第8話 軽トラの正しい使い方
「あー、腰痛ぇ……。もう当分、林道で立ちっぱなしは勘弁だわ……」
R項の茶封筒をポケットへしまい、和希は服の埃を払いながら軽トラの運転席に乗り込もうとしていた。
技術オフィシャルだった稀昭と、HQ業務で真っ白に燃え尽きた藍華は、稀昭の車でひと足先に引き揚げている。
あとはこの軽トラを札幌まで走らせて帰るだけ――というところで、背後から緊張感のない声が飛んできた。
「おーい、オフィシャルお疲れさん。あとキー」
振り返ると、レーシングスーツの上半分を腰で結んだ、あの黄色いZC33Sのドライバーが立っていた。
朝のレッキで和希を散々イジり、午前のSS2では和希へ向かってブレーキロックで突っ込んできた張本人だ。
「おい、なんでお前にあとキーって言われなきゃいけねぇんだよ」
「だって、あの騒がしいJKが大声でそう呼んでたろ?」
「……広まってんの?」
「それなりに」
「マジかよ」
藍華が会場で連呼したせいで、妙なあだ名だけが本人より先に広まっている。
和希は頭を抱えた。
そんな姿を見て笑いながら、男が尋ねる。
「お前ん家、どこ?」
「は? 札幌だけど」
不躾な質問に和希が眉をひそめると、男はにやりと笑ってぽんと手を叩いた。
「あ、じゃあ通り道じゃね? 俺ん家、千歳。ちょっとさ、うちにタイヤ運んでくんない?」
親指で示した先には、ラリーを走り終えて泥だらけになったグラベルタイヤが四本、まとめて置かれていた。
「はぁ!? ざけんなよ、なんで俺がそんなの運ばなきゃいけないんだよ!」
「いやいや、今日のSS2のお詫び込みで、一万でどう?」
「ありがたくやらせていただきます!!」
さっきまでの鬱憤はどこへやら、和希の頭は一瞬で「一万円=次戦のエントリー費の足し」という計算を弾き出していた。
手のひらを高速で返してタイヤを軽トラの荷台へ積み込み、動かないようタイダウンベルトで固定する。
「よし、積載完了。じゃあな、気を付けて帰れよ」
「俺、道案内するから助手席乗るわ」
「え、お前も乗んの!? でも、あの33はどうすんだよ」
和希がサービスパークに残された黄色いスイフトスポーツへ視線を向けると、男は遠い目でふっと力なく笑った。
「あー……あれ、実はコドラのマイカーなんだよ。だから帰りはあいつが運転して帰る。俺はこれ以上、あいつの顔を見たくない」
「……お前も大変なんだなぁ」
「お互い様だろ?」
フロントガラスの奥で見せた、あの世の終わりみたいな絶叫顔の理由を察し、和希は心からの同情を込めて助手席のドアを開けた。
数時間前には林道で肝を冷やされた相手と、今は軽トラで肩を並べている。
しかも、運賃一万円の客として。
狭いキャビンには、汗と土埃の匂いがこもっていた。窓を開けると、夕方の風が吹き込んでくる。
気まずい無言の時間が続くかと思いきや、そこは同じRA-2クラスを戦うスイフト乗り同士。気づけば車内は、熱いスイフト談義で満たされていた。
「つか、お前よくあの速度から33の向き変えられたな。グラベルの33って、ターボの立ち上がりが唐突で難しくねぇの?」
「あー、それな。1.4リッター直噴ターボ、街乗りみたいな低速じゃ全然ターボ感ないくせに、踏んでいくといつの間にか『ぬめーっ』と過給が効いてくるんだよ。ドッカンじゃないから逆に分かりにくくてさ。気づいた時にはトルクが乗りすぎてて、一気にフロントが逃げる。だから今日のSS2も……」
「ルーズグラベルに乗ってブレーキロックか。外で見てて心臓止まるかと思ったわ!」
男は苦笑いしながら、「悪かったって」と頭を掻いた。
「外から見てて思ってたけど、お前の31もいい音させてんじゃん。2型だろ?」
「おう。ハイコンプピストン組んで、上までキッチリ回るようにしてある。うちのメカニックの力作。……まあ、前戦でドラシャ折ったけどな」
「あー、31はドラシャとハブが弱点だもんなぁ。でもNAのテンロクを7000回転までキッチリ回して走るの、まじで気持ちよさそう。33の、いつの間にか効いてるターボじゃなくて、踏んだ通りにパワーがついてくる31のM16Aは最高だよな」
「あの高回転のキレと、誤魔化しのきかねぇレスポンスだけは譲れねぇけど、33の速さに勝てる気しねぇよ」
「なら33乗れよ」
和希は鼻で笑い、軽トラのシフトを入れ替えた。
「嫌だね。俺は31のM16A愛好家だ」
33型の軽さとターボパワー。
そして31型の官能的な高回転NA。
お互いの車の長所と短所を語り合ううちに、和希の脳内には、昼間に外から見た33の挙動と、自分の31の走りが少しずつ重なり始めていた。
(もし、あのジャンクションを俺の31で攻めるなら……33みたいな一トン切りの軽さもトルクもねぇ。けど、NAの素直なレスポンスを活かせば、もっと繊細に荷重をコントロールして、インにノーズをねじ込めるはずだ……)
話しているうちに、今日走れなかった悔しさが、次に走る時の算段へ変わっていた。
軽トラが千歳市街の明かりに近づく頃には、二人の会話は、次戦のラリーでどちらが前に出るかという、剥き出しのライバルトークへと変わっていく。
やがて目的地が近づいたところで、助手席の男が思い出したように口を開いた。
「ところでお前、俺の名前覚えてる?」
「……」
和希は沈黙した。
ライバルとして散々意識し、さっきから熱く語り合っている黄色い33のドライバーだが、思い返せばゼッケン番号と車の色でしか認識していなかったのだ。
「あとキー、頼むよ。いい加減覚えろって」
呆れたようにため息をつく男に、和希はばつが悪そうに顔をしかめる。
「うるせぇな、名前覚えるの苦手なんだよ。ええと、切越さん」
「それ、うちのコドラな」
「……」
和希は再び黙り込んだ。
男は呆れ果てたように窓の外へ視線を向け、ぼそりと名乗った。
「荏田智紀。覚えとけ」
「なんだよ、お前もあとキーか」
「やかましい」
智紀――とも『き』。
くだらない和希のツッコミに智紀が毒づき、狭い軽トラのキャビンに野郎二人の笑い声が響いた。
次戦のスタートラインでは、もうただの『黄色い33』じゃない。
荏田智紀。今度こそ、その名前ごと順位表で追い抜いてやる。
「あとキー、次の信号、右な」
「どっちのあとキーだよ」
千歳の夜道を、二人の笑い声を乗せた軽トラが走っていった。




