第2話 午前4時ブリーフィング
ラリー前日の夜。
主催者がオフィシャルたちの宿泊場所として手配した、地元の古びた公民館の大広間。
畳の上に等間隔で並べられた寝袋の一つに転がり、和希は全身の筋肉痛に悶えていた。
「いててて……っ。なんだよあの杭打ちの量……ダンロップテープ何キロ張らせる気だ……」
日当と弁当につられた代償は大きかった。
前日準備から駆り出された和希は、昼間から林道に入り、危険箇所へのテープ張りやコース脇の草刈りに追われていたのである。
そんなボロボロの和希の隣で、缶ビールを片手に宴会気分でくつろいでいるのは、日に焼けた顔のベテランオフィシャルたちだ。
「おお? 兄ちゃん、見覚えあると思ったら青いスイフトのドライバーじゃねえか。なんで今回こっち側にいんだよ?」
「……前々回は2速が入らなくなって、アンダーガードに砂利入れてオイルパン割りまして。パンクしてホイールも歪ませた挙句、前回はドラシャ折りまして。修理代でもう、マジで一銭もないんです……」
和希が切実すぎる惨状を白状すると、おじさまたちは顔を見合わせて豪快に笑った。
「ガハハハハ! お前、給料全部スズキに貢いでんじゃねえか! 車直して金が尽きるなんて、プライベーターのテンプレだな!」
「バカだなー! ラリーやりたきゃガッツリ稼げ、若者よ! まあ、明日は外から他人の走りでも見てきっちり勉強しな!」
「うう……っ」
図星すぎて何も言い返せない。
悔しさと情けなさで寝袋を被る和希だったが、本当の地獄はここからだった。
消灯時間になるやいなや、ベテランオフィシャルたちは一瞬で深い眠りに落ち――大広間に、凄まじい『イビキのサラウンド』が鳴り響き始めたのだ。
重低音、高音、さらには歯ぎしりのリミックス。
(うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!!! よく寝れるな、おっさんども!!!)
ただでさえ薄い寝袋と硬い畳で背中が痛いというのに、どちらへ寝返りを打ってもイビキが追ってくる。
和希はろくに眠れないまま、起床時刻を迎えた。
――――――
翌朝、午前4時。
昼間の暑さが嘘のような朝の空気が、寝不足の身体には肌寒かった。
まだ夜の色が残る空の下、ラリー本部――HQが設置された建物前には、タバードを着たオフィシャルたちが集まっていた。
「……眠い……腰痛い……帰りたい……」
目の下に濃いクマを作り、和希は大きな欠伸を繰り返す。
そこへ、女性用の別室で休んでいた楓が、缶コーヒーを片手に現れた。
少なくとも、和希ほど寝不足には見えない。
「おはよう和希。ひどい顔ね」
「誰のせいで……っ」
「さあ、全体ブリーフィングが始まるわよ。シャキッとしなさい」
本部の建物前に、張りつめた空気が漂う。
競技が始まる数時間前。まだドライバーたちが夢の中――あるいは、コンビニのコーヒーを啜りながら会場へ向かっている時間に、オフィシャルたちはすでに『本番』の顔になっていた。
大会委員長が前に進み出て、よく通る地声を張り上げる。
コースの状況、天候、そして安全管理についての注意事項が、静まり返った早朝の空気に次々と響き渡っていく。
「……以上だ! 今日一日、競技者たちの命を預かっているという自覚を持って、各ポストで役務に当たってくれ! では、配置発表!」
オフィシャルたちの顔つきが一段と引き締まる。
前日準備の段階では大まかな割り振りしかされておらず、この朝のブリーフィングで最終的な担当地点が伝えられた。
楓が配置表を確かめ、和希へ向き直る。
「和希、本番はSS2とSS5のポスト7。林道の中間地点にある、S字コーナーのジャンクションね」
「……電波は?」
「圏外。自販機もトイレもないわ」
「俺の扱い、サバイバルゲームより酷くないか!?」
「あなたがその持ち場に入るのは、レッキが終わってから。それまではレッキのスタートを手伝ってもらうわ」
「レッキオフィシャル?」
楓はバインダーとボールペンを和希に渡した。
「スタート地点で、下見に来た競技車のゼッケン確認と、レッキ指示書へのサイン。それから通過時刻の記入よ。寝ぼけたエントラントが来ても、きっちり仕事しなさい」
その言葉の意味を理解し、和希はバインダーへ目を落とした。
「マジかよ……。俺、これから走る気満々のライバル連中を、一台ずつ見送るわけ……?」
「外から勉強するいい機会でしょ。お弁当が来るまで、水と食料は自分で管理すること。ヒグマよけの鈴とスプレーは持ったわね? それじゃ、行ってらっしゃい。熊の餌にならないように」
「なまらひどいこと言ってる!」
絶望する和希の肩を、昨晩のイビキのおじさまたちが「行くぞ若者!」とバンバン叩いて笑う。
あれだけの音を出して寝た連中は、やはり朝から元気だった。
和希は溜息をつき、今回稀昭の工場から借りてきた代車の軽トラのキーを握りしめた。
運転席へ乗り込み、キーを回す。
ガタガタとシートに伝わる振動に、早くも腰が嫌な予感を訴えてくる。
「……今日一日、持ってくれよ。俺の腰」
小さくぼやき、和希はレッキのスタート地点へ向けて走り出した。




