■孝編 その13
20XX年7月23日 日本・東京 22:20
「おまえ、ひょっとして学じゃないか?」
そう、たぶん学だろう。
身長185センチの男が、そうそういるとも思えない。
すると間もなく男は口を開いた。
「そうだ、学だ。その出来損ないのセーターを着ているところをみると間違いはないな」
棒を手のひらでポンポンと叩きながら、話しかけてきた。
『しかしなぜ?』
孝は思った。
『なぜ親友の学からこんな仕打ちを?』
と。
「なんだ? 驚いた顔をして? ん?」
学が見下しながら話しかけてくる。
「なぜって顔しているな? 違うか?」
まさにその通りだ。
孝が口を開こうとしたそのとき、学がなおも話しかけてきた。
「お前まさか俺のことを親友だ何て思っていないだろうな?」
「!」
「おっと、図星だったようだな。はは、笑わせやがる。俺がお前ごときを親友なんぞと思うわけないだろ? お前は俺の敵だよ。それに気がつかないなんて、どんだけ鈍感なんだよお前は?」
「なんだと?」
学の意外な告白の連続にとまどいを隠せない孝。
その瞬間、変化した孝の表情に機敏に察して学は言う。
「なんだ、その顔は? ってことは、梢からなにも聞いていないのだろうな」
「どういうことだ? 梢から聞いていないって……」
「ふん、梢はな、俺の女なんだよ」
余裕の笑みをたたえながら学。
「なんだと?」
「お前もいいザマだな。そんなことも知らずに、梢と付き合ったつもりで有頂天になっていたんだからよぉ」
その時、いきなり棒で一撃を食らわされた。
突然のことだけに防御が間に合わず、モロに頭に入った。
そして学は話し続ける。
「ふふ、俺は梢をハニートラップとしてお前に送りこんだんだよ。お前を骨抜きにして、俺から奪いやがった大阪行きの栄転から引き摺り下ろすためにな」
また棒が振り下ろされて、キツイ一撃を浴びる。
「……ど、どういうことだ?」
体力を使い果たしてしまったいまの孝には、反撃するだけの体力は残っていない。
「お前は最初から気に入らない野郎だったよ。上司にうまいこと媚びへつらいらやがって。実力もないくせに、この俺を出し抜きやがった。お前が梢に心底惚れていることなんざお見通しだったからな。梢がお前に東京に戻ってくるよう頼めば、お前は断ることなくホイホイついてくるだろうと踏んだのさ」
『梢が? あいつはそんなこと一言も言わなかった。しっかりと大阪での勤めを頑張れと送り出してくれたはず……』
そう、思い出してみてもただの一度もそのようなことを言わなかった。
それはなぜ?
そんな考えを巡らしているとき、さらに力強い一撃を喰らうと棒はへし折れ、鉄柵を飛び越えて落下した。
間もなく木が地面にぶつかり、トーンという軽い音が聞こえてきた。
血みどろになりながら、なんとか口を開いた孝。
「う、嘘だ……」
余裕の表情で孝を見下ろす学。
「この後に及んで嘘だとは、どこまでおめでたい奴なんだ? まぁ、こんな時代になっちまったら仕事もクソもねぇ。あんな女なんぞもどうでもいいさ。誰とでも勝手にくっつけばいい。後は知ったこっちゃねぇ。貧乏人の娘なんぞには鼻から用はないからな。ふふ。所詮は俺の付き合っていた女の中の一人に過ぎんわけさ」
「梢……」
「お前、梢とはもう寝たか? それなら知っているだろう? ほくろの場所とかよ、梢の性感帯は……」
「やめろ!」
学の言葉をさえぎるように力を振り絞って怒鳴る孝。
「くく、まぁそれならいいさ。死ぬまでいい夢でも見ていな」
そう言うと学は孝を鉄柵に押しつけつつ、首に手をかけて力を込めた。
そしてひとり言のように話し続ける。
「でもよ、会いたかったというのは本当だぜ。お前が生きていることを知った時、すぐにでも来てもらいたかったからな。でもよ、俺以外の手で死ぬことだけは許せなかったのさ。メールを打つタイミングを今か今かと待ち構えていたぜ。くくく、これが遠距離恋愛の醍醐味ってやつか? ネカマとしての立場だけどな」
「にしても、ドンピシャだったな。ここで待っていれば必ずお前に会えると踏んではいたが」
「こんな世の中になっちまったら、もう生きる価値も希望もない。俺にとっては、せいぜいちょっとした恨みのあるお前に仕返しをするくらいしかな」
「ぐっ……」
喉を締め付けられ、声にならない声がしぼり出た。
「俺を出し抜きやがったお前からだけは、キッチリけじめをとっておきたかったからな。まったくふざけやがって、貴様ごときが」
「以前ではこんなことは許されなかったことを考えると、こんなになっちまった世の中でも少しはいいところはあるのかもな」
学の両手にますます力がこもる。
「これからは嘘偽りなく生きることができる。みんなむき出しの本音だけしかないのさ」
「食いたければ奪い、抱きたければ襲う」
「こんな当たり前のことができなかった以前のほうが、もしかしたら異常な状態だったのかもな」
「ごほっ!」
「死ね……」
『死……』
このままでは間もなく訪れるであろう死に直面したその時、孝は無意識のうちに奇妙な行動をとった。
「ガン! ガン!」
最後の力を振りぼって、もがきだしたのだ。
しかし、もがくといっても首を絞められている手をほどくわけでもなく、ひたすらに鉄柵に体をぶつけ出したのだ。
そのおかしな行動にあっけにとられる学。
「なんだ? 今際の際でおかしくなったか?」
孝の行動をあざける学。
しかし、その時異変が起こった。
「バキッ!」
「な、なんだ?」
腐っていた鉄柵がへし折れたのだ。
しかし、孝はこうなることを知っていた。
この鉄柵が腐っていて、簡単に壊れるであろうということを。
以前、梢の家に遊びに来た時に目にした、
「危険! 物を立てかけたり、寄りかからないでください」
という張り紙がしてあったことを、思い出したのだった。
しかし、今は張り紙はなくなっていた。
誰かがはがしたのか、どうなったのかは分からないが。
そして重力が二人を地面へと誘う。
そのことを知らなかった学は、当然、力強く孝を鉄柵に押しつけていた勢いで宙に放り出された。
孝は万全の態勢でこの瞬間に挑んだ。
落ちる瞬間に残っている鉄柵につかまれば、助かるであろうことに賭けたのだ。
鉄柵が決壊した瞬間、手を伸ばし、柵を力強くつかんだ、が、つかんだ場所ももろかったようで、ちぎれてしまったのだ。
「!」
思いもよらない出来事に、孝の脳内のあらゆる映像が反転した。
走馬灯……。
すべてが、一瞬の出来事だった。
まもなくすると、
「ガラン!」
鉄が地面に叩きつけられた音とともに、グニャリという肉が潰れるよな音が続いた……。




