第5話 謎のラリー講座
深夜の道道を走る軽トラの車内は、最悪だった。
サスペンションのストロークなんて、無いに等しい。
アスファルトのわずかな継ぎ目や、波打った轍を越えるたび、容赦ない衝撃が和希の腰を直撃する。
「……っ、ぐあっ! くそ、轍! この辺、地盤悪すぎんだろ……俺の腰が稀昭の工場まで持たねぇ!」
段差を乗り越えるたびに呻く和希の隣で、藍華は腕を組んだまま、つまらなそうに窓の外の暗闇を眺めていた。
「……ねえ、あとキー」
「なんだよ。今、俺に話しかけるな。腰の痛みを逃がす呼吸法で忙しい」
「ラリーってさ」
藍華が、ふいに妙なことを言い出した。
「免許取ったら、私でもできんの?」
「……は?」
あまりに予想外の単語に、和希は危うくブレーキを踏みそうになった。
「いや、さっき埠頭でイキってた連中の車見てたんだけどさ。なんか、車高下げて、ただタイヤ滑らせてグルグル回ってるだけでダサいっていうか。どうせ車乗るなら、あとキーみたいに道ぶっ飛ばすやつの方が面白そうだなって」
「お前なぁ……ラリー舐めんなよ。ラリーは、ああいうなんちゃってドリフト小僧とは違う。主催者がちゃんと警察の許可を取って、俺らエントラントが安全に全開走行する、れっきとした競技だ。遊びだけど、遊びじゃない」
「だから聞いてんじゃん。どうやったら始められんの? 普通の免許があればいいわけ?」
そこから、藍華の質問攻めが始まった。
「教えてくれたってよくね?」
「……まず運転免許。そしたらJAFに入会。で、JAFが発行してる国内Bライセンスってのが必要」
「B? なにそれ、試験あんの?」
「講習会で座学を受ける方法がある。ほかには、Bライ取得可能なオートテストに出て、完走して申請する方法もある」
「なんだ、余裕じゃん」
「JAF入会費、ライセンス取得費用」
「……は? お金かよ」
「今の競技やる上で、最低ラインの金だぞ」
藍華が一気に嫌そうな顔をする。
それでも、質問は止まらなかった。
「じゃ、車は? 免許とBライ取ったら、まえキーんとこの車で出られるの? この軽トラとか」
「このボロはやめとけ。死ぬぞ。横転したらぺしゃんこだ」
和希は溜息をつき、極力腰に響かないよう慎重に4速へ入れた。
「車は好きなのでいい……って言いたいところだけど、JAF公認車両じゃなきゃダメだ。で、車内にジャングルジムみたいなロールケージ組んで、シートベルトは最低5点、安心なのは6点式」
「もう普通の車じゃなくない?」
「競技車だからな。まだあるぞ。下回りにはアンダーガード、フロアガード、燃料タンクガード。消火器も積む。スペアタイヤと工具の固定も要る」
「……それ、全部つけんの?」
「まあ、出来上がってる競技車を買うのが早いけど、やっぱ200万はないと厳しい」
「に、200万以上!?」
「ベース車両次第だ。稀昭んとこのをもらえば多少浮くかもしれないけど……廃車寸前ばっかだから、結局整備費かかりそうだな」
藍華が口を開けたまま固まる。
和希は構わず続けた。
「ああ、あと人間の装備も必要だ。FIA公認ヘルメット、上を目指すなら2レイヤーのレーシングスーツ、グローブ、シューズ、首守るHANS。安く見積もっても、全部で50万くらい」
「……金、金、金。お金の話ばっか」
「まだあるぞ。ラリーは一人じゃ出られない。隣で道案内してくれるコ・ドライバーを見つけなきゃいけないし、大会に出るたびエントリー費がかかる。俺が出てる地区戦でも一回5万前後、全日本クラスなら10万以上。それにサービス頼むならその費用、タイヤ代、ガソリン代、宿代、高速代……」
呪文みたいに「かかる金」を読み上げる和希の横顔を、藍華は若干引いた顔で見つめていた。
「なにそれ……バカじゃないの? なんでそんなに金かかるのにやってんの?」
「バカだからだよ。でもな、スイフトに乗って会場に着くと、それだけで気分が変わるんだ。レッキして、パルクフェルメに入るまで、そのラリー全部が、そこまでの苦労を吹っ飛ばすくらい最高なんだ」
痛む腰をかばいながらも、和希は少しだけ口元を上げた。
「……だからお前も、もし本気でラリーやりたいなら覚悟しとけ。昼メシのカルビ弁当代を削って、壊れたパーツ代ひねり出して、車の下で油まみれになる覚悟をな」
「……やだ。私、カルビ弁当食べたい」
「安月給ラリー屋にそんな贅沢は許されねぇんだよ!」
「金持ちになればいいじゃん」
「身も蓋もねぇな! ぬお、腰痛ぇ!」
和希が顔をしかめても、藍華はお構いなしに質問を重ねる。
「他は?」
「そうだな……公認クラブに入ればエントリー費が少し浮くし、ポイントも付く。上位に入れば年末表彰式でタダ飯も食える」
「へえ、表彰式なんかあんだ。なんかいい。頑張ったご褒美じゃん」
「上位に入れば、な」
「入ればいいだけでしょ。他は? ラリーに必要なのって何? ……お金以外で」
その問いに、和希は一瞬だけ黙った。
さっきから、金の話ばかりしていた。少し考えてから、言葉を続ける。
「……車を知ろうとする努力を続けられるか。金も時間もかかるし、嫌になることもある。それでもまた走りたいって思うか、だな」
藍華は、しばらく何も言わなかった。
和希は前を向いたまま、ふっと笑う。
「……お前、向いてるかもな」
「なんでそう思うの?」
「ここまで聞いてくるやつ、滅多にいない」
兄に似て手先は器用で、度胸もある藍華。
もしかすると数年後、本当にどこかのSSで、この生意気な妹と顔を合わせる日が来るのかもしれない。
そんな馬鹿な想像をしながら、和希はアクセルを踏み続けた。




