深淵の咆哮、あるいは究極のオーバーキル
お読みいただきありがとうございます。
原作ではヒロインの背中に「一生の傷」を残すはずだった獄炎獣。
その悲劇を叩き壊すため、サビアがついに悪魔の力を解き放ちます。
ですが、放たれた力はあまりにも……。
石造りの回廊を、法衣を振り乱して走る。
視界の先、ピンク色の髪が角を曲がるのが見えた。
「リリィさん、止まって……っ!」
曲がり角を抜けた先。そこは吹き抜けの小広場になっていた。
中央で腰を抜かしている幼い見習い神官。その頭上に、巨大な影が覆いかぶさっている。
体長三メートルはあろうかという、全身が溶岩のように赤黒い岩肌で覆われた巨躯。それがこの大聖堂の地下に厳重に封印されていたはずの、高位魔獣『獄炎獣』だった。
背中の亀裂からは、絶えず煮えくり返るような火炎が噴き出し、吐息の一つひとつが周囲の酸素を焼き尽くしている。その熱波は、数メートル離れた私の肌さえもチリチリと焼くほどだ。
原作のリリィは、あの猛火の中に飛び込み、子供を庇ってその背に一生の傷を負うのだ。
「危ないっ!」
リリィが、短い手足を必死に動かして子供の前へ躍り出ようとする。
魔獣が大きく口を開け、灼熱の息吹を吐き出そうとした、その瞬間。
(……間に合えっ!)
私は全力で、腹の底に溜まった「あのどろどろ」を、心臓ごと握りつぶすような勢いで引きずり出した。
『――不遜なる灯火を消せ。静寂の底、光すら届かぬ深淵に、等しく沈め』
また勝手に溢れ出したポエムと共に、私の指先から、光を一切反射しない「黒い霧」が、奔流となって放たれた。
ドォォォォン……ッ!!
地鳴りのような重低音が響き、広場一帯の温度が氷点下まで急降下する。
私が放った黒い霧は、魔獣の吐き出そうとした火炎に触れた瞬間、文字通り「無」へと消し去った。
「……えっ?」
リリィが、呆然と立ち止まる。
火炎を消した黒い霧は、意思を持つ蛇のように獄炎獣自身に絡みつき、その巨体を一瞬にして「沈黙」へと変えてしまう。さっきまで真っ赤に燃えていた魔獣は、いまや熱を完全に奪われ、煤けた炭のような彫像となって、音もなく崩れ落ちる。
(……やりすぎた。完全にやりすぎた。ああどうして一撃で終わっちゃうの?もっとこう、あるよね?接戦というか、苦戦というか、善戦というか)
周囲を見渡せば、駆けつけてきた神殿騎士たちが、抜いた剣を構えたまま石像のように固まっている。
壁の花は枯れ、空気はひりひりと凍てつき、私の足元からは不吉な紫の火花がパチパチと爆ぜている。
いちいち枯れないでくれ花!禍々しいから!
「サビア、様……?」
背後から、リリィの震える声が聞こえた。
しまった。怖がらせてしまった。
六歳の子供の目の前で、こんな破壊の化身みたいな真似をすれば、当然「悪魔だわ!」と指を差されて……。
「……すごいっ! 格好いい……! サビア様、今の、魔法!? 私、こんなのはじめて見ました!」
(……ん?)
リリィは、恐怖どころか、その深紅の瞳を限界まで輝かせている。
「火が消えた瞬間、とっても静かになって……サビア様、私を助けてくれたんですね! あんなに綺麗な魔力を自在に操れるなんて、サビア様は最も高貴な聖女様です!」
到着した高位神官たちも、崩れた魔獣の残骸(塵すら残っていない)を見て、ブルブルと震えながら跪き始めた。
「なんという……。獄炎獣の呪われた炎を、一瞬で『静寂の闇』へと還された……。これぞ神が遣わした慈愛の絶対零度……!」
禍々しい詠唱の内容も、凍てついた広場の惨状も、混乱と安堵の雰囲気に、たいして気にされていない。
(それは良かったけど、……いや、最悪じゃないだけで、良くはないわ)
私は力なく、「あなたたちが無事でよかった」とリリィと幼い見習い神官に笑いかけた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
無事にリリィを守ることができたサビア。
次回、ようやく(やっと)教皇様との謁見です!
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