第6話 サイレン目覚まし
――ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
「うおわあっ!? 熊出た!?」
静寂の森に突然響き渡ったけたたましいサイレンの音に、和希はびくっと体を跳ねさせ、危うく軽トラの荷台から転げ落ちそうになった。
慌てて身を起こし、寝ぼけ眼をこすりながら林道の奥を見る。
砂埃を巻き上げながら近づいてくるのは、オフィシャルカーの00カーだった。
「やべっ、もう午後のSS5の時間かよ!」
スマホを見ると、止めた覚えのないタイマーが止まっていた。
「……俺、寝ながら消した?」
考えている暇はない。
急いで荷台から飛び降り、タバードを整えて黄旗を手に持ち場へ戻る。
00カーが減速し、助手席からオフィシャルが顔を出した。
「ポスト7、異常ないか?」
「異常ありません!」
「よし、午後もよろしく!」
爽やかに手を振り、00カーが走り去っていく。
和希は頬を両手で叩き、眠気を追い払った。
ほどなくして0カーが現れ、けたたましい排気音とともにジャンクションを駆け抜けていく。
「……来たな」
和希が身構えると、遠くの山からパンッ! パパパンッ! とアンチラグの爆音が鳴り響き始めた。
午前中のSS2でコースの砂利が掃け、下地が見え始めている。
午後のSS5では、そこを競技車たちがさらに鋭い勢いで駆け下りてきた。
ババババババッ!!!
「うおぉぉぉっ! 痛ぇっ!!」
ゼッケン1番のGRヤリスが、午前中よりも鋭くコーナーを立ち上がり、容赦ない石礫の雨を飛ばしていった。
掘り返された轍から跳ねる石は大きく、脛に当たった一発で和希は思わず片足を引く。
その後も、ランエボ、WRXといったハイパワー4WD勢が次々とジャンクションを駆け抜けた。
和希は飛んでくる石を避けようと立ち位置をずらしたが、風に流される土埃まではどうにもならない。
「ペナルティ……! 絶対こいつら全員に石ハネのペナルティ科してやる……っ!」
理不尽な怒りを叫びながらも、各車のライン取りはしっかりと目に焼き付けていた。
やがて、午前中に轢かれかけた黄色いZC33Sがやってくる。
今度はブレーキをロックさせることもなく、荷重移動でリアを滑らせ、ジャンクションを綺麗に、そして猛烈なスピードでクリアしていった。
(……ちくしょう。やっぱアイツ、速えな)
立ち上がりの排気音が遠ざかっていく。
和希はその姿が消えた先を見つめ、悔しさと闘志を噛み締めた。
――――――
すべての競技車が通過し、コースクリアを告げるスイーパーを見送ってから数十分後。
コーステープの回収準備をしていた和希のもとへ、スタート地点に配置されていたオフィシャルたちが、コースの片付けをしながら車でやってきた。
「おーい和希! 役務終了だぞー! 撤収撤収ー!」
「お疲れ様でしたーっ!」
見知った顔のおじさまたちの声に、和希はようやく全身の力が抜けるのを感じた。
ダンロップテープを巻き取り、杭を抜く。
回収した資材を軽トラの荷台へ積み込み、残したものがないか周囲を確かめてから、和希はオフィシャルカーの後に続いて林道を下っていった。
長かった陸の孤島でのサバイバルが、ついに終わったのだ。
舗装路へ出た途端、妙に静かだった。
ついさっきまで、石を浴び、土埃を食らい、熊に怯えながら林道の分岐に立っていたのが嘘みたいに、軽トラの車内にはエンジン音とタイヤノイズしかない。
「……終わった、のか」
ハンドルを握る腕から、余計な力が抜けていく。
タバードの胸元は土埃で白っぽくなり、腕も首筋もざらざらだった。髪の間にはまだ細かい砂利が残っている気がする。
なのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
競技車に乗っていなくても、自分も今日、ちゃんとラリーの一日を戦った。
そんな手応えが、疲労の底に残っていた。
サービスパークへ戻り、本部の建物前で軽トラを降りた和希は、入口から出てきた人影にぎょっとした。
藍華だった。
見慣れた顔が、見慣れないほどげっそりしている。
「……藍華? お前、なんか老けてないか?」
「あ……あとキー……生きてたんだ……」
普段はうるさいほどに元気な藍華が、焦点の合っていない目で和希を見上げてくる。
手にはクリアファイルの束。冷房の効いた部屋にいたはずなのに、肩までぐったり落ちていた。
「何があったんだよ。俺の林道サバイバルより過酷な目にでも遭ったのか?」
「……楓さん、超厳しい……」
「えっ?」
藍華が恨めしそうに振り返る。
開いた入口の向こうでは、楓がパソコンの画面と手元の書類を見比べ、キーボードを叩いていた。
「ゼッケン12のSS6、記録を照合したいので、こちらも確認してもらえますか」
隣のオフィシャルへ書類を渡した楓が、顔を上げる。
「あ、藍華ちゃん、SS5の暫定リザルトを貼ってきて。そのあとゼッケン12のクルーを呼んでくれる? タイムの確認があるの」
「……はいぃ……」
返事の途中で、楓の机へ新しい書類が届いた。
楓も缶コーヒーへ伸ばしかけた手を引っ込め、そちらを受け取る。
藍華は抱えていたファイルを机へ戻すと、印刷されたリザルトを受け取り、ふらふらと掲示板へ向かった。
貼ったと思えば、次の用事。
その間にも、本部には人と書類が次々に入ってくる。
和希は入口から中を覗き、口を閉じた。
冷房が効いていれば楽だろう、と思っていた自分の認識が、少しだけ崩れる。
土埃まみれの林道で、石礫と孤独に耐えた和希。
涼しい本部で、途切れない仕事に追われた藍華。
どちらが過酷だったのか、和希には判断がつかなかった。
「……裏方って、マジで楽じゃねえな……」
自分の土埃まみれのタバードを見下ろし、和希は深くため息をついた。




