第七話「嵐の前の静けさ」
甘い紅茶の香りが部屋中を漂う。
女は細く真っ白い指でティーカップを持ち、紅茶を口に含んだ。
ゆっくりと香りを味わいながら、話を続ける。
「不思議そうな顔をしているな。何故、妾が其方の名を知っておるのかと」
読心魔術――対象の心を読む高難易度魔術。
習得するには相当な時間を要し、極めれば対象の過去や未来まで見通すことができるという。
しかもそれを、眉ひとつ動かさずにやってのけたのだ。
女はティーカップを覗き込み、そっと呟いた。
「フフフ……良い表情だ」
俺はこの魔術を現実で受けたことがある。
この世界へ送り込まれる前にいた、あの場所――ヌフラムの門の中で!
あの時の音声プログラムと全く同じだ。
どうなってやがる……。
コイツが俺たちを融合異世界へ連れてきたのか?
コイツが例の到達者なのか?
全てはコイツが仕組んだことなのか。
お前の目的は何だ! 何が狙いだ! 答えろ!!
猜疑心から、感情が心中で暴れ出す。
感情は喉を通らず、身体を突き動かした。
テーブルへ踏み込み、そのまま乗り上げる。
間合いを詰め、一息で女の喉元へ短剣を突きつけた。
だが――。
女はティースプーンを持ち替えると、それだけでいとも容易く刃を受け止めた。
表情ひとつ変えず、不敵な笑みを浮かべて。
相変わらず女の視線は俺へ向かず、カップの中へと注がれていた。
「妾の目的? そんなの決まっておろう。其方じゃ――其方が欲しいのじゃ」
度肝を抜かれた。
何を言ってやがる。
まるで答えになっていない。
女はくすりと笑い、上唇を舐める。
そして、こちらの思考を遮るように畳みかけてきた。
「あの光り輝く閃光、沸き立つほどの熱線。魔物を一瞬で葬り去る圧倒的な魔力。はぁんっ……もう堪らないわ」
女の毛穴から滲み出る魔力。自身から漏れ出るそれを抑えるかのように、小刻みに身体を震わせている。
ここへ来る前から、ずっと視線を感じていたが、この女だったのか。
きっとあれも魔術の一つなのだろう。
「それに黒光りしているソレ。妾への求愛の贈り物じゃろ? 離れていても其方を思い出せるように、下の形状と硬さを再現してくれたのじゃろ? なぁ、そうなのじゃろ?」
この女、変態か? 痴女か?
どちらでもいいが、調子を乱されることに違いはない。
「そんな卑猥な話やめて下さい!」
アイズが頬を赤らめながら割って入る。
「なんだ小娘。殿方の持っている短剣の話じゃ。文句あるか?」
女は先ほどよりもドス黒い魔力を垂れ流し、アイズへ敵意を向けた。
「えっと、あの、その……」
どうしたアイズよ。急に歯切れが悪くなって。
さっきまでの勢いはどこへ行った。
アイズはほっぺたをぺチンッと叩き、ギリギリ戦意を立て直した。
「あ、あなたはアルファス・ペンドラゴン氏本人なのですか!?」
よく言えたぞアイズ。
あらかじめ質問内容を伝えておいて正解だ。
まずはアルファスが本物かどうかを確かめる。
それが俺たちの最優先事項だ。
「はて、妾はそんな輩知らぬ」
やはりこの女は別人。
コイツがアルファスじゃないとすると、本物はどこにいる? そしてこの女は何者だ。
再び疑念が思考を埋め尽くす。
いや待てよ。
だとすると、もしかして……。
明らかに動揺しながら俺に耳打ちをするアイズ。
「(ねぇノックス、人違いだって。どうする?)」
あのなぁアイズよ。
俺は言葉は発せられないが、耳は健在なんだぜ?
ちゃんと聞こえてたさ。
アイズって意外と天然なんだな。
……って、今そんなこと考えてる場合じゃないんだよ。
「もう気づいておるのであろう?」
この気配、禍々しいほどの魔力。
頭をよぎる、一つの名。
だが、あり得ない。
そんなはずがない。
否定しようとしても、答えは一つしかなかった。
彼女の正体。
それは――ガルファラ渓谷を聖域とする風の神。
「さよう。妾の名はフュンディーニじゃ」
女は両手を腰に置き、自尊心でミチミチになった声色で言い放った。
自信満々な態度が真実味を際立たせる。
しかし……。
風の神フュンディーニは、千年前の戦争で命を落としたはず。
生涯で最も愛した炎の神を連れ戻すために。
お前は、千年前の戦争で死んだはずだ!
「何を言っている? 神は死なん。というより、死なないから神なのだ。神が神と呼ばれる理由は、信仰心の多さや魔力の強大さではない。無論、成してきた偉業の多さでもない。絶対不死――それこそが神が神たらしめる所以なのだ。それ以外はただのおまけ。ちなみに、あんなミルク臭い火の若造如きに、アタシの燃えるハートは揺るがないぞ」
確かに一理ある。
事実、神を倒せる人間はいない。
七大君臨者とて、神を殺すことは不可能だ。
ヌフラムでさえ闇の神を殺せず封印を選んだのだから。
では何故、フュンディーニは殺されたのか。
文献の中には、
「風の神は先の戦争で右胸を貫かれ、その生涯を閉じることとなる」
と書かれている。
しかし、その理由や殺害した張本人については記されていなかったのも事実だ。
み、右胸を見せてみろ!
お前が本当のフュンディーニなら、致命傷があるはずだ!
彼女は何の躊躇いもなく、ドレスを脱ぎ捨てた。
綺麗なお椀型の乳房。
薄ピンク色の先端が、ちょこんと上を向いている。
傷なんて一つもない。
その姿は神と呼ぶに相応しく、もはや否定することは出来ない。
それでも……それでも……。
じゃあ、お前は誰なんだよ!!
「何度も言わせるな。暴嵐を愛する風の神だ」
証明しろ! 証拠を見せろ!
俺のゲーム知識が間違ってるなどあり得ないんだ! あっちゃいけないんだ。
それを失ったら、俺は一体何に縋ればいいんだよ……。
大粒の涙がテーブルを濡らす。
本当情けない。
これじゃあ、ただの泣き虫おじさんじゃないか。
ずっと一つのことに打ち込んできた人間は、目標を失えば簡単に崩れ落ちてしまう。
ましてや、それが三十年以上積み上げてきたものなら、落ちる高さも相当なものだ。
「証明か。そんなことをして何になる? 仮にお前の正しさが証明されたとして、何の意味がある? お前の間違いが露呈したとして、それに何の意味がある? 全てただの自己満であろう?」
あぁそうさ、自己満さ。
全て俺のオナニーだ。
俺の人生なんて所詮、トイレに捨てるだけのゴミと同価値なんだよ!
彼女は右手を頭上へ掲げ、パチンッと指を鳴らした。
ゴミ人間はな……
「気持ちいいオナニーだけが唯一の喜びなんだよ!」
えっ……俺、今、喋った?
「ほれ、これが“証明”だ」
目の前で不気味に笑むその女こそ、
龍種が飛び交うガルファラを聖域とし、万物の進化を司り、暴嵐を愛する――風の神フュンディーニだった。




