第2話
「ああ、帰ってきた」
ヒューゴがあからさまにほっとした顔をしたのが視界の端に映った。
その直後、カレンと目が合うと、ほんの少し気まずそうに視線を逸らした。
何かあったのだろうか。
第三魔道具管理室は、室長を除けば五人だけの小さな部署だ。
一つ年下のアリシアに、室長不在時の取りまとめ役であるトラヴィス、事務を担当するブレット。そして、今声を上げたヒューゴ。
人数が少ないからこそ、会話が多く、気心も知れている。
ヒューゴは仕事こそ優秀だが、自分の領分以外のことには、とことん腰が重い男だ。
「戻ってきて早々悪いんだが、」
トラヴィスから、そう前置きして頼まれたのは、騎士団の設備調査だった。
カレンの職場である第三の正式名称は「第三魔道具管理室」。
第一や第二が開発した魔道具を点検・管理する部署だ。
もっとも、騎士団や軍で使用する設備を開発しているのは第二である。
だから騎士団の設備に不具合が出たなら、本来は第二の仕事だ。第三で扱うにしても、第二の魔道具に触れるのは室長かトラヴィスと決まっている。
「私で大丈夫なんですか?」
「本来なら俺が行くところなんだが、今日はどうしても抜けられない。第二も人が出せないそうだ。空調設備なら君でも問題ないだろうと、室長にも確認は取ってある」
「わかりました」
「悪いな」
「仕事ですから」
普段と異なる仕事、しかも騎士団に出向くなんて厄介事であることは否定できない。
しかし仕事なのだから、カレンにとってはどうということもなかった。
ヒューゴの安堵した顔の理由も、これで分かった。
カレンが戻らなければ、次に白羽の矢が立つのは彼だったのだろう。
壁面の棚から今回調査する魔道具の資料を抜き取り、鞄に収める。
自席に落ち着く間もなく、カレンは再び部屋を出た。
窓の外の銀色は既にいなくなっていた。
***
騎士団本部は、窓から眺めている印象よりもずっと遠かった。
魔法塔と騎士団本部を隔てるのは庭だけで、建物自体は近くに見える。けれども、入口はその反対側、城に面した場所にあった。
塔を出て渡り廊下を歩きながら、なんとなしに辺りを眺める。二階の窓から眺めていた庭が、今日はすぐ横にある。
見慣れたベンチも、ここから見ると少し印象が変わって見えた。
普段は窓越しに眺めるだけの場所を歩くのは、なんとも妙な気分だった。
そのまま騎士団本部を回り込むと、やがて高い石塀が見えてきた。これまでの開けた景色とは一変して、こちらは随分と物々しい。
門の脇には見張りの男が控え、そばには現国王の紋章を印した旗が掲げられている。
出発前にトラヴィスから託された、騎士団の紋のついた封書を見張りに見せると、建物の受付でもう一度提示するよう告げられ、すんなりと門を通された。
きょろきょろと辺りを見回したい気持ちを抑え、背筋を伸ばし、口を引き締めて歩を進める。
門をくぐってしまえば、本部のある建物まではすぐだった。
「第二魔道具管理室の代理で参りました。訓練場の空調設備の不調とうかがっております」
「お待ちしておりました!」
建物に入り、受付係にそう伝えて封書を渡すと、手放しの笑顔で招き入れられた。
随分と歓迎されている。
「すぐに係の者を呼びますね」
しばらくして現れた、別の騎士に促され、件の訓練場へと向かう。
廊下では制服姿の騎士が行き交い、開いた扉の向こうからは忙しなく人の声が聞こえてくる。
「こちらです」と通されたそこは真夏のうだるような熱さのこもった広間だった。
そこは、本来なら屋内での戦闘を想定した訓練を行うための場所だ。
資料によれば、問題の魔道具の用途は冬季の凍結防止。設定された温度を下回った場合にのみ作動する仕組みらしい。
花も綻び始めた今日のような春には不必要であることは間違いない。
ましてや、凍結を防ぐ程度の設備が室内を真夏のような暑さにまで温めるはずがなかった。
外はまだショールを手放せないほど冷えていたというのに、じわりと汗が滲む。
カレンは肩にかけていたそれを外し、畳んで腕にかけた。
「失礼します」
案内の騎士が目で了承するのを確認し、膝をついて熱を発している魔道具を手に取る。
熱暴走自体は珍しくない不調で、大概が道具の制御をおこなっている魔法陣の劣化によるものだった。
持ってきた資料によると、底面の蓋を外すと陣が確認できる仕組みになっているはずだ。
資料に記された鍵の解き方をなぞり、蓋のふちに指をかけ、慎重に外していく。
露出させた陣は一目見てわかるほど不自然に歪み、じんわり赤く輝いていた。
陣が歪むこと自体はおかしくない。道具が使われていくうちに、魔法陣自体が摩耗し、弱くなったところから掠れ縮まり、歪んでいくのが典型的な経年劣化であった。
しかし、この陣は違った。
何かに引っ張られるかのように、一部の線が飛び出し、陣全体が偏るように崩れていた。
「…変ね」
「何がだ」
ふと零れた独り言に、聞き覚えのない低い声が返って、驚いて顔を上げる。
いつの間に来たのか、一人の男がこちらを見下ろしていた。
訓練場に差し込む光を受け、その髪が銀色に光る。
――あ。
見覚えがある。
二階の窓から何度も見ていた、あの男だ。
いつも景色の中にいた男が、突然目の前に現れたことに、カレンは一瞬言葉を忘れた。
「どうした?」
「……いえ、失礼しました」
「それで?」
「はい…?」
「何が変なんだ」
一瞬呆けていたカレンも問われた内容に意識を戻す。
「この魔法陣なんですが、通常の劣化とは少し違います」
「どう違う」
「経年劣化なら、弱った箇所から崩れます。これはそうじゃない。まるで……」
カレンは歪んだ線を指で追った。
「どこか一方向に引かれたみたいに見えるんです」
男が膝をつき、カレンのなぞった陣をよく見ようと近づいてくる。窓越しではわからなかったが、近くで見ると男は随分と大柄だった。
無造作に捲り上げられた袖から覗く白い腕には、しっかりと筋肉がついている。
いつも芝生に寝転がっている姿からは想像もつかなかった。
「直せるのか」
「陣を引きなおせば直るとは思いますが…原因まではちょっと」
歪んだ陣から目を離さないまま尋ねる男を前に、言葉尻が鈍る。
原因を特定できていない以上、これ以上のことは言えない。それが少し悔しかった。
「わからない?」
「少なくともこの道具自体の問題ではないようにみえます」
彼はしばらく陣を眺めていたが、やがて短く頷いた。
「そうか。この件はおれが預かろう」
君はそれを直したら戻ってもらって構わない。
そう続けて、彼は立ち上がった。
「名乗っていなかったな。ダレル・グレイヴスだ。ここの副団長の任についている」
「カレン・ウェルナーと申します。第三魔道具管理室から参りました」
副団長だと名乗ったダレルに慌てて立ち上がり、姿勢を整え、礼をする。
女性としては背の高いカレンでも、向き合えばわずかに顔を上げることになる。
彼は第三という言葉に一瞬眉を上げたものの、それ以上追及することなく頷いた。
窓越しに昼寝している姿からは想像もつかないほど、立っているだけで威圧感のある男だった。
「報告書には、設備の修復までを書いてくれ。原因についてはこちらで預かる」
「……原因不明、とも?」
カレンは思わず目の前の男に視線をやった。
「必要ならおれから君の室長に話す」
有無を言わせぬ口調だった。
カレンは手元の歪んだ魔法陣を見下ろす。
「……わかりました」
その日、いつもの銀髪の男には、ダレル・グレイヴスという名前と、騎士団副団長という思いもよらない肩書きがついた。




