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3速のレクイエム ――金欠ラリー屋たちの終わらない週末  作者: 久野 龍
第三部 新生(?)結城工務店レーシング
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第7話 真夏のカレーヌードル

 結城工務店とでかでかと書かれたダサいテントの下で、稀昭はパイプ椅子にうずくまり、今にも真っ白な灰になりそうな顔をしていた。


「もうダメだ……タイムが更新されないまま、こんなに時間が……。今ごろ和希と結城さんは谷底でひっくり返って……いや、僕がもっとサスペンションのセットを煮詰めていれば……それともブレーキパッドの摩耗限界を見誤ったのか……?」

「あー、外で食べるカップ麺って、なんであんな美味しいんだろ。家で食べるやつの三倍うまい。クソ暑かったけど」


 ぶつぶつと懺悔を続けるメカニックの横で、藍華はシーフードヌードルの空き容器を片付け、冷たいお茶を飲んでいた。


 ふと隣の区画へ目をやれば、豪華なチームの巨大テントがそびえ立っている。

 業務用のスポットクーラーが涼しい風を吐き出し、ケータリングスペースでは、ドライバーたちが優雅に冷製パスタとアイスカフェラテを楽しんでいた。


 圧倒的な格差社会である。


 その時だった。


「――ん? まえキー、あれ、あとキーのスイフト」

「えっ!?」


 藍華がペットボトルを置いて目を凝らす。

 遠くから、聞き慣れたM16Aの排気音が、ゆっくりと近づいてきた。


 稀昭が弾かれたように立ち上がり、テントの外へ飛び出す。

 薄く土埃を立てながら、一台の青いスイフトスポーツがサービスパークの通路を徐行してきた。


 ボンネットは土埃で白く汚れ、右のサイドステップには擦ったような新しい傷。

 フロントグリルの隅には、取り残した細かな笹の葉が引っかかっていた。


「か、和希ぃぃぃぃぃぃっ!!」


 スイフトが所定の位置へ停まると、稀昭は運転席へ駆け寄った。


「生きてた! 生きて帰ってきたぁぁ! よかった、てっきり崖から落ちて爆発したのかと……!」

「……うるせえ、そこどけ……暑い……死ぬ……」


 ガチャリとドアが開き、中から這い出してきた和希は、限界まで茹で上がったタコみたいな顔をしていた。

 レーシングスーツは汗でぐっしょりと重くなり、足元はふらついている。


 助手席からは、同じく顔を真っ赤にした楓が、大きなため息とともにバインダーを手に降りてきた。


「無事よ。SS3でタイムは落としたけど、ちゃんとフィニッシュしてる。速報に出なかった理由までは分からないわ」

「タイムロスって……あのフロントに残ってる笹の葉は何!?」

「オーバースピードで笹藪に突っ込んだのよ。走った感じでは足まわりに異常はなかったけど、グリルに笹が詰まって水温が跳ね上がったわ」


 楓の報告に、稀昭の顔色が変わる。


「水温、何度までいきました!?」

「115度。ヒーターをMAXにして、ペースを落として走ったわ」

「ヒーターMAX!? この真夏に、レーシングスーツ着たまま!?」


 稀昭が絶句して和希を見下ろす。

 当の和希は、パイプ椅子へ崩れ落ち、虚ろな目で宙を見ていた。


「……俺は……林道の中で焼肉になるかと思った……。真正面から熱風が来るんだぞ。逃げ場ねぇんだぞ……」

「エンジン載せ替えよりマシでしょ。ほら、水分摂りなさい」


 楓がクーラーボックスから冷えたスポーツドリンクを取り出し、和希へ渡す。

 和希はそれを受け取るなり蓋を開け、喉へ流し込んだ。


「ぷはぁっ! ……生き返ったぁぁ! おのれ緑の怪物め、次は絶対ぶっちぎってやる!」


 スポーツドリンク一本で無駄に闘志を取り戻す単細胞ドライバー。

 楓も冷たい飲み物を口にし、バインダーへ目を落とした。


 休んでいる暇はない。ここから次のステージへ向かうまでのサービス時間は、厳格に決まっている。


「現在時刻、12時45分! TCアウトまで残り40分よ! 稀昭くん、急いで!」

「はいっ!!」


 楓の鋭い声で、稀昭の目が一瞬でメカニックのそれに変わった。

 先ほどまでの取り乱しようが嘘のように、車の周囲を確かめ、用意していた板の上へガレージジャッキを据える。


 車体を持ち上げ、ウマを掛ける。安定していることを確かめると、稀昭はタイヤへ目を走らせた。


「結城さん、午後ループの路面状況は!?」

「SS4、SS5はコーナーごとに土が出てる。最終のSS6は浮き砂利が掃けて、硬い岩盤と深い轍が露出してくるはず。フロントのトラクションが生命線になるわ」

「了解! 和希、グラベルでブロックが飛んでるから、溝の残ってる後輪を前へローテーションして!」

「おう!」


 和希が電動インパクトレンチを握り、ホイールナットを外していく。

 そのあいだに稀昭は段ボールを敷いた地面へ寝転がり、車の下へ潜り込んだ。


 下まわりのボルトの緩み。

 ドライブシャフトブーツの破れ。

 サスペンションのオイル漏れ。


 笹藪に突っ込んだ痕跡として、分厚いアルミのアンダーガードには生々しい擦り傷が刻まれていたが、致命傷はない。


「アンダーガードのボルト増し締めよし! 足まわりのガタなし! ブレーキラインの損傷、フルード漏れなし!」


 稀昭は車の下から這い出し、エンジンルームへ回り込んだ。

 ラジエーターのフィンに残った細かな笹をピンセットで取り除き、葉や埃をエアで吹き飛ばしていく。


 その横では、楓がフロントガラスにこびりついた泥を拭き落としていた。

 藍華は作業の進み具合を窺いながら、沸かしておいた湯をカップへ注ぐ。


「よし、冷却水減ってない! オイル量も問題なし! 大きな損傷は見当たらないよ。和希の悪運の強さだけはワークス級だ!」

「褒めてんのかそれ!?」

「褒めてるよ! タイヤ、付いた?」

「おう、こっちは終わった」

「じゃあ下ろすよ。離れてて」


 稀昭はジャッキで車体をわずかに上げ、ウマを外した。

 バルブを緩めると、スイフトは静かに地面へ戻る。


 最後にトルクレンチを手に取り、ホイールナットを一本ずつ規定トルクで締めていった。


 カチッ。カチッ。


 命を預ける足まわりの、最終確認。

 すべてを終えた時、TCアウトまで残り十五分になっていた。


「ふう……よし。和希、お昼食べる時間くらいはあるよ」


 額の汗を手の甲で拭いながら稀昭が言うと、藍華が「はい、これ」と、出来たてのカレーヌードルを差し出した。


「おっ、サンキュ……って、あっちぃぃぃ!!」


 一口すすった和希が絶叫する。


「ばかっ、俺はさっきまで車内で煮込まれてたんだぞ! なんでこの炎天下で熱々のカレーヌードル食わなきゃなんねえんだよ!!」

「カップラーメン作れって言ったの、あとキーじゃん!」


 和希は口を開きかけ、そのまま閉じた。

 否定できない。確かに言った。


「文句言わないの。うちには隣みたいなエスプレッソマシンも冷製パスタもないの。塩分とカロリーを摂れるだけありがたいと思いなさい」

「ちくしょう、隣の社長チームめ……! いつか絶対、あのケータリングテントごと奪ってやる……!」


 滝のような汗をかき、麺を何度も吹き冷ましながら、和希はカレーヌードルを三分で胃へ流し込んだ。


 飯は熱々のカップ麺。隣の冷製パスタには、どうしたって見劣りする。

 それでも、車の点検は済んだ。腹も満ちた。

 次のステージへ向かう準備は、整っていた。


「窓も拭いた。時間よ、行くわよ」


 楓が時計を示し、出走を促す。

 和希は空の容器を置いて立ち上がり、目つきをまた勝負師のそれへ戻した。


「行ってくる。次は絶対タイム残すからな」

「気をつけてね! 絶対に車壊さないでよ、僕の精神のために!」

「あとキー、カレーこぼしたのスーツについてるよ」

「へ!? うわ、マジか!」


 稀昭の悲痛な叫びと、藍華の気の抜けた声に見送られながら。

 青いスイフトスポーツは午後のループへ向けて、力強い排気音とともにサービスパークを後にした。

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