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■山田玲子~過去~

人のものでなければ満たされない恋心というものはある。


少なくとも山田玲子の恋愛観にはその事実がピタリと符号した。

不倫や略奪愛なんかもそうだが、玲子のこれまでの恋愛は押し並べてその傾向が強い。


いや、それは恋愛に限ったことではない。


例えばこんなことがあった。

子供の頃、仲の良い友だちの持っている人形と同じものをわざと親に買ってもらったのである。

しかも、その子のものより高い洋服を着ている人形を。


それを持って遊びに行った時、当然その子は嫌な顔をした。

そんなことを度々繰り返すことによりやがて友情を失った。

が、代わりに優越感が残った。


勉強やスポーツにしてもそうだ。

得意としている相手のさらに上を行くことは、そんな幼少時に感じた快感と同じ興奮を玲子に与えてくれるものとして成り代わり、それだけにそれらに励み打ち込むようになった。

それは恋愛にしても同様。

生まれながらにして美貌を持ち合わせていた玲子は、そちらの方でも思うがままに振る舞うことができ、嫉妬と羨望の眼差しがより玲子の美を磨き上げた。


玲子が美く優秀であることは、そのような独特な価値観に裏打ちされている。


成績にしても洋服にしても靴にしても鞄にしても指輪やネックレスにしても、そして男にしても、玲子が欲しと感じるものは、その持ち主と自分のどちらが釣り合いがとれるのか、そして似合うのかということが何よりも重要だったし、どちらがふさわしいのかということも当然わかってのことでもある。


そして手に入れた時の愉悦。


だが、しかし大体において共通したことに、自分のものになると途端に興味が失せるのも早かった。

そのことについては、なんとなく気がついてはいた。

そう、別にそれらのものが本当に欲しいわけではないということを。


自分が手に入れた一方で失うことになる相手の表情、気持ち、憎悪、嫉妬、落胆……玲子が欲しいのはそれなのだ。


貴金属の輝きを高めるのはそれを欲しがる人間の欲望や羨望、嫉妬である。

同様に男を引き立てているのも、そこに群がる女達の視線なのだ。


玲子はそれを怪盗のようにさらっては、取り巻きどもを失意に突き落とし続けた。

刹那の快楽に身を焦がし、そしてすぐに新しい獲物へと目を向ける。


そんな玲子のお眼鏡にかなったのが昇だったのだ。


しかし昇という男は、それまでの玲子の華麗な男遍歴から鑑みると、見た目も社会人としての能力もおおよそふさわしい相手ではなかった。

身長も玲子より低いズングリとした体型を持ち、仕事もノロマ。

同僚から口汚く罵られているのを耳にしたこともある。


本来であれば玲子にとって路傍の石でしかない昇ごときに目を奪われた理由としてあるのが、その恋人の存在だった。

名前は……この際どうでもいい。

見た目は昇同様にパッとせず、女としてのそれも20代という輝ける年代にありながらもまるで光沢がない曇りガラスのような印象。

そんな二人が会社の屋上で仲良く弁当なぞを食べているのを目にした時、ちょっとしたイタヅラ心が疼いたのだ。


ママごと的恋愛に自分のような獣然とした闖入者が舞い込んだらどうなるのだろう?

それまでの玲子における恋愛のライバルは、同等かそれ以上という相手であることがほとんどだった。

そして、そのしのぎの削り合いの果てに自らが磨かれていったと言っても間違いはなかった。


そういう意味においては昇を手に入れることにはステイタスがないだけではなく、自らを貶めることにすらなりかねないのだが、そこに新しい快感が潜んでいるのではないか?といういやらしい打算が働いたのだ。


言ってしまえばそれまでの相手はいずれも美男美女。

それだけに別れた後でもすぐに次の相手が見つかるという、インスタントな恋愛をいくらでもできる連中ばかりだったのだが、今回は違う。


お互いに次の相手が見つかる可能性が低い底辺とも言えるカップルなだけに、ぶち壊しにされては後がないだろう。

そう思ったのだ。


玲子の恋愛はバラや蘭を思わせるような美しいものばかりだが、


『たまには野菊も悪くはない』


その程度の事だった。


思うが早いか、玲子はさっそく昇にアプローチを仕掛けた。

予想通り、すぐに落ちた。


本来であればこの後に昇の彼女に関係性を見せつけて終わりのはずだったのだが、女ズレしていない昇との関係は不思議な興奮を起こさせた。


性についてもまるでお子様。

それを手ほどきしていくのが面白く、そこにも夢中になった。


ある日玲子は彼女のとっておきの服と下着を持って来いと昇に命じて持参させた。

昇が彼女の誕生日にプレゼントしたものだというのだがかなりセンスが悪く、スレンダーな玲子にはサイズもダブダブ。

玲子の美的観点からすれば即ゴミ箱行きのそれら洋服と下着を身につけてから昇に抱かせた。

その時に見せた昇の背徳をにじませた表情は玲子の快感に深くえぐりこんだ。

そしてさらなる快感を求めるために、行為はますますエスカレートしていく。

嫌がりながらもやってのける昇のしぐさもまたいい。


ウブなママごとレベルの昇と彼女の性行為に変態的な味付けを施させたのも玲子だった。

そしてそれら破廉恥な行為を撮影させて、持ってくるようにも命じた。

気恥ずかしそうにする昇と一緒に鑑賞するのも楽しかったが、その行為をコントロールしているのは浮気相手の玲子であり、それにより快楽を深めていく昇の彼女のみだらな姿を見るのもたまらない刺激となった。


また、その行為をテレビやパソコンなど部屋にあるあらゆる再生装置に映し出したうえで、まるで同じシチュエーションで昇に抱かせたときには、それまでに感じたことのない絶頂感に身体が貫かれる思いすらした。

彼女の豚のような喘ぎ声も良きスパイスとなって耳障りも悪くはない。


その愉悦を与えているのは、ほかでもない浮気相手の玲子自身なのだから、相手にとってこれほどの屈辱もそうはないだろう。

愛されているからこその行為と思っていても、本音はあろうことか姦通相手の女がやらせていることなのだから。


昇の彼女を目隠し手枷をさせたまま行為に及んでいるのをソっと隣で見ていた時も楽しかった。

また、玲子が昇の全身を舐り倒した体を洗わさせないまま彼女と行為をするように言ったときもバレはしないかと考えつつも、


「次はどのようなことをしようか?」


というアイディアの源泉ともなり、行為の過激さはとどまるところを知らなかった。

そして知らないうちに昇への思いが深まっていることも。


彼女との変態行為を強制しながらも、その実不思議な嫉妬におそわれることが度々あったのだ。

映像を通して昇とその彼女との幸せな関係を見つけてしまうと昇に対して辛く当たる。

そもそも自分でそそのかしておきながら。


『なんなんだろうこの感じは? なんでこんなに苛立っているの?』


にもかかわらずより激しく昇と彼女との一体化を強要させて、それを見てさらに苛立つという意味不明なことを繰り返しつつも、そんな理解不能であった悩みは日に日に形を伴い始めていた。


『もしかして昇のことを好きになっているのだろうか?』


そう頭によぎるたびに首を横に振りつつも、日増しにそのことを考える時間が増えていく。

そこに対してさらに苛立ちを駆り立てられるという連鎖にはまっていた。


しかし、そんな関係もつい終わりを迎える時がきた。

昇の彼女が玲子との関係を知ってしまったのだ。

密告の出どころは不明。

問い詰めたところ、昇が言ったわけではなさそうだ。

それなら誰が?

なんのために?


とはいえ、バレてしまったものはしかたがない。

いつもどおりに捨ててしまえばいいだけのこと。

昇ごときが気になるという、自分らしくなさが頭の中を支配しだしている時だっただけに、ある意味いいタイミングでもあった。


昇とその彼女を呼び出しての話し合いが始まった。

せいぜい高飛車にサヨナラを言い渡すつもりだったはずだが……


「昇はあなたには渡さない」


口から出たことはなぜかまるで思ってもいないことだった。

自分でも意味がわからなかった。


『私さっきから何言ってんの? 早く引導を渡さなくちゃ』


頭のなかではストップをしようとしても、口からは次々に昇への思いが不思議なくらいにあふれだす。


その言葉を聞いて怒りを露わにする昇の彼女。

それは見ていてとても気持ちがいい。

が、しかし、これもおかしなことなのだ。

こんなブスなんて眼中にないのだから、そもそも優越感にひたるということは自らのレベルを落とすのと同義だからである。

しかし、心には嘘はつけない。

もちろん昇だって私と同じ気持のはず。


が、昇はというと私にすぐさまなびくのではなく、言いよどむという歯切れの悪い態度。

それには非常にプライドを傷つけられた。


『こんな女と私なんて天秤にすらかけるものじゃないでしょ!』


しかしそんな魯鈍な昇に怒りを感じつつも、そこにまた昇らしさを嗅ぎとってさらに気持ちを深めてしまう。

もしかしたらこれが人を好きになるということなのだろうか?

玲子はそのことが気になった。


愛は綺麗なものやストレートなものばかりではない。

まさかこのような形で気持ちを揺さぶられようとは。

玲子自身も驚いたことではあるが。


そして話の決着は昇に決めてもらうこととして解散となった。


X日後、関係を続けたい相手に連絡をするということで。


『昇はきっと私を選ぶはず。いや選ぶのだ』


そんな思いを抱いて待っていた時に、このおかしな出来事が世界を襲ったのだった。


そう、顔が皆同じになってしまうという奇病。


運がいいのか悪いのか、休日出勤中に起こったことであり、十数階に位置するオフィスにはその直後に起こったパニックの類は及ばなかった。


オフィスに籠城すること数日。そして、ついに約束の日が訪れた。


でも、私にはわかっている。


昇が私を選択するということを。


そのとき私は何を感じるのか?

みんな顔が同じになり、これまでのように比較対象が消滅した現在、残される感情は……。

そして一体何を期待しているのだろうか?

玲子はそれが知りたいのだ。


■20xx年7月23日 日本・東京 20:44


「ここよ!」


着いたのは6階建てのマンションの手前だった。


到着するなり女は自転車から飛び降りて、足早に玄関前まで駆けて行った。


「ねぇ早く!」


急かす女。


しかし孝は全力で自転車をこぎ続けたので、体力がほぼない。


「ちょっと待ってくれ……」


肩で息をしながら返答をする孝に、なおも催促する女。


「待てったら。暴漢がいたらこの状況じゃやられちまうだろ? 少しだけ待ってくれ」


女は居ても立っても居られないというふうで、建物の上の階を見続けている。


数分後、体力がある程度回復した孝は、女とともに階段を使って登って行った。

万一、暴漢がいた場合、エレベーターを使っては気がつかれてしまう可能性を配慮してのことだ。


今の孝の体力から考えるとエレベーターを使いたいところだが、こればかりは仕方がない。

ここまできたのに、やらてしまうわけにはいかないのだ。


ようやくたどり着いたのは6階。

焦る女を制して、孝は慎重に慎重を重ねて、歩みを進めていく。


「一番奥の部屋よ」


小声で女は孝に話しかけた。

無言で答える孝。

ドアの前に立ち、ノブに手をかける。


「ガチャ」


開いた。


「昇!」


そして、女はせきを切ったように部屋になだれ込んだ。

が、間もなくして悲鳴が聞こえた。

孝は一瞬暴漢かと思い身構えたが、どうやら違うようだった。


部屋の中に入る。

すると奥の部屋には、男女の死体があった。

そして女はその近くに崩れるようにへたり込んでいた。

死体のあたりには薬の瓶らしきものが大量に散乱している。

争った後がまるで無いことからも心中である可能性が高い。

だとしたら、昇という男とこの女との関係はいったい?


「……」


静かに泣いている女の背中をただただ見つめている孝。

三角関係?

それとも女は浮気されていた?

もしくは一方的に女が昇という男に惚れていた?

不倫かもしれない……。


状況がわからないだけに、慰めるべき言葉が見つからない。

しかし、結果はどうあれこの女から梢のことを教えてもらわなければならない。

何度も言い聞かせていることだが、急がねばならないのだから。

タイミングを見計らい、女に話しかける孝。


「こんな状況の中すまないが、俺も急いでいるんだ。梢について知っていることを教えてくれ」


沈黙ののち女は立ち上がり、孝に向かい合って話し出した。


「……ごめんなさい。あなたの恋人のことを知っているっていうのは嘘なの」


「なんだと?」


いやな予感が的中した。

いきなり女の胸倉をつかむ孝。

しかし、女はぐったりと力をなくしてまるで生気がない。


『殺してやろうか?』


一瞬考えたが、いまはその時間も体力も惜しい。

女から手を離し、無言のまま出ようとしたところ女が話しかけてきた。


「本当にごめんなさい。その代わりといってはなんだけど、会社のさっきの階にある金庫に食料を隠してあるわ。よかったらそれをもらってちょうだい。金庫のダイヤルはXXXよ」


一瞬向き直る孝。

女はうつむいている。

そしてぽつりと一言漏らした。


「もう、私には必要ないものだから」


「……わかった。ありがとう」


そう言うと孝は急いで玄関を出て、エレベーターに直行した。


『急がねば』


マンションを出て自転車にまたがったそのとき、


「ドシャ!」


何かが地面に落ち、潰れたような音がした。

背中にひやりとするものを感じた。

が、あえて振り返らずに自転車をこぎだした。


孝は思った。

この状況は決して他人ごとではないと。


『もしも梢が死んでいたら俺ならどうする?』


いやな思いを追い出すように頭を振って、無理やり空っぽにした。


『おれが信じないでどうするんだ! 迷いを捨てろ!』


そう思いつつ、孝は一心不乱に自転車をこぎ続けた。

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