第3話
その日は朝から少し雲が多かった。
窓から差し込む光も、晴れた日に比べればずいぶん弱い。
一度だけ窓の外へ目をやり、すぐに手元の書類へ視線を戻した。
カレンは曇りの日が少し苦手だった。
先日の騎士団での一件の報告書には言われた通り、魔法陣の歪みと修復に関してだけを記載した。
その後、副団長のダレルから室長へも話が通ったらしい。
室長から、一週間後に経過観察しておくように、との連絡があり、今日がその経過観察の日であった。
修復作業についてまとめた作業記録を手に、カレンは席を立つ。
もう一度ちらりと外に目をやり、上着を掴むと職場を後にした。
階段を降り、外に出ると、雲は思ったより広がっていた。
いつもより緑が濃く見える庭を通り過ぎ、渡り廊下を目指す。騎士団本部までの道のりは以前よりずっと短く感じた。
石塀に囲われた門にたどり着き、封書を提示して中へ入る。
前回と同じように建物の受付へ向かうと、そこにいたのは先日と同じ騎士だった。
封書を差し出すと、騎士はそこに書かれた名前を確認し、カレンの顔を見た。
「おかげで訓練場が元通りです」
笑みを向けられ、カレンも思わず微笑みを返す。
普段は書類仕事ばかりなので、こうして魔道具の実際の使用者から話をきくことはほとんどない。
面と向かって礼を言われ、少し面映ゆい気持ちになった。
案内の騎士に訓練場まで通されると、今日は何か鍛錬をしている様子だった。
訓練場には長机や椅子、さらには背の高いガラス灯が並べられている。騎士たちは、姿勢よく静かに並んでいるかと思えば、突然腰から模擬刀を抜き、打ち合いを始めた。
知識のないカレンにはこれが何の訓練なのかさっぱりわからなかった。
邪魔にならないよう、端をすり抜けて、例の魔道具のもとにたどり着く。
陣の確認手順は思い起こすまでもない。
迷いなく底面の蓋を外すと、そこには一週間前と変わらぬ姿の魔法陣があった。
念のため、陣を構成する線を一つずつ目で追い、再び歪みが発生していないか、掠れはないかを確認する。
手をかざし、魔力の供給量の点検を終えると、蓋を丁寧に戻した。
あれから原因はわかったのだろうか。室長からは経過観察に行けとは言われたが、原因に関する情報は特になかった。
それから、案内の騎士に問題がない旨を伝え、訓練場を後にしようとしたその時。
ガシャン、と大きなガラスの割れる音がして、思わず音のする方を振り返った。
訓練場の中心では、模擬刀を手にした騎士たちが入り乱れていた。
音のした方では、床にガラスの破片が散らばっている。
その傍らには模擬刀を手にした騎士が立っていた。
どうやら振った刀でガラス灯を巻き込んだらしい。
その騎士の頬には細く血が滲んでいた。
「エリオット!今すぐ医務室に行け」
よく通る低い声が響く。
視線を向ければ、怪我をした騎士の傍らに銀髪の男が立っていた。
先日会った副団長のダレルだ。
「嫌です、まだやれます」
エリオットと呼ばれた騎士は、まっすぐ上官を見返した。
その迷いのない拒否に、カレンは少し面食らう。
騎士団にはもっと上下関係の厳しい印象を持っていたが、どうやら全てがそうというわけではないらしい。
「訓練で無理を通そうとするな。休むべき時は休み、然るべきところで力を使え」
ダレルが淡々と言い聞かせると、エリオットはまだ不満そうな顔をしながらも、渋々訓練場を出ていった。
「配置を戻せ。今の組は最初からだ」
大きな一声が飛ぶ。
ガラス灯の周囲に集まっていた騎士たちがすぐさま動き出し、一時乱れていた訓練場が元の形へと戻っていく。
「副団長、灯りは?」
「そのままでいい。実際の会場でも、都合よく何も壊れないとは限らない」
ダレルの指示で騎士たちが散っていく。
配置に戻る騎士たちを見渡していたダレルと、ふと目が合った。
そのまま軽く会釈をして、カレンは出口へ向き直る。
けれど、数歩も進まないうちに、背後から足音が近づいてきた。振り返ると、先ほどまで訓練の指示を出していたダレルがこちらへ歩いてくる。
まさか自分のところへ来るとは思わず、カレンは少し目を瞬いた。
「何かあったのか?」
その問いに、さらに少し驚いた。
どうやら、一週間前にここで魔道具を修理したことを覚えているらしい。
「いいえ。経過観察です。魔法陣にも今のところ異常はありません」
「そうか」
短い返事に、これで話は終わりだろうと思った。
本来なら、そのまま会釈をして立ち去るところだ。
けれど、先ほど確認したばかりの魔法陣が頭をよぎる。
「原因はわかったんですか?」
「……いや、まだだ」
「そうですか…」
少し出過ぎた質問だったかもしれない。
それでも、なぜか答えてもらえるものと思って聞いてしまった。
それなのに、期待した答えでなかったからと勝手にがっかりするなんて、失礼だったかもしれない。
…いや、失礼だったかもしれない、どころではない。相手は騎士団の副団長だ。
こちらから不躾に尋ねておいて、答えてもらったというのに礼も言わず、落胆するなんて。
そういえば、先日の件をわざわざ室長へ報告してくれたことにも、まだきちんと礼を伝えていなかった。
あれこれと考えているうちに、結局口から出たのは、その礼だった。
「室長へご連絡いただいてありがとうございました」
「必要な報告だったからな。何かわかればまた第三にも伝える」
「ありがとうございます」
小さく会釈をして、訓練場を後にする。
帰りの廊下を歩きながら、先ほどの言葉を思い出した。
休むべき時は休み、然るべきところで力を使え。
ふと、庭で眠る銀色の姿が頭に浮かんだ。
休める時には休む。それは部下に言い聞かせるだけでなく、彼自身も同じらしい。
晴れた日に庭で眠っているのも、きっと彼にとってはごく自然なことなのだろう。
そう思うと、窓から何度も見るあの姿が、少しだけ違って見えた。
魔法塔へ戻る頃になっても、空は相変わらず雲に覆われていた。
それでもなぜか、少しだけ気分がよかった。




