第三話「襲来」
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私の名前は……」
なんか、ぶつぶつ言っているが、そんなのに構っている場合じゃない。なんだこの顔はよぉ!
クリクリとしたお目めに、艶のある黒髪、童顔な好青年ってやつだ。
さっきから妙に視線の高さが低いと思ったが、身長も縮んでる。ギリ百七十センチってところか?
イケメンなのは別にいい。だがこんなの、ノクターン・ザ・ライトニングじゃない。
元の俺よりは遥かに整ってる。だが違う。
俺のノクターンは、こういう綺麗な顔じゃない。もっと荒々しくて、強くて、カッコいい漢なの。
また一からキャラクリかよ。あれ三日かかったんだぞ。てかそもそもキャラクリの概念あんのかここ。
俺の理想が融合異世界に100%反映されるとは思っていなかったけど、まさかすぎる容姿だ。
こんな姿じゃノクターン・ザ・ライトニングは到底名乗れない。
――アイツなら、どうする。
挫けそうになるたび、あいつはいつも隣で笑ってた。
「そんなんで止まるなよ」って。
……そうだよな。
こんな序盤で立ち止まってられるか。
「ねぇ、どうかしたの?」
不審そうな声に顔を上げると、彼女は警戒を解かないままこちらを見下ろしていた。
その視線には、先ほどまでの敵意とは違う“戸惑い”のようなものが混じっている。
当然だろう。
いきなり剣を握って自傷したかと思えば、今度は自分の顔を見て固まっているんだ。まともな人間の行動じゃない。
辺りを見回し、使えそうな道具を探す。
転がっていた拳大の石を手に取り、思いっきりホーンスピアに打ち付ける。
「ちょっと何して……」
安心しな、お嬢さん。ギリアス鋼は硬度、靱性ともにトップクラスの鋼だ。並の鍛冶職人じゃ傷一つ付けられないし、刃こぼれなんてもってのほかさ。
削り進めてちょうど良い大きさになったところで、コケの剥げた地面に文字を書こうとして――手が止まった。
ノクターン。
その名を書こうとした瞬間、指先が動かなくなる。
……やめだ。
長年背負ってきた名前だ。
だが、それはもう“過去”。
今の俺は……。
石を握り直し、地面に刻む。
ノックス・ファルシュ。
それが俺の名だ。
お疲れ様。そしてありがとう。
ノクターン・ザ・ライトニング。
安らかに眠れよ。
名を書き終えると、今度は彼女が俺の横でしゃがみ込み、石を受け取って文字を書き始めた。
アイズ――
「これが私の名前です」
名を教え合っただけなのに、どうしてこんなにも心が揺れ動くのだろう。
まるで青春みたいじゃないか。
そんなものしたことがないからこそよく分かる。
これが俺にとって異常な出来事だと。
動揺している俺に手を差し伸べ、彼女は囁く。
「宜しくノックス・ファル……」
遅すぎる自己紹介が終わろうとした時だった。
鼓膜が張り裂けそうになるほどの咆哮が空気を震わせた。
それもさっきよりもかなりデカい。
同時に強風が吹き荒れ、立っているのがやっとなほどの地震が発生する。
建物が崩れ落ち、身体ごと真っ逆さまに落下していく。
俺たちのいる雑居ビルは、古い建築物で高さは十メートルそこそこ。瓦礫まみれの地面に落ちたら、間違いなく致命傷は避けられない。
咄嗟に目を閉じた瞬間、手を強く引かれる。
「大丈夫? ノックス」
アイズが屋上の柵にしがみつき、俺を引き止めていた。
安否と感謝を伝えるため、俺は小さく頷いた。
なんとか体勢を立て直し、二人で下へと飛び降りる。
崩れかけた二階を経由し、そのまま地面へ。
息をつく暇もなく空を見上げる。
そこにいたのは全長十メートルはあろう巨大な魔獣。
身体は黒い体毛で覆われ、頭部には漆黒の角が二つ。
そして何より、この手の魔獣には似つかわしくないのは――その巨体を軽々と支える、分厚く巨大な両翼だった。
「ベヒーモス!? でも何で翼が!?」
やはり例の咆哮の主はコイツか。
ネカフェで聞こえた咆哮。レッドワイバーンにしてはデカすぎるとは思っていたが、まさかベヒーモス・グアルだったとは。
本来、ベヒーモスは翼を持たない。どんな魔獣であれ、別個体の特徴を持って生まれるなんてことはまず無い。
あるとすれば、それが意味する答えは一つ。
ここら一帯が風の神フュンディーニの聖域だということ。
アイズに危険を伝えるため、急いで地面に文字を描く。
ニゲ……
俺の行動には目もくれず、アイズは表情を変え、剣を引き抜いた。
力強く柄を握り、そのまま疾風の如き速さでベヒーモスのいる方へ走り込む。
馬鹿、お前じゃ敵わない!
そう思ったのは、決してアイズの実力を軽視したからではない。
いくらホーンスピアとはいえ、奴の極限まで発達した身体を貫くのは難儀だからだ。更にそんな肉体の表面には剛鉄の如き体毛が生えている。
相性が悪すぎる。
単体のベヒーモスでさえ並の冒険者じゃ手こずるというのに、目の前にいるコイツは普通のそれとはわけが違う。
俺としたことが、完全に見落としていた。
辺りを見回して、確信に変わる。
古代遺跡との距離、アイズの言うレッドワイバーンの群れ。ゲーム世界とは差異が生じているとはいえ、考えれば気付けたことだろう!
風の神フュンディーニの聖域――ガルファラ渓谷。
そこには風の神の加護を受けた魔獣が多く生息する。龍種に遭遇すると、倒すまで延々とプレイヤーを追ってくる厄介なエリアだ。
王都の魔獣生物学者曰く、ガルファラ渓谷は独自の生態系を持っており、他の大陸に属する魔獣とは明らかに異なる特徴を持つ。
翼龍化――本来、翼を持たない魔獣が龍種のような姿に突然変異すること。それだけでなく、成長が進み成熟すると、やがて完全に龍種になるという。
翼龍化した魔獣は渓谷の名に因み、グアルが冠される。
学者曰く、現代に生きる龍種は全てガルファラ渓谷で生まれる、と。
つまり龍種はフュンディーニによって生み出されたのだ。
ちくしょう、声が出せないのがこんなにも無力だなんて。
ベヒーモス・グアルの前腕は巨大で、前脚を下ろすだけで建物が吹き飛ぶほどの威力だ。
あんなのを一撃でも食らったら彼女はただじゃ済まない。
それでもアイズは持ち前の素早さでベヒーモスを翻弄しては、その肉厚な表皮に切り跡を残していく。
それでも擦り傷程度だ。
立ち止まった彼女の背中は先ほどよりも激しく揺れ、明らかな消耗が見て取れる。
このままでは二人ともやられる。
何か策はないのか。
辺りを見回しても使えそうな武器は見当たらない。
魔法の使い方なんてわからないし、そもそも呪文を詠唱できない。
んな、弱音なんか吐くな。
考えろノックス・ファルシュ!
お前なら切り抜けられるはずだろ。
ゲームではこのベヒーモス・グアルは負けイベントに当たる敵。
クリア条件は不明だが、恐らく与えたダメージと回避した数、経過時間を参照して条件が満たされることで、奴は撤退し、クリアとなる。
目の前にいるベヒーモスが撤退してくれる保証は無い。
つまり自力で脱しなければならない。
勢いよく空気を取り込んだベヒーモス。
先ほどとは比べものにならない咆哮を轟かせる。
暴風が吹き荒れ、ビルが次々に倒壊していく。
アイズは風圧で吹き飛ばされそうになりながらも、かろうじて剣を地面に差し込み、その場で耐えている。
自分の不甲斐なさに打ちのめされる。
恐怖からか、自らの意に反して手のひらが震え出す。
せっかく彼女の回復魔法で舞い戻って来たのに、何も出来ずにやられるのか。
何でもいい、何か――閃け……ひらめ……!!
何も出来るはずのない自分に、唯一出来ること。
頭の中の靄に一筋の光が差し込む。
ダメだ。無理に決まっている。でも……。
ベヒーモスは空高く舞い上がり、体重をこれでもかと乗せ、俺たちのいる方は突進してくる。
消耗し切ったアイズは膝をつき、目を瞑った。
気が付くと体は、独りでに動いていた。
「ノックス……」
悪い、だいぶ待たせてしまったな。
アイズの前に立ち、両手を胸の前で構える。
一か八だがやるしかない。この場を切り抜けるために。
アイズは魔法で俺を手当てしてくれた。
ここはヘヴンズゲートと現実の融合異世界。
なら出来るはずだ! 俺にしか出来ない唯一の魔法が!
それは常人には到底理解できない行動だったのかもしれない。
だが、俺は唖者だ。常人ではない!
目を瞑りながら、心の奥底で呪文を唱える。
さらに、呪文に対応する印を結ぶ。
かつて氷の神がそうしたように。
今ならわかる。フィニムが何を想っていたのかを。
もう誰も死なせやしない!
アイズは必ず俺が守る!!
聖なる光よ、我が道を指し示せ――閃光の輝き。




