第二話「悔いなきように」
二十五年間――その問いからずっと逃げてきた。
アイツがいなくなったあの日から、俺は自分が自分じゃなく思えるようになった。
目に映る景色。耳に入り込んでくる音。体内に取り込まれる食物。
それらすべてが、空虚に感じられるほどに。
それからは、異常なまでにゲームの世界にのめり込んだ。
そして、いつしかこう考えるようになった。
俺はこの世に存在していない。
俺は存在してはいけない存在なんだ――と。
来る日も来る日もゲームをしては、プレイキャラと自分を重ねる毎日。
次第に、自分が何者なのかわからなくなった。
俺は何がしたいのか。
何をすべきなのか。
俺は、本当の俺なのか。
さらに数年が経った頃、ようやく自分という存在の価値に気づく。
俺は矢崎輝人なんかではない。
俺の名は、ノクターン・ザ・ライトニング。
ヌフラムの門を見つけ出し、この世に平穏をもたらす者。
そして、新たなる神となる真の勇者だ。
――俺はノクターンと、完全に融合したのだ。
自身に向けられたホーンスピアの切っ先を、両手で握りしめる。
脈打つ手のひらから、真っ赤な血が肘下まで伝い、そのまま地面へと滴り落ちる。
青々とした草が赤く染まり広がった頃、ようやく痛覚がその役目を思い出す。
「アンタ、何してるのよ!!」
しっかりと痛みは感じる。それに彼女の声も、ちゃんと聞こえる。
――良かった。ここが夢や天国じゃないと確認できた。
安堵が広がると同時に、身体から力が抜けていく。
崩れかけた俺を、彼女は剣を手放し、抱きとめた。
……俺って、こんな華奢な少女に抱えられるほど身軽だったっけ?
手のひらを見ると、指の長さが少し短くなった気がする。太さもだいぶ細い。タイピングがしやすそうだ。
そういえばブースにいた時には気づかなかったが、彼女と俺、そこまで身長差がない。
ここ最近、低級魔物と戦っていたせいで、分析能力が鈍ったか。
彼女の顔も、自分の手も、すべてが濁ってぼやけていく。
何か話しているんだろうが、全然耳に入ってこない。
死ぬには、早すぎるだろ。
まだこの世界を満喫できていないというのに――。
どれくらいの時間が経ったのか、まったく見当もつかない。
こんなことなら苦手なスピランを真面目にやって、体内時計を鍛えておくんだった。
死後の世界というのは、生温かいらしい。
それに、ずっと横たわっているスタイルなのか。
霊体であの融合異世界を駆け巡るのも悪くない。
まさに“ヘヴンズゲート”と呼ぶに相応しい最後だったな。
……死ぬなら、もっと自分と向き合えばよかった。
逃げてばかりじゃなく、素直になればよかった。
そうすれば、もっと楽だっただろうに。後悔もしなかっただろうに。
アイツは、俺のために命を投げ打った。
それなのに俺は……本当の大クソ野郎だ。
せっかく、こんな凄い世界に来れたってのに。
アイツにも見せたかったな――
融合異世界……。
融合異世界、か。
融合異世界!?
そうだ! 俺はまだこの世界に未練タラタラだぞ!
ノクターン・ザ・ライトニングは、まだやり残したことがある!
もっとこの世界を冒険して、天国にいるアイツに聞かせてやるんだ! 英雄の物語を!
だから、こんな所で――
死んでたまるかぁぁああああああッ!!!
金縛りのような感覚を無理やり振りほどき、勢いよく上体を起こす。
しかし、やわらかな何かに顔を押しつぶされて、身体を起こせなかった。
むぐぐぐ……。
息が出来ない、今度はなんだ。
一度頭を下げると後頭部にもまた、柔らかな何かが下敷きになっている。こっちのは上のに比べてやや硬めだな。
「良かった。目を覚ましたのね」
その声は目の前の柔らかい物体のさらに上から聞こえてくる。
顔を横にずらすと彼女が俺を見下ろしていた。
っえ? この体制って。
汎用縦型体制じゅにゅーポジじゃん!!
しかも女剣士のたわわと太ももに挟まれていたなんて、なんたる贅沢。
もう一度死の淵からやり直そうかな。
ニヤニヤが止まらない。
そんなふしだらな事を考えていると彼女の手が薄い緑色のオーラに包まれていることに気がつく。
それは優しく、とても温かかった。
なんだこのエフェクトみたいなのは?
「何よ。私の回復魔法がそんなに変だった?」
回復魔法?
この薄緑色のオーラが、回復魔法だってのか?
手のひらを見つめると、先ほどの血も傷跡すらも綺麗さっぱり消えていた。
おお……これが回復魔法か。なんて便利なんだ。
いっそのこと俺の喉も治してもらいたいものだ。
いや、そんな魔法は聞いたことないな。
彼女が、ずっと看病してくれていたのか。
そういや、お礼をしなければな。
正座をし、コクリと頭を下げる。
「別に謝らなくてもいいわよ。そりゃ、いきなり突拍子もないことしたと思ったら急に倒れるんだもん。ビックリしてないと言ったら嘘になるけど」
違う違う。これは陳謝じゃなくて感謝だ。
必死に首を横に振るが、誤解は簡単には解けない。
「もういいって。そんなに申し訳ないと思うなら、今度何かで返してくれれば」
だから伝達ミスだって――!
とはいえ、内心では申し訳ないとも思っている。
バカな行動をした、と。
擬似的な死の淵で、俺は自分の行いを反省した。
あんなに死にたくないと願ったのは、初めてだ。
だから――
言葉なんか必要ないくらい、ありったけの笑顔で。
ありがとう。そして、ごめん。
夕陽が差し込む中、優しく微笑み返してきた彼女の表情は、天空の女神ヌートリアのように美しかった。
――その時だった。
そんな淡い青春の1ページを切り取ったような空気の中で、俺はようやく異変に気づく。
頭を下げた拍子に視界に入り込んできたのは、地面に置かれた彼女のホーンスピアだった。
鏡のように磨き上げられた刃に映る、自分の顔。
それを見た瞬間、俺は息を呑んだ。
誰だよこれ……。




