第11話
昼休みを告げる鐘が鳴る。
カレンは手元の資料を置いた。
昨日はこの鐘を聞きながら、まだ半分以上残っていた書類に目を戻した。
少しくらいなら、と考えなかったわけではない。
けれど、中途半端に仕事を残して庭へ行ったところで、どうせ気になって落ち着かない。
そう思うと残して部屋を出る気にもならず、食事を片手に作業の続きをしたのだった。
今日は違う。
鐘が鳴る少し前、最後まで確認した資料を閉じた。ここから新しいものに手をつけるよりは、と午後から確認する資料の優先順位をつけていたところだった。
「お昼行ってきます」
誰にともなく声をかけ、席を立つ。
今日もよく晴れていた。
***
「おう」
目的地に着くと、先客がベンチに座っていた。
いつもならこの時間には長い身体を横たえているのに、今日は背もたれに身体を預けているだけだ。
「……お昼寝はどうしたんですか?」
ダレルは答えず、カレンを見上げた。
「昨日はどうした」
「昨日ですか?」
思いがけない問いに聞き返しながら、いつものベンチへ向かう。昨日の昼休みなら、まだ半分以上残っていた資料と格闘していた頃だ。
「そうだ」
「仕事が終わらなくて。キリが悪かったので、そのまま席で食べました」
「そうか」
それきり会話が終わるのかと思った。
カレンはいつものようにベンチの端へ腰を下ろす。
膝の上に昼食を広げる。具はなんだったかと、包みに手をかけた。
「今日は終わったのか」
まだ続くとは思わず、カレンは隣を見た。
ダレルは変わらずこちらを見ている。
「終わりましたよ。というか、昼休みですから」
視線を膝の上に戻し、何でもないことのように返す。
なんだか、やけに細かく聞かれる。
「昨日は昼休みでも仕事してたんだろ」
「天気も良かったし、外で食べたかったんですけどね」
横を向いて、そう告げると、ダレルがわずかに眉を上げた。そのままこちらを見ている。
今日は妙に昼食が待ち遠しかった。
***
包みを開けて、小さく齧りつく。
口いっぱいに野菜の味が広がる。いつもと同じ昼食だった。もう一口齧り、今度はゆっくりと味わう。
そのままいつもの調子で食べ進め、半分ほどになったところで、ふと隣を見た。
ダレルはまだ先ほどと同じ姿勢でベンチに座っていた。
「そういえば、さっきの質問に答えてもらってないんですけど」
「何がだ」
「お昼寝ですよ。今日はしないんですか」
「寝るだけが休みじゃない」
「それは、そうですけど…」
いつも寝てたくせに。
カレンは残っていた昼食へ戻った。ときおり飲み物を口にしながら食べ進める。
その間も、ダレルは横になることなく隣に座っていた。
最後の一口を食べ終え、空になった包みを畳む。顔を上げると、隣には大きな身体が変わらず腰を据えている。
いつもならベンチいっぱいに寝転がっている姿を見慣れているせいか、こうして並んで座ると妙に存在感があった。
会話が途切れること自体は、珍しくもない。いつもなら、こんな沈黙を気にしたこともなかった。
なのに今日は、隣にいる男がやけに近く感じた。
***
「好きな花はなんだ」
「花?」
思わず目を丸くし、隣を見ると、彼は当然のように頷いた。
「なんで急に花なんですか」
「女は花が好きだろ」
「なんですかその偏見」
「嫌いなのか」
「嫌いではないですけど……」
改めて聞かれると回答に困る。
花は好きだ。春の桃色や夏の黄、秋の赤色に、冬の白。
季節の移ろいと共に姿を変えるそれらは見ているだけで心が躍る。
「……選べませんね」
「ないのか」
「逆です。春なら春に咲くもの、夏なら夏に咲くもの、どれもその時ならではの良さがあって好きなんです」
庭の花壇には、今の季節を彩る水色の花が咲いている。
この花が植えられて間もない頃、ここで散水機にずぶ濡れにされたのは、まだ記憶に新しい。
「副団長は?」
「おれか?」
ダレルがわずかに目を見開く。
意外そうに聞き返すダレルに、カレンは呆れて眉を寄せた。
「人に聞いておいて自分は答えないんですか」
ダレルは少し考えるように黙った。
「それはそうだが…特にないな」
「なんですかそれ」
思わず笑いが漏れる。
自分から聞いておいて、ずいぶんな答えだ。
笑いながら隣を見ると、ダレルは黙ってこちらを見ていた。
また鐘が鳴った。もう戻る時間だ。
「じゃあ、戻ります」
いつもの通り、簡単に荷物をまとめ、立ち上がる。
「なぁ」
背後から呼び止められ、カレンは足を止めた。数歩離れたベンチへ振り返る。柔らかな風が庭を抜け、水色の花が小さく揺れている。木々の隙間から落ちる陽は、ベンチの足元にまだらな影を作っていた。
昼下がりの日差しが見慣れた銀色を煌めかせる。
ダレルはまだ座ったまま、まっすぐこちらを見ていた。
「明日も来るか」
この問いの答えは決まっていた。
「晴れてたら」
「…雨でも来い」
冗談を言っているようには見えなかった。
素直に頷くのは違う気がして、カレンは少し笑った。
「……雨だったら、庭には出られませんけど」
「なら別の場所にすればいい」
あっさり返され、言葉に詰まる。
それではもう、天気は関係ない。
ダレルが立ち上がる。
見上げると、灰色の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
「明日も待ってる」




