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第8話 【旅立ち】

第8話「旅立ち」


朝の空気は、どこかいつもと違っていた。


窓から差し込む光。

台所から漂うスープの匂い。

焼いた野菜と固いパンの香ばしさ。


何も変わらない朝のはずなのに、胸の奥だけが落ち着かない。


今日、レイたちはリベル村を発つ。


目的地は――グランセル王都。


この国でもっとも大きな街。

人が集まり、金が動き、あらゆる物が集まる場所。


そして、自分の知らない世界が広がる場所だった。



食卓には三人が揃っていた。


ミアは朝からそわそわしている。

椅子に座っては立ち、座っては立ちを繰り返していた。


「まだかな!? まだ出ないの!?」


「落ち着け」


父が低く言う。


「朝飯を食ってからだ」


「わかってるけど、楽しみなんだもん……!」


ミアは口を尖らせながらも、急いでパンを口へ運んだ。


その様子に、レイは思わず苦笑する。


「お前、完全に遊びに行く顔してるな」


「ち、違うもん!」


「ちゃんとお手伝いもするし!」


「お菓子も見るけど!」


「やっぱりそれが本命だろ」


レイが言うと、ミアはむっとした顔をした。


そんなやり取りを聞きながら、父は静かにスープを飲んでいた。


やがて食事を終えると、立ち上がる。


「準備しろ」


その一言で、家の空気が引き締まった。



荷物は多くない。


レイは短剣と着替え、水袋。

父は必要最低限の荷物だけを背負う。

ミアは少し大きめの袋を抱えていた。


「……また多くないか?」


「多くないよ!」


「おやつと、着替えと、あと――」


「だから遠足じゃない」


「むぅ……」


不満そうにしながらも、荷物を整理する。


その姿を見て、レイは小さく笑った。


この村へ来た時、自分には何もなかった。


名前も曖昧で、過去も分からず、空っぽだった。


それでも今は違う。


力を得た。

居場所を得た。

共に笑う相手もできた。


失ったものばかりではない。


そう思えた。


村の入口には、一台の乗合馬車が止まっていた。


荷台に幌が張られ、木の座席が並んでいる。

数人の旅人たちがすでに乗り込み、出発を待っていた。


馬の鼻息が白く揺れる。


御者の男が声を張る。


「グランセル王都行きだ! 乗るなら今のうちだぞ!」


ミアの目が輝く。


「ほんとに馬車だ!」


「騒ぐな。初めてでもあるまい」


父が言う。


「でも遠くまで行くのは初めてだもん!」


元気よく返すミアに、御者が笑った。


「嬢ちゃん、元気だな!」


三人は料金を払い、馬車へ乗り込む。


レイは木の座席へ腰を下ろした。


揺れそうだが、不思議と嫌ではない。


やがて御者が手綱を鳴らす。


馬車がゆっくりと動き出した。


リベル村の景色が、少しずつ遠ざかっていく。


畑。

井戸。

見慣れた家々。


レイは振り返った。


何も知らずに辿り着いたこの場所が、今では帰りたいと思える場所になっていた。


「いってきまーす!!」


ミアが大きく手を振る。


村人たちも笑いながら手を振り返していた。


街道を進む。


左右には森と畑。

遠くには山並み。


馬車の揺れは思ったより穏やかだった。


「ねえねえレイ!」


ミアが隣から身を乗り出す。


「王都って、どんなとこだと思う?」


「……知らない」


「いっぱいお店あるかな?」


「あるだろうな」


「甘いお菓子とか!」


「それしか頭にないのか?」


「大事なことです!」


胸を張るミアに、思わず笑ってしまう。


父は腕を組んだまま口を開く。


「人が多い」


「店がある」


「金が動く」


「面倒も多い」


相変わらず簡潔だった。


「最後が気になるな」


レイが呟くと、父は鼻を鳴らす。


「村と違って、力だけでは生きられん」


「口、知恵、見る目……そういうものも要る」


レイは黙って聞いた。


知らない世界。


だが、不思議と怖くはなかった。


むしろ胸が高鳴る。


昼過ぎ。


街道沿いの休憩所で馬車が止まる。


旅人たちがそれぞれ外へ出て、足を伸ばした。


商人。

家族連れ。

冒険者風の男たち。


その中で、一人だけ異質な気配を放つ人物がいた。


長い黒髪を後ろで束ねた女。


背は高く、引き締まった立ち姿。

傍らには一本の槍。


ただそこに立つだけで、周囲の空気が張り詰める。


その視線が、一瞬だけレイへ向いた。


鋭い。


思わず息を呑むほどだった。


「……なんだ、あの人」


レイが小さく呟く。


ミアもそっと覗き込む。


「きれいな人……でも怖い……」


父は短く言った。


「余計な詮索はするな」


だが、レイには分かった。


あの立ち方。

あの隙のなさ。


――強い。


女は何も言わず槍を担ぐと、再び馬車へ乗り込んだ。


行き先は同じ。


グランセル王都。


夕暮れ。


空が赤く染まり始める。


ミアは揺れに負けて眠ってしまい、レイの肩にもたれていた。


父は目を閉じているが、眠ってはいないようだった。


レイは窓の外を見る。


王都までは、まだ一日。


過去に繋がる何かがあるのか。

新しい出会いがあるのか。

それとも、まだ見ぬ戦いか。


分からない。


それでも――


馬車は止まらない。


リベル村を離れた今、もう旅は始まっていた。

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