第2章 第38話 礎石の力
ネモネさんは水を探したいというので、残りのメンバーはコノンさんの案内でジノ婆さんに会いに行くことになった。前夜の雨のせいで、湖の畔はぬかるみ、足を取られながらジノ婆さんの家を目指した。曇り空のせいもあって湖もくすんだ水色に見えた。コノンさんがいっしょに来てくれただけで安心感が違うし、ジノ婆さんに間違いなく会えるとという確信のようなものを感じる。
コノンさんのほうはというと、草花の名前を教えてくれたり、めずらしい鳥がいると立ち止まって鳴き声を真似てみたり、こちらの気持ちとは関係なくオールドリアヌの自然を満喫している。ナミナさんたちも公園の間の休日ということでピクニック気分を存分に楽しんでいるようだ。
ユイローの草が見え始めたあたりからまた出島が見えてきた。
「ほんとうだ、六角の石碑がたくさんある」ナミナさんが感心したように言った。こちらはここから先が現実にはない世界への入り口になるような気がしているのだけれど、みんなはめずらしい遺跡でも見ているように物珍しさで興奮しているようだ。
トラピさんが「六角柱をつくるのもいいな……」と独り言のようにつぶやいた。荷物も持たずに旅をするトラピさんのような人でも、終の住処か心の置き場のようなものを求めるものなのなのか。
ジノ婆さんのいる出島と家の景色は記憶と寸分も違わず、前回も間違いなくここまで来ていたことを確信した。問題はこの先だ。コノンさんが、先になって庭に入った。
「ジノ婆、来たよ」
「コノンか?」こちらのほうを見て用件を察したように言った。
「そうだよ。オルターさんとお友達のナミナさんにトラピさんもいっしょだよ」
ジノ婆さんは、使い込まれた揺り椅子にゆったりと腰掛けたままで出迎えてくれた。ふくよかな外見とやさしそうな顔を見てひとまずは安心した。想像していたとおり、見た目からは悪意のようなものはまったく感じられなかった。この前の人影は幻覚で見たもので、ジノ婆ではなかったということだろうか。
「いろいろご心配おかけしました」ことの次第はともあれ、とにかく最初にお礼を言った。
ジノ婆は、まるで関わりがないかのように、「なんのことか」と言った。
そう言われてはじめて、話す時に目線がすこしずれることに気づいた。盲目で一人暮らしをするのはたいへんだろうと思った。
「オルターさんたち、とてもいい人だから、オールドリアヌのことをいろいろ教えてあげて」
「ふほほ、コノンに悪い人はおらん」
「あの、言えない話は無理をしてお話しいただかなくても結構ですので……」と言うと、みんなの顔を見るように左右に動かした。
ひと通り挨拶が終わると、ウォーターランドから来たこと、ノートの主がこの土地の出身者であること、数々の不思議なできごとについて順を追って説明した。ただ、ここで経験した幻覚の話はジノ婆の反応を見てから話すことにした。
「ノートの男なぞワシにはわからん」この一言で期待はあっさりと裏切られてしまった。言われてみればもっともなことではあるのだけど、ここまで来てこのまま引き下がるわけにもいかない。
「六角柱とは何か関係ないでしょうか」トラピさんがなにか話の糸口をつかもうとして言った。
「ワシは六角柱の番人ではないからな」
「ナーシュという名前はご存知ですか?」トラピさんも簡単には諦めない。
少し顔を上げて考えるようなそぶりを見せたが、何も言わないで首を横にゆっくり振っただけだった。
「この土地を守ろうとして頑張った人なんですが……」とさらに言葉をつないだ。
「この100年ぐらいの話か?」
「もちろんです。ここ数年の話です」この老婆にとっては3年も300年も違いがないのだろうか。
「最近のことのほうが忘れることが多くてな」と言って、しばらくうつ向いて静かに考えていたようだったが、答えは返って来なかった。言いたくないのか、ほんとうに知らないのか判然としないので、コノンさんの顔を伺ってみたが、彼女も困った顔をこちらに向けるだけだった。
「六角柱をつくると必ずここに戻れるというのはほんとうなんですか?」黙って聞いていたナミナさんがそのやりとりに我慢できなくなったように口を開いた。
「黄泉の世界からもな」
「生き返ることもあると?」ナミナさんが、思わず目を丸くして聞き返した。
「ワシも生き返りの繰り返しじゃ、ふほほ」煙に巻くような話だった。
「六角柱をつくれば生き返れるということですか?」トラピさんも身を乗り出した。
「ふほほ、ノイヤールの水次第じゃな」
迷信なのか事実に基づく話なのかはよくわからないものの、ここで願いを立てて、六角柱をつくるというのがそれを叶えることにつながるということのようだ。つくるかつくらないかは、信じるか信じないかによるのだろう。それに水が深く関わっている。
「オルターとやら、ワシは目が見えない分、心はよく見えてな。あんたの記憶も水が教えてくれるじゃろう」
一瞬、心を全部見透かされているような気がした。ジノ婆を巫女と呼ぶ人もいたから、そういう力もあるのだろう。
「水がうまく生かしてくれる」
「水がすべてを知っている……」何を言われているのかわからないままに水面の輝きに目を向けた。そこにはおだやかな湖水がいつもと同じようにあるだけだった。
しばらくジノ婆さんと話をしているうちに、また自分の様子がおかしくなりはじめていることに気づいた。みんなは特別に変な様子はないと思っているのだろうか。ジノ婆さんとの話に夢中でこちらのことに気づいてないのかもしれない。
しゃべろうとすると口が思うように回らない。そのうちにまた景色がゆらゆらと揺れ始めた。だめだ、またこの前と同じような気分になっている。早く抜け出さないと今度こそ戻れなくなってしまう。気持ちの焦りと裏腹に景色が前と同じように揺れはじめ、それとあわせるようにみんなの動きが緩慢になってくる。
また、膝から崩れ落ちるように座り込んでしまった。あのときと同じように黄金の竜が見えるかと思ったけれど、湖を背にしているので見ることができない。みんなの様子は何も変わらないのに、動きだけがどんどん遅くなっていく。話し声も引き延ばしたようにどんどん間延びしていく。それは転がっているボールが惰性を失い、徐々に遅くなり最後は止まるような感じにも似ている。
まさか、いきなりまたこんなことになるとは思っても見なかった。ただ、今回はまわりにたくさんの人がいるので、なんとかなるだろう。それであれば、思い切ってあのときの世界を存分に見てみるというのもいいかもしれない。
「いいのか。このままで……」とまた遠くから誰かの声が聞こえてくる。目の前に現れた小さな暗闇が水に落とした炭のようにまたたくまに視界を覆い尽くした。
「戻りなさい……」
誰かが闇の先にいて誘っているような気がする。そのとき、小さく緑に輝く光が見えたような気がした。




