第2話 ようこそ、俺の昼メシ
結城工務店の昼休み。
和希のデスクの上には、特売で買った一番安いコッペパンと、給湯室の水を詰めた水筒だけがぽつんと置かれていた。
「……さよなら、俺のカルビ弁当」
ぱさつくパンを齧りながら、和希は小さく溜息をつく。
頭をよぎるのは、稀昭の工場で見た無惨な2速ギヤの残骸と、ひびの入ったオイルパン、そして恐ろしい金額が並んだ見積書だった。
次のラリーまでに、なんとか資金を捻出しなければならない。
だが、一般事務員の悲しい現実として、給料は安定していても劇的に増える魔法などない。
「長谷川くん、ちょっといいかな」
不意に背後から声をかけられ、和希はむせそうになりながら振り返った。
そこに立っていたのは、恰幅のいい現場監督だ。どこか気まずそうにもみ手をしている。
「実はさ、今週末の現場、どうしても人が足りなくてね。休日出勤手当と残業代、いつもより色をつけるから、長谷川くん、現場に出てくれないかな」
普段の和希なら、食い気味に断る話だった。
土日祝日は、練習や整備のために絶対死守すべき神聖な時間だ。
だが――。
『今月の給料、全部飛ぶな』
パルクフェルメで自嘲気味に笑った自分の声が、耳の奥で蘇る。
和希は残りのコッペパンを一口で押し込み、決死の覚悟で頷いた。
「……やります。その代わり、手当、本当に色つけてくださいよ」
――――――
日曜日。
白いヘルメットに作業着姿の和希は、滝のような汗を流していた。
「長谷川! 次、石膏ボード三枚頼む!」
「はいっ!」
事務仕事で鈍った身体に、現場の肉体労働は容赦なく牙を剥く。
それでも和希は黙々とボードを運び続けた。
この一枚が、新しいシンクロナイザーリングに化ける。
そう脳内で無理やり換算しながら。
「……ちょっと、何してるのよ」
昼休憩のチャイムが鳴り、資材の陰でへたり込んでいた和希の頭上から、呆れた声が降ってきた。
見上げると、タイトなデニムにレザージャケットを羽織った楓が、眉をひそめて立っていた。手には、ずっしり重そうなコンビニ袋が提げられている。
「楓……? なんで現場に……」
「近くのデザイン事務所で打ち合わせがあったのよ。おじいちゃんから、あんたが休日出勤で現場に出てるって聞いて、冷やかしに来たの」
楓はそう言いながら、コンビニ袋を和希の膝の上へどさりと置いた。
和希が袋を開くと、唐揚げ弁当とスタミナ豚丼、その隙間にプロテインバーが数本入っていた。
「これ……」
「あんたのことだから、どうせ昼飯代ケチってパン一個とかで済ませてるんでしょ」
図星だった。
和希は苦笑しながら、唐揚げ弁当を取り出す。
「豚丼は持って帰って、夜にでも食べなさい」
「……助かる」
蓋を開けた和希の隣へしゃがみ込み、楓は少しだけ声を落とした。
「……で、次のラリー、来月なんでしょ。間に合いそう?」
「ああ。稀昭が急ピッチで直してくれてる。あとは俺が、こうやって部品代とエントリー費、その他もろもろを稼ぎ切るだけだ」
「お金を稼ぐのはいいけど、無理してぎっくり腰にでもなったらどうするのよ。ほどほどにしなさい」
もっともな忠告に、和希は唐揚げを頬張りながらにやりと笑った。
「平気だよ。最悪ぎっくり腰になっても、バケットに座って六点で縛れば運転できる」
「……あのねぇ。車に乗るまでの歩行はどうする気よ。嫌よ、私、あんたの介護なんて。ほんと、そういうラリー馬鹿なところが呆れる」
「楓だってラリー馬鹿だろ」
「うるさいわね。エントリー費、半分出さないわよ」
「…………う」
「じゃ、私はこれからまた打ち合わせ。何度も言うけど、ほどほどに!」
楓はそう言って立ち上がり、さっさと現場を後にする。
その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
和希は油と泥ではなく、今回は埃と汗にまみれた顔で弁当をかき込んだ。
唐揚げの塩気と、久しぶりに腹いっぱい食べる白米が、疲れた身体にしみる。
「……よし。これ食って、午後も稼ぐぞ」
最後の唐揚げを口に放り込み、和希は空になった弁当箱を片付け、重い腰を上げた。




