第7話
「ちょっとどうしたんですかその恰好!」
職場に戻ると、案の定アリシアが大げさなほどに悲鳴をあげた。
言いたいことはわかる。カレンだって、仕事だと言って出ていった同僚がずぶ濡れになって帰ってきたら大声をあげただろう。
「散水機が暴走しててね」
「散水機でそんなことになります?」
アリシアの視線が、濡れた髪から肩に掛けた騎士服へ落ちる。その途端、心配そうだった顔が、見慣れた友人のものに変わった。
「というか、それ誰の上着なのよ」
「借りたの」
「それは見ればわかるわ」
「返すから、あとにして」
心配してくれるのはありがたいが、今はそれどころではなかった。
まっすぐに自席に戻る。前の二件の記録は探すまでもなく、机の端に置いたままにしてあった。
二冊の資料を広げて、目当ての陣の歪みを書いた図を確認する。
一件目、騎士団本部から見て西側へ引っ張られている。つまり塔の方だ。
二件目、第三の部屋から見て斜め上へ引っ張られている。
必要な情報は、もう揃っているはずだった。
「トラヴィスさん」
「話は聞くから、先に着替えてきてくれるかい?」
困ったような顔をした上司に、ようやく自分の姿を思い出す。
濡れた服に、肩には借り物の騎士服。
確かに、先に着替えろと言われても仕方がなかった。
「……そうします」
泊まり込みになった時のため、ロッカーには一組着替えを置いてある。
こんな用途で使うことになるとは思わなかったが。
***
着替えを済ませて執務室に戻ると、トラヴィスは打ち合わせスペースへ移動していた。
周囲を囲う記録板は、書きつけた内容をそのまま見せながら話すためのものだが、簡単な仕切りにもなる。声を完全に遮るほどではないものの、自席で話すよりは周囲に聞こえにくい。
何の話をしに来たのか、トラヴィスも察しているのだろう。
「お待たせしてすみません」
一言添えて、向かいに着席する。
特に気にした様子もない彼の前に早速資料を広げ、説明を始めた。
「先ほど三件目の故障があり、庭の散水機が噴水化していました」
「それで?」
「魔石のほかに、平時よりも出力が上がった時に何かに引っ張られて陣が歪むのではないかと仮説を立てています」
続けるよう頷く上司を確認して、前の二件の記録を広げる。
新しい紙を一枚取り、三件目の陣と歪みの方向を簡単に描いて、二件の記録の横に並べた。
一件目は騎士団本部から見て西側――魔法塔の方角。三件目も同じく、庭から塔の方へ歪んでいる。
外で起きた二件は、どちらも塔を指している。
二件目だけは塔の中で起きた故障だ。第三から見ると上方向、それも少し東へ引っ張られている。
「原因が塔の中だとすると、どの辺りだ?」
「この向きなら……上です」
「上?」
「正確には上階で、二件目の歪みを見る限り、この部屋より東側。騎士団と庭からの方向も合わせると……」
三件の方向が重なる先を、頭の中の塔の配置と照らし合わせる。
魔法塔の最上階、その端。
「……第一」
「第一で、この系統の魔石に関係する実験をしていないか確認してきます」
***
目的地の第一の根城は塔の最上階の奥の奥だ。
階段を上りきり、長い廊下を進む。いつもの通り、進むにつれて人の気配もなくなっていた。
重厚な木の扉の前で、呼吸を整え三回扉を叩く。
しばらく待つと、いつものギィという鳴き声と共に扉が開き、隙間からぼさぼさの茶髪がのぞいた。
「なに」
額に保護眼鏡、右手にはペン、左手には食べかけのパン。
昼食中なのか仕事中なのか判断に困る姿の男は第一の研究者の一人。
見知った顔ではあるが、長く話すと厄介なタイプの男だ。
「第三のカレン・ウェルナーです。この系統の魔石に関係する実験を、今していますか」
散水機から外してきた魔石を掲げて見せる。
「してるけど」
男は掲げた魔石にちらりと目をやっただけで、半分閉じかけていた扉を開く様子もない。
用件がそれだけなら早く戻りたい、とでも言いたげだった。
「どんな実験を?」
「魔力を集めるやつ」
嫌な予感が当たった。
カレンは今すぐ頭を抱えたい衝動を、どうにか堪えた。
いや、まだ決まったわけではない。条件がひとつ合っただけだ。
「作用するのは、この系統だけですか」
「今のところは」
男が左手のパンを一口齧る。
その気のない態度とは裏腹に、聞きたくなかった答えばかりが返ってくる。
「いつから動かしています?」
「二十日前?」
一件目の故障は今日から十六日前。
時期まで一致しているとなれば、もう偶然で片づけるのは無理があった。
どうやら、三件の原因はこの実験で間違いなさそうだ。
だというのに、当の本人は未だなぜ質問されているかすら理解していない様子だった。
「作用範囲は?」
「この階くらいじゃない?」
一瞬、言葉が出なかった。
三件も同じ異常が続き、騎士団にまで調査を頼んだ。その原因が、まさか作用範囲すら把握されていない実験だったとは。
呆れるより先に、これまでの調査が頭をよぎった。
「……騎士団まで届いていますけど」
「騎士団?」
男がようやくパンから口を離した。沸々と怒りがこみあげてくる。
この男は、実際の作用範囲をろくに確認もしないまま、二十日も実験を続けていたのだ。
「少なくとも三件、その実験の影響を受けて魔道具の陣が歪んでます。騎士団の設備と、第三の冷蔵箱と、庭の散水機です」
「へえ……そんな遠くまで」
男の目に、今度は明らかな興味が浮かんだ。
「感心してないで止めてください」
「でもそんな遠くまで作用するなら――」
「止めてから考えてください」
これ以上は譲らないと、念を押すように男を見据える。
その先の言葉は待たず、半開きの扉を押し戻した。そのまま踵を返す。
こんなくだらない理由だったとは。
原因が判明した以上、騎士団にも報告しなければならない。
あれだけ調べてもらった副団長に、これをどう説明したものか。
カレンは長い廊下を戻りながら、小さく息を吐いた。




