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第6話 【積み重ね】

第6話「積み重ね」


何度目かの朝だった。


鳥の声が響く頃には、もうレイは目を覚ますようになっていた。


この家に来たばかりの頃は、見知らぬ天井を見るたびに胸がざわついた。

だが今は違う。


窓から差し込む朝日。

外から聞こえるミアの声。

台所から漂う食事の匂い。


それらが、少しずつ“日常”になり始めていた。


その時、扉の向こうから低い声が飛ぶ。


「来い。いくぞ」


いつもの一言だった。


レイは立ち上がり、迷わず外へ出る。


家の裏。


土を踏み固めただけの簡素な訓練場。


派手な設備など何もない。

あるのは木剣、短剣、木杭、そして積み重ねられた足跡だけ。


父はすでにそこに立っていた。


朝日に照らされながら、微動だにせずレイを見ている。


「構えろ」


短く告げられる。


レイは短剣を握り、構えた。


次の瞬間――


「遅い」


視界が揺れた。


気づけば、地面に叩きつけられている。


「……っ!」


肺の空気が抜ける。


何をされたのか分からない。


踏み込みを見られたのか。

手首を払われたのか。

体勢を崩されたのか。


理解する前に終わっていた。


「これが今のお前だ」


父の声は淡々としていた。


怒りも、嘲りもない。


ただ事実だけを突きつけてくる。


レイは歯を食いしばり、立ち上がった。


「……もう一回だ」


それから数日。


何度も倒された。


何度も地面を見た。


打ち込めば流される。

守れば崩される。

焦れば足を払われる。


「視線が甘い」


「腕だけで振るな」


「踏み込みが浅い」


「考えるな。見ろ」


短い言葉が何度も飛ぶ。


レイは泥だらけになりながら、それでも食らいついた。


悔しかった。


魔物を倒せたことで、自分には力があると思った。


だがそれは、ほんの入口に過ぎなかった。


目の前の男は、その遥か先にいる。


さらに数日後。


朝の訓練。


父の踏み込みに合わせ、レイも動く。


打ち込む。


かわされる。


だが、その瞬間。


レイの左手が伸びた。


父の腕に、わずかに触れる。


ほんの一瞬。


それでも確かに届いた。


父の動きが止まる。


静寂。


レイの胸が高鳴る。


「……今のは悪くない」


たった一言。


だが、それだけで十分だった。


全身の疲れが報われた気がした。


レイは静かに息を吐く。


(やれる)


小さな確信が、胸の奥で芽吹き始める。


さらに数日後。


今度は森だった。


木々の隙間から差し込む光。

湿った土の匂い。


一体の魔物が、低く唸りながらこちらを睨んでいる。


以前なら、緊張で肩に力が入っていた。


だが今は違う。


呼吸を整える。


足の位置を確認する。


視線を外さない。


父の教えが自然と身体に染み込んでいた。


レイは一歩踏み込む。


迷いはない。


最短の動き。

無駄のない一閃。


――一撃。


魔物はその場に崩れ落ちた。


静寂。


レイはしばらく立ち尽くす。


「……もう終わりか」


自分でも驚くほど、あっさりしていた。


少し離れた場所で、父が腕を組んで見ている。


何も言わない。


だが、否定もしない。


それが答えだった。


昼。


訓練場へ戻ると、ミアが桶を抱えて走ってきた。


「はい! 水!」


「ああ、ありがとう」


受け取り、一気に喉を潤す。


冷たい水が身体に染み渡る。


ミアはじっとレイを見ていた。


「最近、動き変わったよね」


「……そうか?」


「うん。なんか前よりシュッとしてる」


「説明が雑だな……」


レイが苦笑すると、ミアも笑った。


それから少しだけ真面目な顔になる。


「でもさ」


「ん?」


「ぜーったい無理はしないでね」


柔らかい声だった。


レイは一瞬、言葉に詰まる。


心配されることに、まだ慣れていない。


「ああ」


小さく頷く。


ミアは安心したように笑った。


夕方。


三人で食卓を囲む。


以前より会話も自然になっていた。


父がスープを口に運びながら聞く。


「今日も倒せたか?」


「三体だけどな」


父は鼻を鳴らす。


「ふっ……お前にしては十分だ」


厳しい男なりの評価だった。


ミアが嬉しそうに身を乗り出す。


「すごいよね、レイ!」


「……まだまだだ」


そう返しながらも、胸の内には確かな手応えがあった。


少しずつだが、前へ進んでいる。



夜。


レイは一人、家の外へ出る。


空には星が瞬き、村は静けさに包まれていた。


体は軽い。

動きも悪くない。


「……これなら」


ふと、以前父が口にした言葉を思い出す。


――城下町。


もっと大きな場所。

もっと多くの人が集まる場所。

もっと強い者がいる場所。


まだ早い。


そう言われた場所。


だが――


(遠くはない)


そんな感覚があった。


その頃、家の中。


父は一人、椅子に腰掛けていた。


静かな部屋で、窓の外を見る。


そこには空を見上げるレイの背中があった。


「……ただ、まだ早いな」


小さな呟き。


「もう少し……ってところか」


誰にも聞こえない声だった。


だがその目は、わずかに細められていた。


外では、レイが空を見上げている。


その背中は――


確かに少しずつ変わっていた。


前へ進んでいる。


確実に。


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