最終話 コ・ドライバーの資質
ロードサイドのロイヤルホスト。
案内された四人掛けのテーブル席では、奇妙なフォーメーションが完成していた。ソファ席に楓と藍華が並び、その向かいに油の染みついたツナギ姿の和希が肩身狭そうに座っている。
「……なんで俺だけ、お前らの正面で裁判にかけられる被告人みたいな配置なんだよ」
「文句言わないの。ほら、ビーフジャワカレー大盛りでいいんでしょ」
注文を終えた楓は、仕事鞄から細身のノートパソコンを取り出し、和希の前へ置いた。
「あんたは規則書読んで、参加申込書、作ってなさい。締切いつだと思ってるの」
「うっ。来月だろ……まだ少し余裕が……」
「余裕なんてないわよ。あんたいつも直前で大慌てして、会場で『ここ漢字が……』って言われてるじゃない」
「間に合ってるし、不備じゃねぇからセーフ!」
ラリーの参加申込は、のんびり構えているとすぐ締切に飲まれる。
地区戦だろうが草案の特別規則書を読み込み、必要事項を埋めて、期日までに確実に送らなければならない。
速く走るだけでは、スタートラインにすら立てないのだ。
和希は渋々パソコンを開き、主催者のホームページから特別規則書のPDFを探し始めた。
休日まで事務仕事をする羽目になった和希を横目に、楓は隣の藍華へ向き直る。
「さて。ルールから聞く? それともノート読みが先?」
「うーん、ノート」
「オーケー。じゃあ基礎からいくわよ」
藍華の返事を合図に、ファミレスの片隅で楓のコ・ドライバー講座が始まった。
楓は鞄からリングで綴じた分厚いノート――本物のペースノートを取り出し、藍華の前へ広げる。
「うわ、なにこれ。英語と数字と記号ばっか。暗号みたい。えーと……R3?」
「このRは『右』か『ライト』。次のコーナーが右だって意味。書き方には基本があるけど、細かいところはコ・ドライバーの好みかな」
「へえ。じゃあ右の三番のカーブってこと?」
「三番目って意味じゃなくて、曲がりのきつさが3ってこと。和希のノートだと、数字が小さくなるほどきついカーブになるの。1が一番きつい。6はちょっと曲がってるくらい。段階はドライバーの感覚次第で、和希は6段階。10段階で刻む人もいるし、もっとざっくりの人もいるわ」
「じゃあ、このL5は左で5?」
「そう。飲み込みが早い。素質あるわ」
「ほんと? やったー!」
「ちなみに『ライト・スリー』とか『レフト・ファイブ』って英語で読むクルーもいるわ」
「そうなんだ。あとキーはなんで日本語なの?」
「そこの単細胞は、ハイスピードで英語を聞くと、とっさに右か左かわからなくなるバカだからよ」
「なるほど。バカだから」
「……お前ら、聞こえてんぞ」
向かいの席から、恨めしそうな声が飛んだ。
和希はパソコン画面から顔も上げず、ぶつぶつ文句を垂れている。
「日本語の方が直感で身体に入ってくるんだよ。『ミギサン』『ヒダリゴ』って言われたら腕が動くんだ。……ていうか規則書に集中できない!」
「文句言わない。規則書を隅から隅まで読むのは、ドライバーの義務でしょ」
「わかってるよ! あー、今回のルート、SS一本多いな。そのうえリエゾン長い。これ、競技終了予定時刻かなり遅いぞ……」
文句を言いながらも、和希の目は真剣だった。競技終了予定時刻を確かめ、参加申込書の入力欄へ戻る。
「ねえ、楓さん。このCって何?」
「『クレスト』。丘や起伏の頂上のこと。先が見えなくなるから、その先に何があるかで命運が分かれるの。ただ言葉を読むだけじゃないのよ。ドライバーの速度に合わせて、リズムよく、確実に先の情報を渡すの」
「おおー……」
「遅すぎればクラッシュするし、早すぎればドライバーが処理しきれない。そこで初めて、コ・ドライバーが車をコントロールしてる実感が出るの」
「……最高。やってみたい」
藍華は身を乗り出し、ノートに並んだ記号をもう一度目で追った。
「インカー動画、あるけど見る?」
「マジで? 見たいです!」
楓がスマホでインカー動画を再生する。
食い入るように見つめる藍華の耳に、二人の喧嘩腰なやり取りが飛び込んだ。
『遅いわよ! もっと早くハンドル切りなさいよ!』
『うるせぇ、次のコーナーさっさと言えよ!』
『200のあと、ドントカット右1、左3クローズ40、クレスト30、スリッピーインカット左2! キンクス100!』
『そこまで言うな、頭に入らない!』
「え、喧嘩してんじゃん」
藍華の一言に、楓は少しだけ気まずそうな顔をし、和希は苦笑いしながら参加申込書へ文字を打ち込んだ。
「楓さん、もう一回見たい。今度、ノート見ながら聞いていい?」
「いいわよ。じゃあ、ここからね」
楓がノートの一行を指すと、藍華はスマホと紙面を交互に見つめた。
さっきまで暗号扱いしていた記号を、今度は真剣に追っている。
「……お前、カルビ弁当は諦めたのかよ」
「諦めてないし。ラリーもやって、カルビ弁当も食べる」
「欲張りだな」
「あとキーもそうすればいいじゃん」
「できりゃ苦労してねぇんだよ」
楓が吹き出した。
藍華まで笑い出すので、和希は口をへの字に曲げ、パソコンへ向き直る。
二人のラリーは来月。
そこへ辿り着くまでに、まだ金も手間もかかる。直ったスイフトの請求書だって、これから払うのだ。
それでも、向かいから聞こえるノート読みにつられて、和希の口元は緩んでいた。
どうやら、この終わらない週末に付き合うラリー馬鹿が、また一人増えそうだった。




