第4話 和希の黒歴史
稀昭から管轄の警察署を聞き出し、地獄みたいな軽トラ移動の末に辿り着いた頃には、和希のHPはほぼゼロだった。
深夜の警察署。
生活安全課の無機質な蛍光灯の下、隅のパイプ椅子にふてぶてしく足を組み、スマホをいじっている少女がいた。
だぼついたパーカーにサンダル。絵に描いたような深夜コンビニ装備の上山藍華だ。
兄の稀昭とは似ても似つかない、鋭い目つきと勝ち気そうな顔立ちをしている。
「……おい。迎えに、きたぞ……ッ」
和希が腰に手を当てたまま、お爺ちゃんみたいな前傾姿勢で声を絞り出す。
藍華はスマホから顔を上げるなり、露骨に嫌そうな顔をした。
「は? なんでキーコンビの『あとキー』が来んだよ。『まえキー』はどうした」
「あとキーって呼ぶな。てか声がでかい」
まえキー。名前が『き』で始まる稀昭のことだ。
対する和希は、最後に『き』がつくから、あとキー。
幼い頃、藍華が勝手につけたふざけた呼び名だった。
「お前のまえキーは、今まさに俺の車のミッション組んでんだよ。作業止めたら終わるから、身代わりで来てやったんだ。……っ、いてて。安堂さん、深夜に毎度すんません……」
和希が顔をしかめながら、ちょうど戻ってきた馴染みの警察官――安堂に頭を下げる。
こうして迎えに来る側になるとは、思ってもみなかった。
「おお、長谷川くんか。迎えかい? 上山くんは仕事?」
「あー……まあ、俺のミッション組んでます」
「なんだ、お使いか」
「……そんな“はじめてのおつかい”みたいな言い方しないでください」
安堂はくつくつ笑ってから、藍華へ視線を向けた。
「今日は例の埠頭で当て逃げ騒ぎがあってね。駆けつけたら、タイヤ鳴らして騒いでる連中が集まってて。この子もそこにいたんだよ」
「チッ。だから、私はただ見てただけだって言ってんじゃん」
「……お前なぁ。あんな危ねえ素人の集まりに近づくなよ。巻き込まれたらどうすんだ」
「ほら藍華ちゃん、迎えに来てもらったんだから、ちゃんとお礼言いなさい」
安堂に促されても、藍華はぷいとそっぽを向いた。
「別に頼んでねーし。つーか、あとキー、歩き方キモいんだけど。腰でもやったの? ダサ」
「誰のせいでこんな身体引きずって、サスペンション死んだ直角シートの軽トラで来たと思ってんだ! 感謝しろ馬鹿妹!」
「は? 頼んでないっつーの。……ていうか軽トラで来たの? 最悪。絶対乗りたくない。尻が割れる」
「俺はもう割れてるわ!」
痛む腰と生意気な態度に、和希の怒声が静かな警察署に響いた。
「まあまあ、長谷川くんも落ち着いて。今回は藍華ちゃんも、ただの野次馬だったみたいだから厳重注意だけで済ませるよ。……ほら、ここに身元引受人のサインして」
「はい……っ、いてて……」
安堂になだめられながら、和希は事務机へ身を乗り出す。
そのわずかな前傾だけで腰の筋肉が容赦なく引きつり、脂汗をにじませながら震える手でボールペンを走らせた。
「で、ラリーのほうはどうなんだ?」
書類を受け取りながら、安堂がふと思い出したように尋ねる。
「あ……来月、次戦があります。ちょうど今、稀昭に整備してもらってて」
「そうか。まあ、怪我しないようにな。……いやあ、あの長谷川くんが、今じゃ立派な競技者だもんな」
安堂はしみじみ頷き、それから人の悪い笑みを浮かべた。
「昔はよく、夜中の山で長谷川くんの車をパトカーで追っかけたもんだがなあ」
「ちょっ、安堂さん! それ時効! 今ここであんまりデカい声で言わないでくださいよ!」
和希が慌てて声を潜める。
だが、時すでに遅い。
パイプ椅子で不貞腐れていた藍華の耳が、ぴくりと動いた。
「……へえ。あとキーって昔、警察から逃げ回る走り屋だったんだ。ダッサー」
藍華の口角が、にやりと意地悪くつり上がる。
「う、うるせえ! 昔の話だ! 今はちゃんとJAFライセンス持ってるモータースポーツ選手だ!」
「でも昔は走り屋。埠頭のあいつらと一緒じゃね?」
「……っ、俺は反省したんだ! あんまり言うと、引きずってでも連れて帰るぞ!」
「その腰で?」
藍華が鼻で笑う。
和希は反論しかけて、できなかった。今の歩き方では確かにまったく脅しになっていない。
「……くそっ」
顔を真っ赤にして悔しがる和希と、けらけら笑う藍華。
深夜の生活安全課に響く騒がしいやり取りを見ながら、安堂は目を細めてぽつりと言った。
「常習犯すぎて、署内でも有名人だったからね。安心して騒ぐといい」
「それ、ぜんっぜん安心できないですよ! あーもう、帰るぞクソガキ!」
「ちょ、八つ当たりやめてよ、あとキー!」
和希は全力で叫び、藍華の頭をむんずと掴んで安堂へ無理やり頭を下げさせると、そのまま警察署をあとにした。




