最終話 焼肉大会という名の反省会
夜の帳が下りた、稀昭の修理工場。
シャッターは半分だけ開け放たれ、オレンジ色の投光器が、ウマに載せられた痛々しい青いスイフトスポーツを照らしていた。
前足を失ったその姿は、どう見ても満身創痍だ。
ジュウウウゥゥゥ……ッ!
ガレージに響くのは、エンジン音ではない。
カセットコンロの上に置かれた安物の焼肉プレートで、肉が焼ける音だった。
「はい、豚バラ焼けたよ。あとキー、焦げる前に食べな」
「おう……」
「こっちは、半額シール付きのメインディッシュ牛カルビ。うちの工場には、隣の社長チームみたいな高級黒毛和牛なんてないんだから、ありがたく食べな」
パイプ椅子に座った藍華が、トングで肉を返していく。
最初は稀昭に焼け具合を確かめてもらっていたが、今では自分で焼けた肉を見分け、皿へ配るようになっていた。
和希は無言で紙コップのコーラをあおり、差し出された牛カルビを白米と一緒に掻き込んだ。
濃いタレと脂の味が、疲れきった身体にしみる。
「……うまい」
「でしょ。リタイアの味」
「お前はほんと一言多いな!」
藍華はどこ吹く風で、次はエリンギを並べ始める。
その横で、手洗いを済ませた稀昭が、ツナギ姿のまま椅子へ腰を下ろした。
「はぁ……。左のドラシャ、見事にポッキリいってたよ。等速ジョイントのブーツも破れて、ハブ周りは飛び散ったモリブデングリスでドロドロ。掃除する僕の身にもなってよね……」
「悪かったって! ドラシャ交換も掃除も、ちゃんと俺が手伝うから!」
「当然だよ。部品代はきっちり払ってもらうよ。ヤフオクで中古あるかな……いや、いっそ強化品入れる? ……あー、面倒くさい!」
文句を言いながらも、稀昭の頭はもう次の修理段取りへ切り替わっている。
「……修理の相談の前に、今日の走りを見直すわよ」
ガレージの隅の作業台。
そこで一人、黙々と塩タンを食べていた楓が、ノートパソコンの画面をくるりとこちらへ向けた。
「ドラシャが折れたSS6。和希、ここを見て」
楓がエンターキーを叩く。
爆音とともに、林道を突き進む車載映像が再生された。
画面の中では、深い轍に沿ってスイフトが激しく揺れている。
和希は細かくステアリングを修正しながら、アクセルを踏み続けていた。
『右4、ギャップ! 次、左3マイナス、轍深い!』
『しゃああっ!』
楓の声。和希の気合。
コーナーを抜けた先で、次の指示が飛ぶ。
『いいペース! 次、クレスト越えてすぐ右5ロング、70! 踏みちぎれ!』
『おうよッ!』
映像がふわりと浮き、着地の衝撃で跳ねた。
直後、ゴガンッ! という破壊音とともに画面が激しく揺れ、エンジン音だけが急に高くなる。
「ほら、ここ」
楓が映像を巻き戻し、着地直後で止めた。
「午前中とは路面が変わってる。硬い岩盤が露出してるのに、深い轍から抜けないまま加速してるわ」
「うっ……」
「着地で姿勢が乱れてたのに、そのまま踏み込んだ。もう少し車が落ち着くのを待てなかった?」
「……タイム、取り返したくて」
和希はうつむき、ウインナーを噛みしめた。
あの時は、まだいけると思っていた。午前中に失った分を、少しでも削りたかった。
「……ごめん。俺が、もっと冷静に車を労わって走れてたら……」
「私もよ」
思いがけない言葉に、和希は顔を上げた。
楓は止まった画面を見つめている。
「あそこで踏めって言った。路面が荒れてるのは分かってたのに、タイムに気を取られてたわ」
画面には、岩の露出した轍が映っていた。
和希は紙皿を膝へ置き、しばらくその一点を眺める。
「……二人して熱くなってたってことか」
「そうね」
プレートの上で、脂がぱちりと跳ねた。
稀昭が手を伸ばし、端で焦げかけていたウインナーを自分の皿へ取る。
「でもね」
楓が画面を切り替えた。
映し出されたのは、SS2終了時点のリザルトだった。
「SS2を終えた時点では、クラス3位。上のクラスのターボ勢にも食い込んでる」
「え……?」
和希が画面へ身を乗り出す。
稀昭も、口へ運びかけたウインナーを止めた。
「お金もない。十分にテストする時間もなかった。それでも、和希の走りと稀昭くんのセットアップは、林道でちゃんと通用してたの」
楓は自分たちの名前が並ぶ行を指した。
和希はその横のタイムを見て、さらに上の順位へ目を走らせる。
「笹藪で落とした分もあるから、今日そのまま表彰台に乗れたとは言わない。でも、そこを狙える速さはあったのよ」
そこで、楓の口元が少しだけ緩んだ。
「次は、最後まで走り切るわよ。速く走るだけじゃなくて、車を残すところまで、二人で考えるの」
「……おうっ!」
和希の目に、再び闘志が戻る。
ドラシャが折れた金属音は、まだ耳に残っている。修理代も消えてはいない。
それでも、画面の中のタイムは、今日のすべてが無駄ではなかったと教えてくれた。
「聞いたか稀昭! 俺たち、いけるぞ! 次のラリーは絶対に勝つ!」
「勝つ前に、まず目の前のグリスまみれの車を直すのが先でしょ。ほんと、単細胞のドライバーはこれだから……」
「次もサービス頼むぞ!」
「お断りします!」
即答しながらも、稀昭の顔には笑みが浮かんでいた。
「あーあ、また車バカの熱血トークが始まっちゃった。はいはい、勝つのはいいけど、肉が焦げる前に食べてよ」
藍華が呆れたように言いながら、焼けたカルビを和希の紙皿へ放り込む。
「サンキュ、藍華!」
和希は大きな口でそれを頬張った。
隣で稀昭が次の肉へ箸を伸ばし、楓もパソコンを脇へ寄せて紙皿を差し出す。
藍華は「焼くの追いつかないんだけど」と文句を言いながら、空いた場所へ肉を並べた。
泥だらけで、油まみれで、いつもぎりぎり。
それでも彼らの、最高に馬鹿げていて、最高に楽しい日々は、まだ終わらない。




