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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第1章 第30話 食堂の夜 +

 目が覚めたら、外はもう薄暗くなりかけていた。灯台の後ろの空もオレンジ色に染まっている。ノルシーさんも出かけたのか姿が見えない。懐かしい昔のことを話しているうちに寝込んでしまったようだ。久しぶりの慣れない大工仕事に疲れたのかもしれない。


 しばらくコーヒー豆を挽きながらレコードを聴いていたら、ノルシーさんが戻ってきた。


「オルターさん起きた? 代わりに水集めといたよ。窓のお礼ね。そういえば、ミリルさんが探してたよ。何か約束してない?」


「私を? 何だろう?」


「ほらね、あんなことばっかり言ってるから、すっかり呆けちゃったでしょ?」


「また、人聞きの悪いことを。否定しきれないところもあるけど……ちょっとリブロールに戻ってみるかな」


「ちょっと待って、この本は?」


「あ、それは置いておくから読んでみて。おもしろいよ」


「じゃあ遠慮なく。読み終わったら返すね」



 リブロールに戻ると誰もいなかった。ミリルさんは帰らないといけない用事でもできたのかもしれない。そう思いながら机の整理をし始めると、メモ書きが置いてあった。


「あ、自然食の会……」


 すっかり忘れていた。ほんとうに呆けてきたかな。新聞に夕暮れ時と書いたから、そろそろ始まる時間だ。ミリルさんのことだから、ノーキョさんの準備を手伝いに行ったのかもしれない。外を見ると、食堂のほうに向かう人の姿も見える。


 夕暮れ時と言っても、人によって受け止め方はまちまちだから、夕焼けのころからぽつぽつと集まってくるだろう。日が暮れる前に揃えばいいというゆるさがいつもの島時間になっている。


 今日はトラピさんの手品もあるはずだし、きっと久しぶりに賑やかな夜になるだろう。 耳を澄ませると、あのトンテケも聞こえる。もしかすると音楽隊も正式なお披露目になるのかもしれない。


 食器戸棚から持っていくものを選んでいるとコピの声がした。


「じっじ、しょくどうのひ!」


「おや、お出迎えかい?」きっとミリルさんに言われたのだろう。


「はやく、はやく!」


 コピに引っ張られるように店を出た。


「ランプも持たないと」今日は遅くなりそうだから必要だろう。


「コピはへいき!」


 コピは平気でもと思いながら、足元の用心のために、小さなランプを持った。コピはいつものように元気に飛び跳ねながらどんどん先に行く。


「じっじ、こっち、こっち」 時々振り向きながら手を振る姿が、夕暮れに現れた小さな妖精のように見える。


 少し歩くと、食堂の明かりが見えてきた。ノーキョさんのことだから料理の準備も万端だろう。今日は先日の雨の日に摘み取ったという朝露草のサラダがメインになるのだという。サラダがメインというのもめずらしいけれど、今日は特性のスープもあるらしいし、エモカさんも例の長時間発酵酵母のパンを用意するらしい。今夜は島の自然食をたっぷり楽しもう。


 みんなそれぞれにお皿をもって集まるのが、食堂のルールになっている。綺麗な盛り付けにこだわる主催者は食器まで用意することもあるけれど、見た目にこだわらず素材そのものを楽しむことが多いので食器が揃うことはめったにない。


「オルターさん、いらっしゃい!」 トラビさんが目ざとくこちらに気づいて声をかけてくれた。どうやら手品のほうも始まっているようだ。みんなの歓声と拍手も聞える。


「今夜の自然食、とてもおいしいですよ」ミリルさんも手伝いをしながらご馳走を楽しんでいるようだ。


「オルターさんも、そこにかけてください」ノーキョさんの声が厨房のほうから聞えた。


「じゃあ、遠慮なく」ひとつあいていたカウンター席が今日の場所になった。


 手提げからいつも使っているお皿とカラトリーのセットを出してカウンターテーブルに並べる。みんなそれぞれの食器を置いているのを見るのも楽しい。毎回料理を想像しながら食器を変える人もいれば、自分のように同じ食器しか使わない人間もいる。食器ひとつをとっても個性は出るものだ。


「エモカさん、こんばんは。長時間発酵のパン、この前美味しく頂きました。ふわふわの雲のようでした」 隣に座っていたエモカさんに挨拶した。


「ありがとうございます。 この島で、偶然、みつけた酵母なんです。お口に合ってよかったです」エモカさんはいつも控えめで、言葉を選ぶように話す。人柄もその話し方と同じだ。


「あれはきっと島の名物になりますよ」と言うと、「まちがいないですよ。 このパンがなかったら今夜の食事会は開けなかったかもしれない。今日のメインはエモカさんの長時間発酵のパンで、僕の朝露草サラダはおまけです」ノーキョさんが笑いながらエモカさんのパンを皿に載せてくれた。


「そんな……」横でエモカさんが下を向いて頬を赤らめた。


「あちらが、オルターさん」後ろから、音楽隊の3人を紹介しているトラピさんの声がした。振り向くとお母さんと双子の子供がペコリとお辞儀をしてくれた。


「あ、どうも、本屋のオルターです。今日は楽しい音楽をありがとうございます」


「ナミナです、よろしくお願いします。こちらこそ楽しませてもらって。すてきな島ですね」


「もう、この人住む気満々なんですよ」トラピさんが笑った。それにつられてみんなも笑った。


 水上生活者のスロウさんや、蒐集家のユーヨアさんも来ている。はじめてみる人も何人かいるようだ。だれかの友達なのだろう。


 空が星でいっぱいになるころには、カウンター席とテーブルがいっぱいになった。あちらこちらで楽しそうな話し声が聞える。


「とにかくね、このパンときたら……一度食べれば、どう言うのかな……」


「楽しい音楽だね。あの曲は以前……そうそう……」


「すごいすごい、ほんとうに消えてしまったね。不思議だ。ハトも出るのかな」


「朝露草って、朝小さな花が開く草だよね。雨のあとだとこんなにおいしいのか。知らなかった」


「長時間だからおいしい……時間をかけると……そうだよね」


「それは、楽しみだな……いつなの?」


「でも、今日のメインは……やあ、こんにちは!」


 たくさんの会話と笑い声が料理をおいしくしてくれるし、あたらしい出会いをつくってくれる。みんな、ここで語らう時間を楽しみにしているのだろう。


「コピちゃんもたくさん食べてね」ミリルさんの声が聞えた。コピはカウンターの中にいるらしい。小さいのでこちらからは見えない。


「ノーキョさん、今日は盛況ですね。よかった」


「あはは、これも島の恵みのおかげですよ。はい、御代わりをどうぞ。スープも特性なので」


「ほんとうにおいしいね。きれいな虹がたくさんつまったサラダとたくさんの時間がふくらんだパン。この島ならではだな」


「みなさーん、トラピの手品とナミナ音楽隊の演奏がはじまりますよー!」トラピさんの芸人さんらしい元気な声が聞えた。


 ぱちぱちぱち。ぴゅーぴゅー。広場のそこかしこからまた歓声があがった。

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