第2話 激渋看板、謎のゆるキャラ
ラリー開催の一週間前。
稀昭の修理工場を訪れた和希と楓は、ピットのど真ん中に積み上がった“山”を見て、そろって目を丸くした。
「……おい、稀昭。なんだよ、この巨大な鉄の塊の山は」
「あ、和希。ちょうどよかった。ラリーのサービスに持っていく機材なんだけど、これ積載車に乗るかな?」
「乗るか! なんで大型コンプレッサーにアーク溶接機まで引っ張り出してきてんだよ!」
和希の怒声に、稀昭はきょとんと首を傾げる。
楓はやれやれと肩をすくめ、その声に驚いた藍華が、クッキーを咥えたまま事務所から顔を出した。
「何、騒いでんの」
「あら、藍華ちゃん。来てたの」
「ども、楓さん。で、何の騒ぎ?」
「うーん……まあ、この荷物かな」
「あー……まえキーが必死で掻き集めてたやつね」
女子二人がのんびり会話する横で、和希と稀昭の言い合いは止まらない。
「だって、もし本番でアームが折れたり、フレームが曲がったりしたら、溶接しないと直せないでしょ?」
「俺たちはワークスか! フレーム曲がったら、その時点でリタイアだよ!」
「直せたら、まだ走れるってことでしょ?」
「サービス時間内に直せればな! でも工場ごと持っていく気かよ。積める量にも限度があるだろ!」
稀昭は、ラリーの現場にメカニックとして同行したことがない。
だからサービスのイメージが、動画で見るWRCや全日本のまま止まっているのだ。
「いいか。地区戦のサービスに電源なんてないんだよ。エアツールより、バッテリー式の電動インパクトで十分だ」
「えっ、電源ないの? 僕の工具、ほとんどエアなんだけど」
「発電機と、小さめのエアタンク持ってけ」
「……発電機……どこに仕舞ったっけ……」
げんなりする稀昭へ、和希はさらに現実を突きつける。
「それに、足元はアスファルトとは限らない。ボコボコの土か砂利、下手すりゃ傾斜地だ。ジャッキの下に敷く頑丈な板も要る」
「うわ、ないよそんなの。平らじゃない場所で整備とか、考えただけで腰が痛い……まさかミッション降ろしとかある?」
「降ろすような事態になったら、それこそ終わりだって言ってんだろ」
和希が溜息をつくと、背後から楓が呆れた声を差し込んだ。
「相変わらず過保護なメカニックね。あと、オイルやクーラントを地面に落とさないように、車の下へ敷く防水シートも必要よ」
「うわ、出費えぐいな……和希への請求書に上乗せしていい?」
「そうね、名案だわ」
不安で胃を痛め始める稀昭をよそに、今度は藍華が元気よく手を挙げた。
いつの間に買ったのか、真新しいエプロンまで着けている。
「ねえねえ、私のケータリング用の機材はどこに積むの? スマホで『簡単なキャンプ飯』って検索したんだけど、パエリアとかホットサンドとかやれそうじゃない? 電子レンジと冷蔵庫は?」
「あるわけねぇだろ!」
和希がびしっと指差した先にあったのは、ホームセンターで売っている安いクーラーボックスと、カセットコンロ、それから少し凹んだヤカンだった。
「俺たちがサービスにいられる時間は短いんだ。まずは戻ってきた時に、すぐ食えるもんを用意してくれ。お湯を沸かして、カップラーメン! それがお前の任務だ!」
「はああ!? なにそれ、ただのお湯沸かし係じゃん! ケータリングじゃなくてサバイバルじゃん!」
「和希には、カロリーメイトの封開けて口に突っ込んであげるだけでも十分よ」
「エサやりじゃん!!」
想像していた“オシャレなキャンプ風ケータリング”との落差に、藍華が絶叫する。
「……炎天下でカップラーメンって、罰ゲームすぎない?」
ドン引きする妹の隣で、稀昭も心底嫌そうに唸った。
「汗を流せば涼しくなる方式かな?」
「サウナかよ」
「うるせぇな。まさしくサウナなんだよ、夏のラリーは!」
藍華と稀昭のツッコミへ、和希がきっちり返す。
稀昭は積み上げた機材へ目を戻し、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、日差しとか雨を避けるテントも必要だよね。うち、小さいタープしかないけど……」
「ふふ」
楓が得意げに鼻を鳴らす。
「テントなら大丈夫。『結城工務店』ってでっかく書いてあるけど、おじいちゃんからイベント用のやつ借りる予定よ」
「結城工務店レーシング……」
稀昭がその光景を想像して呟くと、藍華がすぐさま食いついた。
「えー、『うえやまレーシング』の方がよくない?」
「せめてラリーチームにしてくれねぇ?」
「何そのこだわり」
三人の不毛なチーム名論争を鼻で笑い飛ばし、楓は仕事鞄から細長いボール紙の筒を取り出した。
「チーム名はともかく、テントだけじゃなくて車体の方も『結城工務店レーシング』になってもらうわよ。おじいちゃんから預かってきたの。『協賛するからには、うちの看板も背負って走ってもらわんと困る』ってね」
筒から取り出されたのは、真っ白なシートに、黒く太い達筆フォントで刻まれた文字。
――【株式会社 結城工務店】
「……渋っ!!」
和希が思わず仰け反る。
「渋すぎるだろ! なんだよこの筆文字! 競技車のスポーツ感が一気に消える! これじゃ現場急行用の、やたら速い営業車じゃねえか!」
「文句言わないの。あの新品グラベルタイヤ六本、どこのどなたが『現物協賛』してくださったと思ってるの?」
楓が隅に置かれた新品タイヤを指差す。
和希は「うぐっ」と言葉を詰まらせた。
「……結城工務店の、社長様です」
「よろしい。ならロゴはフロントドアの両側に、でかでかと貼りなさい」
資金を出してくれるスポンサーには絶対服従。
和希が渋々シートを受け取ると、藍華が目を輝かせて飛びついてきた。
「あ! ステッカーチューンじゃん! 私も貼っていい!?」
「何をだよ」
藍華がスマホケースの裏から取り出したのは、『夕張のメロン熊』のステッカー二枚だった。
「なんで夕張!? 俺の神聖なラリー車にそんなもん貼るな!」
「可愛いじゃん! これ貼ったら空気抵抗減って、熊パワー入るかもよ!」
「入るわけねえだろ! だいたい、工務店の激渋フォントの横にメロン熊って、カオスすぎるんだよ!」
「いいじゃん、それが『うえやまレーシング』の個性ってことで!」
稀昭は二人のやり取りを聞きながら、不要な機材を工場の奥へ戻していた。
和希が、ホコリをかぶったドアへそのままシートを当てようとした――その瞬間。
「ストォォォォォップ!!」
工場の奥から、鼓膜をつんざくような稀昭の絶叫が飛んだ。
「まえキー、鼓膜破れる!」
「お前ら、うちの工場で何してくれてんの!?」
稀昭の目は、完全に“プロの整備士”のそれだった。
「ホコリまみれの車体に直貼りなんて言語道断! すぐ剥がれるし、気泡だらけで見た目も最悪だ。そんな状態の車を、僕の工場から出庫させるわけにはいかない!」
稀昭は猛ダッシュでシリコンオフとスキージーを抱えて戻ってくる。
「いいかい? ステッカー貼りの基本は、位置決めと脱脂だ。まず、この汚れを落とすところから!」
そこからは、ほとんど職人の実演だった。
貼り付ける場所の汚れを落とし、丁寧に脱脂する。稀昭はマスキングテープで位置を決めると、和希と藍華にシートの端を持たせた。
「そこ、動かさないでね。……よし、そのまま」
水貼りが進み、スキージーが滑らかに気泡を押し出していく。和希も藍華も、いつの間にか完全に助手と化していた。
「……よし。完璧な水平、気泡ゼロ!」
額の汗を拭いながら、稀昭が満足げに息を吐く。
「「おおー……!!」」
「……手伝う気、満々じゃないの」
「……自分の工場の敷地で、雑な作業されるのが許せなかっただけだよ」
楓の指摘に、稀昭はそっぽを向いて耳を赤くした。
スイフトスポーツの側面には、美しく、そして猛烈に自己主張の激しい『株式会社 結城工務店』の文字が輝いている。
「うん。ダサい」
「あんたの勤め先でしょ」
半眼で呻く和希を小突きながら、楓が溜息をつく。
「ねえ、あとキー! 見て見て!」
藍華が指差した先――ボンネットの先端と、リヤハッチのスズキマークの上に、いつの間にかメロン熊のステッカーが、気泡ひとつなく綺麗に貼られていた。
「お前、いつの間に!」
「さっき、まえキーに頼んでちゃんと水貼りしてもらったもんねー!」
「稀昭! お前、俺の車に何してくれてんだ!」
「妹の頼みは断れない」
きりっと真顔で返す稀昭に、和希は頭を抱えた。
激渋な工務店の看板と、メロン熊。
それを完璧な技術で貼り付けたメカニック。
決戦一週間前。
青いスイフトは、和希の思い描いていた姿から少しずつ遠ざかりながら、着々とラリー仕様に仕上がっていた。




