいよ……」

「母さん……」


 娘が一人で抱えてきた心労を気遣い、ニアが温かい言葉を送る。それを受け取ったエッダが震える唇から返す言葉を紡ぐ。


「それ、相談に来た日に同じこと魔女様から聞いた」

「「「……」」」


 場の空気が凍り付く。一同の目線は母の労わりを先に伝えてしまったマギリアに集中する。


「私が悪いのか!? ただ実家に残したご家族がエッダを見たら何て言うか想像して言っただけなのに! エッダだって、黙ってれば穏便に終わってたとこだろ!?」

(相変わらず一言多いなこの娘は……!)


 無言の目線に顔を真っ赤にして反論するマギリア。余計な一言の癖は変わっていなかったようだと心の声で突っ込むダン長だった。


「そ、そうだ。エッダの相談に乗ってくれたダン長と魔女殿達には大変世話になった。何か礼をしたいのだが……」

「ほほう、恩を返したいと言うか」


 悪くなった空気を無理矢理遮ってニアが話題を変える。その話題はダン長達には都合がよかった。当初の予定通りではストーカーを捕縛した上で交渉をしかけようとしていたことだが、なんと向こうから恩返しを持ちかけてきたのだ。マギリアは表情を切り替え、口角を吊り上げる。


「ならば、ニアさんにはこのダンジョンが抱える問題の解決に協力して欲しい。その問題とは――」

 

 ダン長達はニアとエッダに、本当の目的を語る。ダンジョン最深部に決して破れない結界を張って眠るボスのこと、一向に目覚めないボスを国が楽観視して警戒を打ち切ったこと、代わりにダンジョンの者達で対抗すべく強力な仲間を集めていることを。






「へえー、それでアインさ……ニアさんが味方になってくれたんですね」

「ああ、恩返しと償いの意味もあったが、どうもこっちに来てからの生活で戦っていた頃の魂が蘇ったらしい」


 翌日、迷宮内の酒場でダン長は手紙を届ける仕事から帰ってきたリンとフリッカに結果報告をしていた。目的であった強力な助っ人を手に入れることができて、皆の士気が高まっている。ニアは娘の件の恩返しもあるが、村での冒険者としての生活と悪代官屋敷への挑戦によって、20年以上抑え込んでいた戦闘への衝動が復活したという。


「奴もとんだバトルジャンキーだったわけだ。エッダの了承も得たし、気兼ねなく戦力に組み込めることができるな」


 同席していたマギリアが眠たげに娘からの許しを得たことを補足する。彼女はあの後母娘と救出した冒険者を村まで送り、ギルドの面々に全ての事情を話す仕事を済ませてきた。エッダも母がやりたい冒険を再開することを受け入れるだけ大人になっていた。


「ということは、ニアさんも迷宮に来るようになったんですか?」

「いや、エッダの希望でニアは冒険者養成所の教官をすることになった。冒険者を続けるより危険は無いし、戦いのブランクを取り戻すには冒険者よりも適切だろうからな」

(ああ、親が毎日職場に来るってけっこう恥ずかしいもんな……)


 ニアはその腕を買われて、冒険者の卵を育成する仕事に就いた。戦いから離れた生活で錆びた腕を磨き直せば、今以上の実力者として大きな戦力になるだろう。ダン長は彼女がダンジョン攻略から身を引かされたのは、職場で親と顔を合わせることへの気恥ずかしさもあると推測する。


「エッダも自分の見る目を活かして、冒険者の実力や体調をきちんと鑑みて事故や怪我が無い仕事の割り振りに努めるそうだ。もとより真面目に働いていたが、より熱意を持って仕事に臨むようになったようだな」


 ただ冒険者を嫌うだけでなく、嫌っていた根本である冒険者の犠牲問題に向き合って苦手を克服しようとしているエッダ。彼女の変わりっぷりに感心するマギリアだった。


「それから、こっちでももうひとつ変わった事があるな!」


 ダン長が3人に酒場の一角を指さす。そこには先日最初の番人の間にあったピアノが置かれ、普段の露出の多いサキュバスの衣装ではなくブラウスと黒いタイトスカートに身を包んだイグニスが横に立っていた。


「おお! イグニスがついに酒場で弾く気になったのか!」

「どういう風の吹き回しかわからないけど、あたしは嬉しいわ……」


 興味深げに声をあげるマギリアと、その奥のカウンターで義妹が新しい一歩を踏み出したことに感激するキャンディ。一番近くのテーブル席には黙々と壊れた人形を修繕しているアクアと無邪気に囃し立てるウェンティが座り、衣装を用意したであろうキルトはカウンターの一番奥で黙して聞き耳を立てている。


「今まで姉さん達から評価されても、どうせ身内の買いかぶりだって決めつけてた。でも昨日は初対面の、それも敵だったエッダのお母さんから褒められたんだ。だから、少しだけ皆にも確かめてもらいたいって気になっただけ、それだけだから」


 イグニスはそっけない口調で照れくさそうに理由を話すと、一礼をした後に椅子に座る。緊張の汗をぬぐい、一息ついてから演奏を始める。

 彼女が奏でるのは幾度と個人で練習していたしっとりと落ち着いたバラード。和装の男女が紅白の番傘を手に雨の竹林を並び歩く情景を思わせる、そんな和風の曲調だった。決して煌びやかではないが慎ましく心身に寄り添うリズムは、切なげなピアノの音とあいまって冒険に疲れた戦士達の心をほぐす一助となるだろう。


「……これは?」

「戦争が終わり、この国で骨を埋めることを決めたマレビトの演奏家が遺した、故郷を思って作った曲だって。私のお気に入り」


 ノスタルジックな思いに浸るダン長に、弾きながら淡々と解説を加えるイグニス。彼女の旋律は丁寧ながら独学の癖がやや強いが、その素朴な打ち込みも、名曲のカバーアレンジのように人の意識を惹きつけるアクセントとも解釈できる。


「こんな曲が聞けるだなんてイグニスにはもちろん、この子のピアノを外に出してくれたニアにも感謝だな」

「……おお、そう言えば報告を忘れていた! そのニアだが、養成所の就任が体調不良で数日ほど遅れるらしい」


 音楽をBGMに世間話を振るマギリア。


「あの人どうしたんだ……怪我ならマギリアが治して帰したはずだろ?」

「いや、筋肉痛」

「筋肉痛」


 長年のブランクから全力で迷宮を走り回った末に、筋肉痛で動けなくなってしまったニアに眼を丸くするダン長。彼の脳内に、イワシのあのコメントがリフレインする。


“特にワシら年寄りなんかは、筋肉痛なんかも若いモンより遅れてきて長く残るしのう……”

【海神の娘と悪代官屋敷 13/13(結) 海神の妻子と悪代官屋敷】

 ストーカーの正体がエッダの母と判明してから事情聴取になり、マギリアは救助直後に聞いたダン長の推理の根拠を聞き出す。アイン改めエッダの母・ニアは自分が冒険者だと明かすと娘を不安がらせてしまうと思い己の来歴を隠しており、嫌いだった冒険者の応対をする仕事を始めた娘を心配して来たのだった。ニアが傷つきながらもここまで来た熱意が功を奏して母娘は和解、後日イグニスの弾くピアノを聞きながらニアが冒険者養成所の教官となったことを知る。

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