第11話 【守れなかった者の選択】
第11話「守れなかった者の選択」
朝。
王都グランセルの空は高く、澄んでいた。
宿の窓から差し込む光が部屋を照らし、外からは人々の足音や商人たちの呼び声が聞こえてくる。
この街は、今日もすでに動き始めていた。
だが、部屋の中にはどこか重たい静けさがあった。
ミアは荷物をまとめながら、何度も手を止めている。
父は腕を組み、窓際に立っていた。
レイは椅子に座ったまま、自分の膝へ視線を落としていた。
昨夜、自分で決めた。
ここに残る。
騎士を目指す。
迷いはない。
――それでも、別れは決意とは違う重さを持っていた。
「……ほんとに残るの?」
ミアが小さく聞いた。
昨夜も聞かれた言葉。
けれど今のその声は、ずっと現実味があった。
「ああ」
レイは短く答える。
ミアは俯き、荷物の紐をいじる。
「……そっか」
笑おうとしている。
けれど、うまく笑えていなかった。
レイは言葉を探す。
こういう時、何を言えばいいのか分からない。
「……すぐ戻るかもしれないぞ」
やっと出た言葉は、自分でも不器用だと思えた。
ミアはきょとんとしたあと、少しだけ吹き出す。
「なにそれ」
「慰めになってないよ」
「……そうか」
「うん。でも、ありがと」
その笑顔に、少しだけ胸が軽くなった。
父が口を開く。
「レイ、来い」
短い一言。
レイは立ち上がり、父の後を追って部屋を出た。
宿の裏手。
人通りの少ない石畳の路地。
朝の光だけが静かに差し込んでいる。
父はしばらく黙ったまま、遠くを見ていた。
やがて、低い声で言う。
「……お前には話しておく」
レイは黙って耳を傾けた。
「昔、俺は王国八騎士だった」
やはり、とレイは思う。
あの強さ。
あの剣。
ただの村人であるはずがなかった。
だが、父の声はそこで終わらなかった。
「任務を受け、各地を回り、国のために剣を振るっていた」
「その頃、妻とミアはリベル村とは違う村で暮らしていた」
レイは静かに息を呑む。
父の視線が、遠い過去へ向く。
「ある日、妻のいる村の近くで魔物の被害が出たという報せが入った」
「俺はすぐ戻ろうとした」
「……だが、その前に別の任務が下った」
低く、重い声だった。
「俺が支えていた王族の警護だ。」
「騎士としては、優先すべき任務だった」
レイは何も言えなかった。
その先が分かってしまったからだ。
父は拳を握る。
「俺は任務を選んだ」
「騎士として、正しい判断だった」
「……そのはずだった」
朝の空気が、痛いほど静かになる。
「任務を終えて村へ戻った時には……全部終わっていた」
レイの喉が詰まる。
父は続ける。
「村は襲われていた」
「家は壊れ、血が流れ、何も残っていなかった」
「妻は……そこで死んでいた」
短い言葉。
だが、その一言に積み重なった年月が滲んでいた。
「ミアだけが生きていた」
「泣きながら、あいつのそばに座っていた」
父は目を閉じる。
「俺は騎士として正しかったのかもしれん」
「だが、夫としても、父としても、間違えた」
その声には、今も消えない後悔があった。
「守るべきものを、守れなかった」
レイは拳を握る。
何も言えない。
どんな言葉も軽く思えた。
「……それで、騎士を辞めた」
父は静かに言う。
「国のために剣を振るう前に、守るべきものがあると知った」
「だからミアを連れて村へ移った」
「せめて、残されたあいつだけは守ろうと思った」
レイの胸の奥に、その言葉が深く落ちていく。
この人は強い。
だがそれ以上に、痛みを知っている。
だからこそ、強さの意味を知っている。
父は腰の剣へ手をかけた。
静かに鞘ごと抜き、レイへ差し出す。
使い込まれた長剣。
派手な装飾はない。
だが何度も手入れされ、大切にされてきたことが分かる。
「……これは」
「俺が騎士だった頃の剣だ」
「受け取れ」
レイは目を見開く。
「いいのか……?」
父は鼻を鳴らした。
「過去を抱えていても、前には進めん」
「だが、お前なら進める」
レイは両手で剣を受け取った。
ずしりと重い。
鉄の重さだけではない。
この人が戦ってきた日々。
失ったもの。
悔やみ続けた時間。
それでも生きてきた想い。
そのすべてが宿っている気がした。
「レイ」
父が真っ直ぐに見る。
「選べ」
低い声だった。
「何を守るか」
「何のために剣を振るうか」
「誰かに決められるな」
胸の奥へ、その言葉が深く刺さる。
「俺みたいになるな」
レイは剣を強く握りしめた。
「ああ」
それしか言えなかった。
部屋へ戻ると、ミアが待っていた。
「遅い!」
「二人で何話してたの?」
「秘密だ」
父が先に答える。
「えーっ!」
頬を膨らませるミア。
だが、レイの腰の剣を見ると目を丸くした。
「それ……父さんの剣?」
「……ああ」
ミアは驚いたあと、少しだけ笑った。
「そっか」
その言葉に、レイは静かに頷いた。
やがて三人は宿を出る。
王都の停留所には、リベル村方面の乗合馬車が止まっていた。
旅人たちが荷物を積み込み、御者が声を張っている。
ここで別れだ。
ミアが立ち止まる。
「……じゃあ、ここまでか」
努めて明るい声だった。
「泣くなよ」
レイが言う。
「泣かないし!」
即答だった。
だが目は少し赤い。
レイは苦笑する。
「また会える」
自然と口から出た言葉だった。
ミアは目を丸くし、それから大きく頷く。
「……うん!」
次の瞬間、ミアはレイへ抱きついた。
「ちゃんとご飯食べてね!」
「変な人についてっちゃだめだよ!」
「怪我したらちゃんと休むんだよ!」
「……子ども扱いするな」
「してない!」
言い返しながら、声は震えていた。
レイは少し迷い――そっとミアの頭に手を置く。
「……分かった」
その一言で、ミアはゆっくり離れた。
父が前へ出る。
レイと向き合う。
しばし無言。
やがて低く言った。
「お前はまだ未熟だ」
「分かってる」
「だが、ここまで来たのも事実だ」
父の視線は真っ直ぐだった。
「自分で決めた道なら、最後まで進め」
それは命令ではない。
送り出す言葉だった。
レイは深く頷く。
「ああ」
父は背を向ける。
そして去り際、小さく続けた。
「……死ぬなよ」
それだけだった。
それだけなのに、胸の奥へ強く残った。
御者が声を張る。
「出るぞー!」
ミアが馬車へ乗り込む直前、振り返る。
「レイー!」
「次会うとき、もっと強くなっててよね!」
「お前もな」
レイが返すと、ミアは笑った。
いつもの、太陽みたいな笑顔だった。
馬車が動き出す。
車輪の音が遠ざかっていく。
その姿が見えなくなるまで、レイは見送った。
やがて静けさが戻る。
王都の喧騒の中に、一人立つ。
少しだけ胸に穴が空いたような感覚。
だが、それだけじゃない。
帰る場所がある。
また会いたい相手がいる。
託された剣がある。
それだけで、人は前を向ける。
レイは空を見上げる。
高く広がる、王都の空。
「……さて」
小さく呟く。
ここからは一人だ。
仕事を探し、実績を積み、騎士への道を進む。
簡単ではない。
それでも――
足は止まらなかった。
レイは人の波の中へ踏み出していく。
別れの先にある、新しい始まりへ。




