第1章 第31話 水玉の光 +
楽しい時間はすぐに経ってしまう。みんなと話しているうちにすっかり夜が更けてしまった。料理の提供は終って、ナミナさんがリクエストに答えて、小曲を演奏している。本当はピアニストなのだけど、旅に出るときはバンドネオンに変えてみんなに近いところで演奏するのだそうだ。聴く人に近づけば近づくほど演奏の勉強になることも多いと言っていた。
楽器をやらない人間にはその意味はよくわからないけど、それが旅芸人をやる醍醐味なのか。楽器のできない私にはよくわからない。
お腹もいっぱいになったところで、カウンターを離れて広場の向かいにある水玉画廊のほうに席を移すことにした。年を取ると若い人たちの中にいるのもなかなか大変になる。離れてそれぞれの時間を楽しんでいるのを見るのもいいものだ。
この画廊も食堂のように自由に使えるのだけど、ユーヨアさんの水玉模様のコレクションの展示以来誰からともなく水玉画廊と呼びだした。実質的にもユーヨアさんがオーナーのようになって掃除や催しなどの面倒をみてくれている。画廊といっても古い建物を画廊として使っているだけで、何も飾ってなければただの小屋でしかないそんな殺風景な場所でもある。
「オルターさん、こんばんは」
どこか飲みすぎなのを見ていたのか、ユーヨアさんが水を持ってきてくれた。
「ユーヨアさんのポートレイトはいつ見てもいいね。写真が話しかけてくるんだよね」
ほろ酔い気分でつい饒舌になってしまう。
「あら、オルターさんから褒めていただけるなんて光栄でございます」と笑いながら言った。少しお酒も進んでいるのか、ユーヨアさんも謙遜の仕方がいつになく大げさだ。
「このポートレイトはカメラが発明されたころに撮られたんでしょ? それぞれの人の人生を感じますね」
「私、名も知られてない昔の人のポートレイトが好きなんですよ。写真ならモノクロのポートレイト、使い込まれた骨董品なんかもいいですよ。そういうものに興味が行っちゃうんです。なんていうか、記録じゃなくて記憶を感じられるものが好きなのかな」
「記憶なんですね。問題は……」自分でもよくわからないままに、なんとなく相槌を打った。
「蒐集家って言われる人ってみんなそうなんじゃないかな」
アートコレクターのユーヨアさんは、ときどき島を離れ、いろんなところからめずらしいものを集めてくる。船長の定期船もユーヨアさんのためにと、たまに古いポートレートを持ってきてくれる。
「記憶って形になるもの?」
「というか、形に記憶が込められるような。物ってそういうことじゃないです?」
「なるほどね」
とすると、自分の過去の記憶もなにかの物の中にあるってことかと考えてみる。形のない記憶がなにかの物に残っているとしたら……なんだか不思議な気分になる。どこかに自分の分身がいるようだ。
「今度、オルターさんのポートレイトも撮らせてください」
「私がモデルに?」驚いて聞き返す。
「オルターさんの記憶も写真に」ユーヨアさんは楽しそうに笑っている。
写真に残る記憶はだれのものなのだろう。なんとなく自分のものではないような気がした。並んでいるポートレイトを見ていると、だんだんわからなくなってきた。少し飲みすぎたかと思いちょっと椅子に腰掛けて休むことにした。
「そうだ、これ見てみてください」ユーヨアさんが思い出したように言った。
「ノートを書いた人が子供のころに見た空虫って、これじゃないかと思って」彼女の指差したカゴの中には、小さなキノコとその周りを青く照らしながら舞う小さな虫が数匹いた。
「おお、空虫……」
「半島のほうで、ホタルを見かけますよね。その中にまざっていたんですよ。そこを見ていたらこのキノコがあって。キノコごと持って来てしまいました」
これが空虫なのだろうか。ホタルみたいだけど光は青く見える。暗闇を舞う姿が水玉のようにも見えた。ふと気配を感じて半島の先のほうを見ると数百もの青い光が夜空を舞っていた。
「ああ、空虫が……」
「え? どこですか?」いつのまにか横に来ていたトラピさんが聞いた。
「向こうの空に。ほら」南の空を指差した。
「あれー、オルターさんお酒飲んだ?」トラピさんが笑っている。
目を擦ってみたら、なにかの見間違いだったのか見えなくなってしまった。キノコのほうを見るとそちらの青い点滅も消えていた。
「あれ、青くない……」
ユーヨアさんが、ホタルをみつけたとトラピさんに説明している。
「オルターさん、よかったらこのホタルお持ちになりませんか?」ユーヨアさんが勧めてくれた。
「あ、ありがとう。今日は少し飲みすぎたかもしれないから、またあらためてももらいに来ます」自分の意識になんだか自信がなくなりはじめていた。
しばらくしてナミナさんたちの演奏がまた始まった。陽気な曲に合わせるように、一部の人は手を取りあって仲良く踊っている。ミリルさんとノーキョさんもその輪に入っているようだ。今夜は夜空を楽しむのにちょうどいい陽気だ。広い草原に浮かぶ自然がいっぱいの島に灯された小さな明かりのもとで、おいしいものをたくさんいただいて、楽しい手品を見て、音楽とダンス。こんな贅沢な時間はなかなか得られるものではない。
月が南の空高くまでたどり着くころになると、早い人は家路につきはじめる。もしかして、途中でだれかが空虫を目にすることはないだろうかと思いながら見送った。




