第八話「暴嵐、来たる」
「お、なにぃ?」
得体の知れない言葉を聞き、アイズは首を傾げる。
幸い、彼女はその意味を知らなかった。
「てゆーかノックス、今喋ったよね!」
「あ、あぁ」
俺以上に喜ぶ彼女は無邪気で、とても可愛らしい。
実年齢も今の彼女とそう離れていないのだろう。
まだ彼女と出会って日は浅いが、こんなふうに喜んでくれると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
「何だ、せっかく喉を取り戻してもらったというのに、あまり嬉しそうじゃないな。要らぬというなら元に戻してやろうか?」
フュンディーニは再び指を鳴らそうとする。
「待ってくれ!」
嬉しくないわけじゃない。
二十年以上口を閉ざしてきたから、この感情をどう表現したらいいのかわからないんだ。
俺は少し間を空け、答えた。
「なぁ、フュンディーニ」
「何だ?」
「そ、その……ありがとう」
言い方はひどく不器用で、不格好だった。
だが、それでもいいんだ。
その行為そのものに、敵も味方もない。
ましてや、人と神といった隔たりが入り込む余地など――どこにもないのだから。
フュンディーニは満足そうな顔をして、口を開く。
「これで平等になったな」
そう言った瞬間――彼女の身体から、これまで感じたことのない暴力的な魔力が溢れ出した。
それは荒れ狂う嵐のように、部屋中を暴れ回る。
次に瞼を開いた時には、彼女はその場から消えていた。
疾風のごとき速さでテーブルを薙ぎ払い、一気に間合いを詰めてくる。
「ぐはぁっ……なにを……」
気づいた時には、俺の喉は掴み上げられていた。
瞬時に剣を構えたアイズ。
しかし、凄まじい烈風が彼女に襲いかかり、抗う間もなく剣は弾き飛ばされる。
一瞬で、この場は制圧されていた。
「さぁ、見せてみろ。お前のすべてを」
その言葉が終わるより早く、衝撃が走った。
先ほど同様、反応すら出来ずに俺の身体は床へと叩きつけられていた。
目で追える速度を、はるかに超えている。
肺の空気が一気に吐き出され、まともに息もできない。
何の躊躇いもなく、彼女は足を大きく振り上げ、俺の腹へ強烈な一撃を叩き込む。
衝撃が波紋のように広がった。
「どうした? この程度じゃないだろ?」
骨は軋み、視界が揺れる。
容赦のない攻撃が、何度も、何度も叩き込まれる。
その度に身体が床へめり込んでいく。
薄れゆく意識の中、微かな詠唱が聞こえてきた。
「聖なる光よ。求める者を救い賜え。聖者の癒し」
自然と身体に力が湧き、痛みが和らいでいく。
癒やしの魔法に気づいたフュンディーニは、手をアイズへと伸ばした。
「邪魔だ、小娘」
実体化した鋭い烈風が、アイズの身体を切り裂く。
瞬く間にその身は血に染まり、力なくその場へ崩れ落ちた。
「ア、イズ……」
圧倒的な強者の前になす術もなく、ただ攻撃を受け続ける。
ベヒーモス戦とは違い、何かを閃く余裕もない。
隙を突き、彼女の足にしがみつく。
女は軽く舌打ちすると、俺の身体ごと蹴り払った。
凄まじい痛みが全身を駆け巡る。
傷だらけの身体を壁に押し付けながら、どうにか立ち上がる。
「それでも……」
立ち上がらなくてはならない。
大切なものを守るために。
「良いぞ。もっとアタシを悦ばせろ」
既に感覚のない腕で、グアルケラスを引き抜く。
「そんな短剣、アタシに通用するとでも?」
そんなこと、思ってなんかいないさ。
全力で駆け込み、グアルケラスを投げる。
「無駄だと言うのがわからんのか」
彼女は手を伸ばし、風の魔法を発動する。
しかし、短剣は風の影響を受けず、一直線に突き進んだ。
「なんだと?」
思った通りだ!
グアルケラスはベヒーモス・グアルの堅角から作られた短剣。故に聖域の加護を受けている。
いくら風の神とて、自身の力をぶつけられればただでは済まない!
彼女の眼球が真下を向く。
床に転がっていたティースプーンを足先で弾く。
反動で宙へ跳ね上がったそれを掴み取ると、一振りで短剣を弾き返した。
「んなバカな」
「少しは考えたようだな。だが、知ってしまえばどうってことはない」
知ってしまう?
そうか、読心魔術か。
俺の思考は彼女に筒抜けになっている。
クソッ。
ただでさえ不利な状況なのに、考えればこちらの意図が筒抜けになるなんて。
作戦を立てずに、どうこの状況を切り抜ければいいって言うんだ。
いっそのこと、あの技を使ってしまえば……。
でも確実に撃てる保証はない。
「どうした? 来ないならこちらから行くぞ」
フュンディーニの魔力の質が変わる。
同時に、彼女の体が空へ浮いた。
人差し指を俺のいる方へ向け、そっと呟く。
「空虚なる旋風」
まじかよ!! よりにもよって……。
咄嗟に壁際の食器棚へ飛び込む。
幾層にも編み込まれた超高密度の風の刃が、頬を掠めた。
人類史上、最強と謳われる魔術――神域魔術。
人の域を超え、神の力にすら匹敵すると言われている。
だが、それを完全に扱える者はごく僅か。
ヘヴゲの世界においても、数えるほどしか存在しない。
ましてや、あの長大な詠唱を破棄して行使するなど、理論上不可能。
――神以外は。
あっぶねぇ。
あの即死級魔法をジャスト回避した自分を褒めてやりたいよ。
その威力は凄まじく、家の大半が倒壊し、その直線上にあったはずの木々や山脈、地形までもが抉り取られていた。
俺が奇跡的に放ったシャイニング・フレアとは比較にならないほどの超高火力。
魔法と呼ぶにはあまりに別次元、高次元であった。
なんでずっとボコられてんだよ俺。
一方的過ぎだろ。反則だろ。
こんな序盤で、vs神の負けイベとか聞いてねぇよ。
つか、何で戦ってんだよ。
そんな俺の絶望的な状況などお構いなしに、フュンディーニはさらに高く空へと舞い上がり、こちらへ手を向ける。
まさか……嘘ですよね?
大気がうねりを上げ、彼女の手のひらの前に五つの魔法陣が生成される。
さらに、もう片方の手をかざした。
合わせて十の魔法陣からなる神域魔術が、今にも俺目掛けて放たれようとしていた。
「我が軌跡は暴嵐なり」
ちょっとこれ、オワコンじゃね?




