8.
「時間に解決できないものもある。教えておくよ、メアリーアン。そういう風に生きるべき人間がいるんだ。
だから宿命という言葉があるんだと僕は思うね。囚われたら逃れる術はない。僕らは周囲に立ち尽くし、ただ見守り、教訓を得るしかない。
ああはしない、ああはならない。あるいは時として渦中の本人は、それを幸せだと感じているのかも知れないな。それを貫くことに喜びをね」
尚も言い募ろうとする口を手のひらで制す。論戦はいらない。答えなどないのだから。
「詩をよむといい。愛の世界は苦悩に満ちている。けれど、時にそれは幸福とほぼ同意に扱われているだろう? 苦しむことが幸せで、慟哭が生だと彼らは詠うよ」
「でも、詩人は生きているわ。悲しい恋も糧にして、生きることを続けているの。生きなくてはダメよ。詩でもなんでも書いてでも、生きれば良かった。金の髪の美しい娘のソネットを」
「彼に詩の素養がないわけではなかった。そうだったね? けれど、そうして想いを昇華させる道も選ばずに、あるいはそういった方法があることすら学べずに、この結末に進んだのは彼だよ。
生を続けていたなら、いずれは幸福の記憶が心を満たす日も来たかもしれない。けれどそれは、むしろ彼には厭わしいものであったのかもしれない」
彼女を忘れることが。彼女ではない幸福を受け入れることが。美しい世界に訣別することも、若き恋心を葬り去ることも。
「すべては推測に過ぎない。他人には理解及ばぬ恋の世界だよ」
それは二人の問題であったのかもしれないし、あるいはやはり彼一人だけの難問であったのかもしれない。
現実のローラは関わりなく、アルジャノンが自らの心と折り合うだけのことであったのかも。あるいはもしや、三人の――
それもこれも詮無き空想、真実はこちら側にはもはや、ない。
「パイプをふかしたら? クリストファー。それは賢者の発言ね」
「そうかな」
笑みもらす。紙一重、そんなことを思い。愚者と賢者は何より近い。そんなことも思い――
「怖いわね。命までも奪うもの……」
――恋に賢者の登場はない。そこまでも思う。
「せめて難しい、程度の感想にしておいて欲しいね。君はこれから恋に輝くお年頃なんだから。生きていたって仕方がない。彼の存在しないこの世でなんて。そんな風に思う時が来るかもしれないよ」
「怖がらせたいのね? あなたは? クリス。順番から言えばあなたが先よ」
「僕の恋の話など、決して君には語らない」
「理由を教えて。意地悪なの?」
「君の感想がいらぬお節介だから。それが一番の理由だね」
「つまりは意地悪ね。いいわ、伯爵様の恋のお話なら、世間の方々から聞こえてくるもの」
「そんなものを信じるつもり?」
「えぇ。そしていらないお節介を焼きに来るわ」
いつしか窓の向こうは闇に落ち、カーテンを引かぬウィンドウにはメアリーアンの笑顔が映った。クリストファーは、自分のこの曖昧な微笑も映されているのだろうと考えながら、決してそちらを見ずにいる。
鏡には映らぬ真実も、闇なら写し取るかもしれない。悪戯な発想は夜独特だ。恐れもするが、それのみではない。
二人に注ぐ光は、今では背後からの燭台の灯のみ。小指の長さにも満たない炎はちらちらと、あるかなしかの風に揺らめく。
そのささやかな明るさは、あの夏の太陽と同じ言葉で呼ばれるもの。光。幸せの午後を照らし、花を指輪を誓いを人間を輝かせたあの光は、同時に影を孕んでいた。
深く静かに。密かに重く。
どれほどの時間が過ぎたのか、あるいは過ぎてはいないのだとも。時の存在すら危ぶまれるほどの空気の中で、やがてメアリーアンがぽつりと言った。
「たぶん、もう一生、あの詩を素敵だとは思わないと思う」
「いい詩なのにな」
言われたとおりにパイプをふかし始めながら、クリストファーも短く返す。
「残念だわ」
煙の彼方のその声に、彼はゆっくりと、目を閉じた。
「いい詩だよ」




