第12話
空は一面、薄い雲に覆われている。
今日は朝からずっと、今にも降り出しそうな天気だった。
鐘の音が鳴ったのは少し前。
いつもの通り、作業がキリの良いところで席を立った。
窓は確認しなかった。
逸る気持ちを抑え、急いできたように見えないように、足を進める。ベンチに着くと、今日も彼は座っていた。
「おう」
いつもと変わらない声だ。
今日はそれが嬉しい。その理由を、今さら考える気にはならなかった。
「天気、悪いですよ」
「それでも来ただろう」
「約束しましたもん」
いつもの位置。隣のベンチに座りながら応える。
なんだか拗ねたような響きが声に乗ってしまい、少し恥ずかしい。
「来なかったら呼びに行っていた」
「は?」
思わず隣を見る。
ダレルは何でもないことのような顔をしていた。
「約束しただろう」
「仕事が終わってなかったらどうするんですか」
「終わるまで待つ」
昨日からずっとそうだ。こちらが何を言っても、ダレルは迷いなく真っ直ぐに返してくる。
どうにも居心地が悪くなって、カレンは膝の上の昼食へ目を落とした。
まだ手もつけていない包みの向こうで、緑の絨毯が波打つように、風が芝生をなでていく。
「待っても終わらなかったら?」
「茶化すな」
何かを言われる予感はしていた。
きっと悪いことじゃない。
そうわかっていても、どうにかして逃げたい。
そんな心まで見透かされているようで、今すぐ立ち上がりたい気分だった。
「カレン」
初めて呼ばれた名前に、逸らしていた視線を戻す。
灰色の瞳と、真っ直ぐに目が合う。
ダレルはもう、いつものように何でもない顔をしてはいなかった。
「おれはおまえがすきだ」
わたしも、
私も……?反射で出そうになった言葉に自分でも驚いた。
気づいていなかったわけじゃない。
窓から銀色を探してしまうのも、明日の晴れを願うのも。
自席での昼食にがっかりしたのも。
きっと、答えはとっくに出ていた。
言葉にしなかっただけだ。
「おまえは?」
灰色の瞳に私が映っている。
今だけじゃなく、本当は少し前から。
「私も好きです」
笑って言えただろうか。
こんな時にもどう見えているかが気になるなんて、少しおかしかった。
一拍遅れて、彼の目元がわずかに緩む。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
ふいに風が吹き、木々の葉がざわめいた。
湿った空気と草の匂いが鼻をくすぐる。
見上げれば、先ほどより雲が厚くなっていた。
「雨、降りそうですね」
「そうだな」
こういうとき、何を話せばいいのかわからない。
そらした視線を戻せずに、横を盗み見ると、ダレルも遠くの空を見つめていた。
「そういえば」
思ったより大きな声が出て、自分で少し驚いた。
「今日、本当に雨だったら、どこに行けばよかったんですか?」
「……考えてなかったな」
予想外の答えに、今度はきちんと隣を向いた。
先ほどまであれだけ真剣な顔をしていた男が、少し考えるように顎を上げている。
どうやら本当に何も考えていなかったらしい。
「なんですかそれ」
「どこでもいいだろ」
悪びれもせずに返されて、笑みが零れる。
さっきまで妙に落ち着かなかったのが、少し馬鹿らしくなってきた。
いつの間にか風は止んでいる。雲に遮られた太陽の下、庭の緑はいつもより少しくすんだ色に見えた。
「決めてなきゃ会えないですけど」
「騎士団本部までくればいい」
「私が?何て言って訪ねるんですか」
絶対に無理。どんな顔して、会いに行けというんだ。
騎士団本部へ行けば、当然受付を通さなければならない。そこで副団長に用があると言えば、何の用かくらいは聞かれるだろう。
「おれに会いに来たといえばいい」
この人どうかしてる。
騎士団本部の受付でそう告げる自分を想像して、すぐに打ち消した。誰に聞かれるかもわからない場所で、そんなことを口にできるわけがない。
せっかく落ち着いてきたはずの体温が、また上がる。
思わず眉を寄せると、ダレルは何が問題なのかわからないとでも言いたげな顔をしていた。
「おれが第三に行ってもいいなら、喜んで迎えに行こう」
「勘弁してください」
つい言葉が強くなる。ダレルは平然としているが、言われる方の身にもなってほしい。
彼が第三まで迎えに来ようものなら、その後どうなるかなんて想像するまでもない。アリシアあたりは、ダレルが帰った瞬間にこちらへ飛んでくるだろう。
「なら会いに来い」
また何か言い返そうとして、やめた。
言葉と同じくらい、まっすぐな視線だったから。
「晴れでも、雨でも関係ない。おまえに会う理由が欲しい。来なかったら、どうしたのか聞いていい立場が欲しかった」
晴れているからでも、庭で昼寝をするからでもない。
私に会いたかったから。
それは、私も同じだった。
もう、天気を理由にしなくても、だ。
今度は、迷わなかった。
「じゃあ、明日も待っててください」
「来なかったら迎えに行く」
せっかくこちらから言ったのに、結局また押し返された。
何より、本当に迎えに来そうなのが困る。
「……絶対行きます」
降参するように答えて、カレンは小さく息を吐いた。
また彼の目元がわずかに緩む。
それを見て、今度はカレンも素直に笑った。
曇り空の下。
銀色の髪はいつもの通り、煌めいていた。
晴れた日に窓からこの銀色を見つけると、少しだけ物事がうまく進む。
自分の中のちいさなおまじない。
ただ今は、窓の向こうを眺めなくてもいい。
明日は晴れるだろうか。
もう、どちらでもよかった。




