第2章 第35話 花瓶の花
一通り店を見て、手紙を出しにハトポステルに立ち寄ると、今度はハト2号が新しい手紙を持って待っていた。内容は、水のことでボルトンから相談がきているというものだった。船長がうまくやってくれていると信じているけど、その話とは別なのだろうか。
ララホステルに帰ると先に戻った船長がマリーさんと話していた。テーブルの上を見ると今しがた骨董市で買ったばかりのあの花瓶が置いてあった。それを見てマリーさんへのお土産を買ってこなかったことに気づいたけど、時すでに遅しだ。いつもながら自分の気の利かなさ加減にあきれるばかりだ。
「この部屋にちょうどいいわね」マリーさんが花瓶をゆっくり回しながらうれしそうに眺めている。
「爺さん、これいいだろ?」と聞かれたので、「さすがに船長の目利きにはかなわないな」と言ってお茶を濁した。そう言うしかない。
「オルターさん、気にしないでいいのよ。この人、半分は自分のために買ってるんだから」
「おいおい、それはないだろ。わざわざ買ってきたのに」
「マリーさん、それは船長の気持ちですよ」マリーさんからの答えはなかったけどわかっているのだろう。花瓶に生けられた花は庭に咲いているときよりもさらにきれいになったように感じた。花の好きな人に悪い人はいないというが、このホテルにいると心からそう思える。きちんと手入れのされた庭の花は自然の草花に負けず劣らず美しい。気持ちをやさしくしてくれるようだ。
マリーさんが、席を立ったタイミングをみて手紙を船長に見せると、一瞬眉間にしわを寄せて険しい顔になった。
「戻った方がいいかな」船長の顔色を伺うと、「いや、俺に任せてくれ。明日には出港するから立ち寄ってくる」と言った。何か心に期するものがあるようだ。その後再度手紙を見て、あいつら許せねえなと独り言のように言ったのが気になった。
こちらに来て2週間になることを考えると、留守をまかせっきりだし、そろそろ帰らないといけないだろう。そう思うとますますネモネさんのいるうちにオールドリアヌに行きたいという気持ちが強くなる。せめてジノ婆さんには会っておかないと、この旅の目的の入口にも立てないままに帰ることになってしまいそうだ。
「 次の船ぐらいで島に戻らないといけないね」と言うと、向こうのことは心配しないでいいといつもの船長のおおらかな表情に戻っていた。
話のついでにすぐにでもオールドリアに行きたいことを伝えると、躊躇する様子もなく行きたければいけばいんじゃないのかという答えが返ってきた。聞いた自分自身も何を相談したかったのだろうと思った。自分の責任で判断すればいいだけだ。
「マリー、オルター爺さんがまたあの恐ろしいオールドリアヌに行きたらしいぞ」と余計なことを言うから、調理場にいたマリーさんが花を生けた花瓶を持って戻ってきた。花瓶をテーブルにそっと置くと、じっと二人の顔を見てため息をついたかと思うと「男ってどうしてこうなのかしら……」と言うと、出かけるなら明日は天気がよくないからと明後日にしたほうがいいと教えてくれた。
部屋に戻って、久しぶりにノートの束を出した。明かりにかざして見たけれどノーキョさんの紙には透かしはなかった。もしやと思いマリーさんからもらった緑の手帳のページを透かしてみると、紋章が入っているのがわかった。マリーさんにもらった手帳もハロウズのものだったのだ。
しかし、よくよく考えてみると、島に置いてきたノートも現物ではなく写し取ったものだから、透かしなど入っているわけがない。手紙を書いたあとにこんなことに気づくとは情けない話だ。
窓から風が吹き込んだときに印刷してきたノートが床の上に舞うように落ちた。捕まえかけたと思ったノートの主が手の間からするりとすり抜けて行ってしまったような気がした。




