第2章 第37話 トマト色の兆し
出発の時間になったので、子供達に見送られてバスに乗った。
コノンさんももともとは両親とともにリアヌシティのセカンドレイヤに暮らしていたのだけれど、慣れない暮らしにすっかり体調を崩してしまいオールドリアヌのお祖母さんのところに戻ってきたのだという。リアヌシティでは昔のような家族の関係もすっかりなくなってしまっているという。
「それでもリアヌシティに来るのはどうして?」と聞くと「あの子たちがいるので……」という答えが帰ってきた。
「あまり無理しないほうがいいよ」
「休みたくなったらウォーターランドに遊びに行きます」と笑った。
「ウォーターランドのことは新聞で知ったの?」と聞くと、ヨシュアさんの知り合いの人に教えてもらったということだった。その人もコノンさんの頑張り過ぎが気になったのかもしれない。
「そうだ、ウサギをね、何羽か島に……」と言いかけると、その話を待っていたかのように「ほんとに?」という反応がすぐに返ってきた。同じことを考えていた偶然に、思わず顔を見合わせて笑った。その後は、ウサギの暮らす島の話で盛り上がった。まるで二人とも明日にでも島に帰るような勢いなのがおかしかった。
眼鏡橋のバス停留場で降りて、コノンさんの家に行くとお祖母さんが待っていた。コノンさんはお茶も飲まずにウサギたちの餌やりをすると言って庭に出て行った。
テーブルを見るとたくさんの瓶が並べてあった。
「あんたの友達のネモネさんが集めている水だよ。今日もお友達といっしょに水探しだって言ってたよ」
「こんなにたくさんですか」
「小壜を探してくるだけでも大変さ」と言いながら笑っている。
「あの子が島に持ち帰るんだとさ。そんなに好きならここでおなかいっぱい飲んで帰りゃいいものを。若い人の考えていることは私にゃわからないね」と言うと、手に入れたばかりの壜を井戸水の入った桶で洗い始めた。
これを島に持ち帰って、スロウさんたちと成分の分析でもしようというのだろう。ネモネさんは何か感触を得ているのかもしれない。
リアヌシティで偶然コノンさんと会った話をすると「ウサギは元気だったかい」と聞かれたので、みんな元気でしたよと答えると、お祖母さんは「そうかい、そうかい」とうれしそうに言った。それがコノンさんの幸せでもあるかのように。
「私も昔リアヌシティで悪いやつにだまされたことがあってね。コノンをよろしくたのんだからね」とまた念を押された。どうやらコノンさんの人を疑わない性格はお祖母さんから受け継いだもののようだ。
「それであんたのほうはどうだい?」
「あ、もうすっかり」と言うと、また同じように「 そうかい、そうかい」と喜んでくれた。お祖母さんにとってはここに来る人はみんな自分の子供のようなものなのだろう。世話好きなところもコノンさんに似ているかもしれない。
ハロウさんのお店を訪ねた話をすると、以前お店があったという場所を教えてくれた。
「ああいう人が止むを得ず出て行くのを見るのはつらいことだよ」と悲しいことを思い出したように目を伏せた。ハロウさんはこの村にはなくてはならない人の一人だったのだろう。きっと村のお祭りなんかも取り仕切っていたに違いない。
コノンさんはまだしばらくウサギの世話に時間がかかりそうなので、その間にハロウさんのお店があったというところまで行ってみることにした。
その場所はほんの数分歩いたところにあった。思っていたよりも小さな建物で、石造りの古い外観だけがそのまま残されていた。店を閉めた後に生えたのか、蔦が建物にからみついて、それが石造りなのかどかもわからなくしている。蔦をそのままにしておくと石であってもいつか崩れてしまいそうだったので、絡みついた蔦をしばらく無心にむしり取った。ここだけは残さないといけないという思いだった。
ここがノートの主の出発前に立ち寄ったところだと考えると感慨深いものがある。その店をハロウさんの曽祖父がはじめたのだからなおさらだ。同時は雑貨屋というものもなかっただろうから、生活用品を扱っていたのかもしれない。なにか当時の痕跡が残ってないかと手探りですみずみまで探して見たが、廃屋になって久しいこともあってか、これといったものはみつからなかった。何百年の歳月と記憶は石の中に閉じ込められてしまったのだろう。
石造りの家はひんやりとしているせいか意識が研ぎ澄まされていく。耳を澄ますと、蔦の葉が風で揺れるかすかな音と、遠くから届く水音が聞こえてくる。苔むす石と風と水だけの世界。悠久というのはこういう時間をいうのだろう。
建物を見ているうちに、300年近い隔たりを超えてつながれていくものとは何だろうと遠い昔に思いを馳せた。なにかのモノ、それとも一筋の時間、あるいは動くことのない場所だろうか、書き残されたことば……考えるほどに答えがわからなくなる。時間を超えてつながらなければいけない理由があるのかさえもよくわからなくなってくる。自分自身も生きているのではなくて、生かされているのかもしれない。
この場所は水路も近いので、商売をするのにはちょうどいいところだったろう。水路から大海原に出て、知らない遠くの国までハロウズのノートや手帳が届けられることもあったかもしれないと思うと、18世紀当時の交易に壮大なロマンを感じてしまう。遥か彼方の土地でハロウズの紋章の入ったものを見つけることがあったなら、それは思いがけない喜びになるだろう。それが当時の文字の書かれたノートであればなおさらのことだ。
周辺を散策していると、舟の乗り場に3人の姿をみつけた。みんなに会えたことよりもなによりも、カバのミームが真っ赤になっているのに目を見張った。
「オルターさん、思った通りでした」とネモネさんがめずらしく大きな声を上げた。
「ここの水は、とんでもない名水みたいですよ」トラピさんも目を丸くしている。
「未だに信じられなくて……」ネモネさんも驚きを隠せないほどに興奮している。
「やっぱり、ここに住むのが一番いいということなのかな」と言うと、「ドーム・コンストラクションさえいなければ……悔しいなあ」とナミナさんが呟いた。
しかし、ミームの色がすごい。とてもカバには見えない。まるで熟したトマトのようだ。
「こんなに赤くなってだいじょうぶかな」
「これは、いい水の証なので」
「それはそうだろうけど、腫れ上がってるようにも見えなくないな……水の瓶詰めは持ち帰るつもりなの?」
「あ、あれは、スロウさんたちに調べてもらおうかと思ってます」
「ノルシーさんが嗅ぎ付けると水割りに使っちゃうかもしれないよ」
「気をつけます」と真面目な顔をして答えたのを見て、みんなの気持ちが水を介して一つになっていくような気がした。
ミームが赤くなっているのを見ると、なぜか心も晴れやかになって楽しいことが起こりそうな気がしてくる。
「そうだ、今夜はサークルで演奏会の予定なので、オルターさんも是非」とナミナさんが言った。
「それはいい。きっとみんな喜んでくれるね」
「それで、明日ジノ婆さんのところに行こうという話です。水の話も聞かないといけないですからね」トラピさんが、こちらから話を持ち出す前に計画を説明してくれた。
これだけ仲間がいれば心強い。きっとマリーさんもわかってくれるだろう。明日、ジノ婆さんに会えると思っただけで心が浮き立つ。一足先に戻ってコノンさんにその話をすると私もいっしょにと言ってくれた。もうなんの心配なく湖探索ができる。あと少しだ。
その夜は、サークルでの演奏会が大盛況で、トラピさんとナミナさんたちは一晩で村の人気者になった。一芸が身を救うというのはこういうことを言うのだろう。いろんな人から、個人的な演奏会の申し込みが舞い込んできた。当然報酬はなくて、村一番のミルクであるとか、編んだばかりの冬物のセーターだとか、村人それぞれの得意とするものとの交換になる。中には、だれも知らないきれい花の見つけ方やおいしい料理の作り方という話まであって、物々交換どころかいろいろな情報までが舞い込んで来た。
公書館のホーラーの姿も見かけたもののまだ心は許してくれないようだった。ただ、こうして交流を繰り返して行くうちに閉ざした心が開かれていくに違いない。それは、彼が音楽に合わせて身体を揺らしているのを見ればわかる。




