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3速のレクイエム ――金欠ラリー屋たちの終わらない週末  作者: 久野 龍
第四部 ラリーはオフィシャルも楽しい
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最終話 青い文鎮、始動

 千歳から深夜の札幌へ戻り、稀昭が営む小さな修理工場に帰り着いた頃には、日付が変わろうとしていた。


 シャッターをくぐると、工場の中には見知った顔が揃っていた。

 技術オフィシャルを終えた稀昭と、HQ業務で真っ白に燃え尽きていた藍華。それから、同じくHQで働き続けていた楓だ。


「遅かったわね、和希。どこで道草食ってたのよ」

「悪りぃ悪りぃ。ちょっと千歳まで出稼ぎに行ってた」


 和希はにやりと笑い、ポケットから土埃のついたR項の茶封筒と、智紀から受け取ったタイヤ運搬代の一万円を取り出した。

 楓の前のテーブルへ、並べて置く。


「ほら、今日の上がりだ。これで次戦、なんとかなるだろ?」


 楓は茶封筒の中身と一万円札を確認し、スマホの電卓を叩いた。


「……これに私の分と、次の給料から回せる分を足せば、エントリー費と最低限のガソリン代はなんとかなるわね。ただし、次戦まであんたの主食はもやしよ」

「うげぇっ、またもやし生活かよ……! 俺、もやし炒め食うのもう飽きたんだけど!」

「自業自得じゃん。あとキー、せいぜいもやし食べて頑張りなよ」


 パイプ椅子に座った藍華が、夜食の塩味のカップラーメンを啜りながら笑った。

 和希はそのカップを恨めしそうに見つめる。


「お前はいいよな、麺が食えて」

「働いたし」

「俺も働いたわ!」


 そんな二人のやり取りを聞きながら、稀昭がガレージの奥に鎮座する青いZC31Sのカバーを外した。


「資金の目処が立ったなら、もうこれは『ただのデカい文鎮』じゃないね」


 オレンジ色の投光器に照らされたスイフトスポーツ。

 前回のラリーで左のドライブシャフトを折ったあと、左右とも競技用の強化品へ交換され、再び走る日を待っていた。

 ボンネット先端では、相変わらずメロン熊が不敵に牙を剥いている。


「……ああ。待たせたな」


 和希は歩み寄り、ロールケージを跨いで運転席へ潜り込んだ。

 自分の身体に馴染んだフルバケットシートの深いホールド感。掌に収まるステアリング。


 軽トラの直角シートとは、やはり違う。

 背中を預けただけで、ようやく帰ってきた気がした。


 今日はずっと、外から競技車を見ていた。

 石を浴び、弁当を待ち、黄旗を手に立ち続けた。

 自分が走る時にも、ああして誰かが道の先で待っているのだ。


 和希はステアリングを握り直した。


「楓。次戦は、今までよりコンマ5秒……いや、コンマ7秒早くノートを読んでくれ」

「は?」


 助手席のドアを開けて覗き込んだ楓が、怪訝そうに眉をひそめる。


「あんた、また勢いだけで突っ込む気じゃないでしょうね」

「違う。もっと手前で準備したいんだ。直前に慌てて曲げるんじゃなくて、姿勢を作る時間が欲しい」


 和希の脳裏に、林道のジャンクションを駆け抜けた黄色い33が蘇る。

 午前中はブレーキをロックさせ、午後には同じ場所を綺麗に抜けていった。


 千歳へ向かう軽トラの中で聞いた、智紀の言葉。

 過給の感触も、フロントが逃げる難しさも、自分の31とは違っていた。


「……あの33と同じ走りをしても仕方ねぇんだよな。俺たちの31なら、NAの反応を使って、もっと細かく姿勢を作れるはずだ。だから、次の情報を少し早めに欲しい」

「それでコンマ7秒?」

「まず、そのくらいから試したい」

「じゃあ、次のレッキで合わせましょ。早く読めばいいってものでもないんだから」

「ああ。頼む」


 楓は黙って和希の顔を見た。

 疲れているはずなのに、目だけはもう次のコーナーを追っている。


「外から見て、何か掴んだみたいね」

「……悔しいけどな。あいつら、速かった」

「でしょうね」

「でも、勝てねぇって決まったわけじゃない」


 前戦のSS2終了時点では、クラス3位だった。

 最後まで走り切れなかった悔しさも、自分たちの速さが通用した手応えも、和希は忘れていない。


 楓の口元が、ゆっくりと緩んだ。


「……上等じゃない。今度は速さも完走も、両方取りにいくわよ」

「望むところだ」


 不敵に笑い合う二人へ、稀昭が近づいてきた。

 ツナギのポケットからスマートキーを取り出し、和希へ放る。


「じゃあ、そろそろ起こそうか。近所迷惑にならない程度にね」

「おう」


 キーを受け取った和希は、センターコンソールのドリンクホルダーへ置いた。

 クラッチを踏み込み、ステアリングコラムのイグニッションノブを捻る。


 ――キュル、キュル、キュルキュル、ぷすん。


「……おい、稀昭。二万キロ病出てんぞ」

「あーーー、プラグ変えとくよ。アクセル煽ってエンジンかけて」

「締まらねぇなぁ……」


 苦笑しながらアクセルペダルを軽く踏み込み、もう一度ノブを捻る。


 ――キュル、キュル、ブォンッ!!


 今度こそ、M16Aが目を覚ました。

 始動の一声がガレージに響き、やがて低いアイドリングへ落ち着いていく。


 和希はステアリングへ掌を戻した。

 微かな振動が、指先から伝わってくる。


 手間も金もかかる青い相棒。

 その面倒を見てくれる親友。

 隣には、次の走りを一緒に考えるコ・ドライバーがいる。


「……次は、勝つぞ」

「まず完走ね」

「壊さないでよ」

「あとキー、勝ったらカルビ弁当ね」

「お前、ほんとそれ諦めねぇな!」


 藍華が、カップラーメンを片手ににっと笑った。

 つられて稀昭が笑い、楓も運転席へ向けていた顔を緩める。


 笑い声の下で、M16Aが低く脈打っていた。


 青い文鎮は、もう沈黙していない。

 彼らの終わらない週末が、またここから始まる。

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