第9話
塔の遠くで時刻を告げる鐘が鳴った。
カレンは書類から顔を上げ、ほとんど癖になった仕草で窓を見る。
銀色があった。
「……いた」
ほんの少し体温が上がった気がして、カレンは反射的に目の前の書類へ視線を戻した。
そのまま何食わぬ顔で一行読み――ふと、周囲がいつもより静かなことに気が付く。
同僚たちはすでに昼食のため、それぞれ席を立っていた。
もう昼休みだ。
窓の外へ、もう一度だけ視線をやる。
手元の書類はあと一ページだけだった。
やっつけにならないよう、三回念入りに確認し、印をつけて処理済の箱に入れる。
「……よく晴れてるしね」
カレンの昼食はいつもサンドイッチだ。
用意が簡単だし、何より片手で食べられるので、自席で仕事をしながらでも昼食をとることができる。
この日、彼女は自分に言い訳をして、昼食を片手に塔を後にした。
***
外に出て真っすぐ向かったのは、窓から見えるベンチだった。二つ横並びになったベンチの片方は、すでに先客で埋まっている。
銀色の髪を後ろになでつけ、袖をまくった腕を頭の下に敷いて横たわる姿は、近くで見ると二人掛けのベンチから半分以上足がはみ出していた。
燦々と照る太陽に惜しげもなく晒された、陶器のような肌。見ているこちらが日焼けを心配してしまうほど白い。
随分と無防備だ。
そこまで考えてから、カレンはふと瞬きをした。
「……何してるの、私」
いつの間にか立ち止まって、寝ている男をじっくり眺めていた。
誤魔化すように、隣の空いたベンチへ腰を下ろす。
起こす理由はない。そもそも起きていたとして、何を話すつもりだったのだろうか。
我に返ると途端に居心地が悪くなり、気を紛らわすように持ってきた昼食の包みを開けた。
今日の昼食はトマトサンドだ。
普段の仕事中に片手で食べるには少し食べづらさがあるが、カレンはこれがお気に入りだった。
具が落ちないように気を遣いながら、食べすすめる。
最後の一口を飲み込み、脇に置いたお茶に手を伸ばしたところで、目が合った。
「……いつから起きてました?」
カレンは思ったよりも冷静な声が出た自分を内心で褒めたたえた。
「少し前だな」
食べ終わるのを待っていたということだろうか。
そう思うと、急に自分がどうやってサンドイッチを食べていたのかまで気になってくる。
「起きてたなら声かけてくださいよ」
「食ってたからな」
ダレルは頭の下に敷いていた腕を抜き、そのままゆっくりと体を起こした。長いこと同じ姿勢で寝ていたせいか、肩を回し、次いで首を傾ける。
風が吹き抜け、視界の端で枝葉がかすかに揺れた。
陽射しは暖かいが、風にはまだ春先らしい冷たさが残っている。
カレンは急に手持ち無沙汰になって、またお茶に手を伸ばした。一口飲んでから、食べ終えたサンドイッチの包みを畳む。
隣からは何も聞こえてこない。
さっきまでなら、寝ているのだから当然だった。
けれど起きているとわかった途端、その沈黙が妙に気になる。
何か話したほうがいいのだろうか。
けれど、何を。
カレンがお茶の入ったカップを両手で持ったまま考えているうちに、庭を抜ける風がもう一度、二人の間を通り過ぎた。
***
「……いつも、昼休みはここで寝てるんですか?」
「晴れてればな」
知っている。だから晴れの日は窓を確認してしまうのだ。
「おまえは?」
思いもよらない返しに、カレンは目を丸くした。
ダレルの視線が、飲みかけのお茶と空になった昼食の包みへ落ちる。それから何気なくこちらへ戻ってきて、目が合った。
「昼休みだ。いつも何してる」
「普段は自席で食べながら仕事してます」
「今日は気分が変わったのか」
誰のせいでここまで来たと思っているのか。
なんて、言えるはずもない。
カレンはふいと視線を逸らした。春の空には雲一つなく、言い訳には十分なくらいよく晴れている。
「……よく晴れてたので」
「外で食うのも悪くないだろ」
そう言って彼はどこか得意げに庭を見渡す。
「ここは風も通るし、昼はこの辺りが一番いい」
「副団長の庭じゃないでしょう」
「おれしか寝てないがな」
ダレルは悪びれる様子もなく言って、わずかに口角を上げる。仕事の話をしているときとは違う、どこか気の抜けた表情だった。
木々の隙間から落ちる陽ざしが、銀色の髪に反射している。それが眩しくて、カレンは少し目を細めた。
それからも、ぽつぽつと言葉を交わした。
庭の木や花のこと、冬や雨の多い時期の昼寝事情。
第一がまた実験で爆発させた、なんて話まで。
会話が途切れても、先ほどのような居心地の悪さはなかった。
ダレルも特に次の話題を探す様子はなく、ベンチに深く腰掛けたまま庭を眺めている。
カレンもいつの間にか、何か話さなければとは思わなくなっていた。
風が吹くたびに、頭上で木の葉がさらさらと音を立てる。
いつもなら、とっくに自席へ戻っている時間だ。
食事を終えたあと、こうして何もせずに過ごすのはいつぶりだろうか。
ぼーっと風に揺られる木々を眺めながら、春の陽気を全身で浴びるのはとても心地よかった。
しばらくして、遠くでまた時刻を告げる鐘が鳴った。
カレンは荷物をまとめて席を立つ。
「…また来るか?」
「晴れてたら」
口から出た言葉には、言い訳のような響きが滲んでいた。




