1.
記事は衝撃だった。
新聞紙面。目を疑った。
けれど、信じるに足るものもあり……
やがて深く息を吐いた。
悲嘆、故に。
五年ほど、過去。それは光の眩しい夏のこと。
ざわざわと草原を駆けてきた少女は、その場でふと足を止めた。音を聞いたので。
彼女が鳴らす草の音、風が鳴らす草の音、時には天空に鳥の声を聴くこともあったが、それだけの中を走ってきた少女の耳が今、異質な音を捉えていた。
はしゃいでいた、その足を止めるほどの異質。初夏の注ぐ光にそぐわない、異質。
『まるで呪文のよう。沼からわいてくるような』
後に従兄に説明をするにあたり、使った表現がこれだ。
しかし、見渡す限りの草原の中には沼はなかった。十四の彼女の腰ほどに伸びた草を掻き分けて進み、見つけたものは沼でも池でも湖もなく、投げ出された青年の、足――
「オヤ」
草の間から覗いた顔に、遠慮なく青年は眉を顰めた。光に透ける細い髪の向こうで、グリーンの瞳が光を放つ。きらりと。物憂げな風情に反し、意外にも強い輝きだった。
「こんなところに人が来るかなぁ。キミ、誰?」
「私は……」
躊躇いも明らかに、少女の淡い瞳は揺れる。
「あそこから」
真っ直ぐ指を差した方向には、城館がある。それがなんと呼ばれているものであるのか、彼女は聞いていなかった。(言われたけれども)
「名前を訊いたのに。あれデスカ。人に名前を問うときはまずはご自分から仰いな、てやつ? でも僕はあそこの者だから、不審人物の名を質す権利がある……んじゃなかったかな。
まぁそれが失礼に当たるというのなら、彷徨い出たレディを親元へ送り届けるためにお名前を伺いましょう――とでも言いましょか。お嬢ちゃん」
腹を立てるに充分な言われようだ。かちんと来た気持ちのまま身を翻すのが、彼女の気性からして当然だった。しかし、と思う気持ちが引き止める。
『あそこの者』だと、彼の言葉。信じるべきか迷いはあるが、そうであった場合を考え、ここは慎重になるところだ。
相手がどれほど無礼であろうと客人である身の上、これからご馳走になるという義理もある。
「いいよー、別に。誰だっていいから。偽名だっていいよ」
それを聞くと、途端に彼女は憤然と。赦されて嘘をつくなどと、みっともないことはしないのだ。
「メアリーアンよ。本当に」
「ふぅん。じゃあ僕はアルジャノンだ。本当に」
にやりと笑い、彼は言った。どうでも良さそうに、自分の名を放り投げるように。けれど、メアリーアンと名乗った彼女が隣に座り込むと、顔には興味深げな色が浮かぶ。
「そこに座るのか、君」
「乾いているわ。大丈夫よ」
「いや問題は君のお召し物ではなくね。僕が先客の僕の場所に、君が座り込むのは邪魔なんじゃないの? て言っているの」
「お邪魔なの?」
「君は甘やかされて育った世間知らずだな。先に確かめるのが常識なんだよ」
今度は世間知らず呼ばわりだ。面と向かってひどい言葉ばかりを言われている。
それがむしろおもしろくなり、メアリーアンは嫌な気持ちを吹き飛ばしていた。露ほども残らない。
「ごめんなさい。今度から気をつけるわ」
「すぐにそう切り返す人間こそ信用ならない。間違いなく次も君は、邪魔になってから人に指摘されることになるよ」
「間違いないかしら。私、がんばるつもりでいるけれど」
「間違いないよ。小言が身につかないって顔をしてる」
どこまでも失礼だ。アルジャノン、と名乗った彼こそが、そんな奔放な発言を許されるほど甘やかされてきた人間だと窺える。
そして小言が身につかないことが顔に出ているのだとしたら、これは相当困った事態だ。続く思考は彼の言葉に掻き消された。これまでよりもくだけた声が、愚痴っぽく言う。
「客が多くて覚え切れない。君には正式に引き合わされてはいないよね。もし会ってたらごめんね。今は頭の中身に余裕がなくてさ。とてもとても」
「まだご紹介に預かっていないし、忘れているのだとしても怒らないわ。仕方ないわ。あんなに大勢が集まっているのだもの。私だって誰も覚えてない」
「それは君。まずくない?」
「平気よ。まだ子どもだから」
「そう遠くなく社交界に出るだろう? いくら君だって」
「でも、まだ子どもだもの」
「ずるい娘だ。そうやってぎりぎりまで課せられた義務に気付かないふりを続けるわけだね。うまい手だとも思うけど。女の子にしか使えない手だな」
ふむ。彼は考える顔をした。その手とやらを殿方としても利用する方法でも考えているのかしら。メアリーアンはちらりとそんなことを思い、無駄なことだと決定づけた。
深くは考えない。そもそもの回答も深く考えたものではなかったし、それよりも気になっていることがあった。
「アルジャノン。ねぇ」
「なに」
面倒くさそうな返事だ。
「余裕がないって、どうして?」
「見事に間を跳ばして、それを訊くのか。いいよ。答える。詩を暗誦しようとしているんだよ、僕は」
詩。
するとさっき漏れ聞いたのは詩の文句であったのか。まるで謎の古語呪文のように聞こえたけれど。
と、古語呪文など聞いたことのないメアリーアンは思った。そんな物語を聞いたのだ。ケルトの神話。魔法がまだ遠ざからない年頃の小娘として、それを疑いきれていない。
「お祝いに披露するのね?」




