第四十話「ポイズンスパイダー」
口を縦に大きく開き唇を尖らせる。
ユートフィアは俺の顔を覗き込みながらキョトンとしていた。
必死に名前を伝えようと試みているのだが、彼女には一ミリも伝わっていないと思う……。
「オウス?」
ノックスだ!
「ソックス屋?」
彼女が口を開くたびに俺は顔を大きく横に振った。
「しかしアンタ、本当に口が利けないんだね」
人に何かを伝えるのがこんなにも難しいとは。
今になって喋れていた頃のありがたみを感じる。
「まっ名前なんてどうだっていい。それよりもだ、どうしてこんな所にいる?」
だーかーらー、喋れないんだっての!
「話せないんだったな。すまんすまん」
悪気はないといった感じに薄っぺらな謝罪をしてくるユートフィア。
おちょくられているのか、本当に間が抜けているのか、掴みどころのない女だ。
そんなことより早くアイズを見つけ出さないと。
ガサ……ガサガサ……ドドドドッ
なんの音だ? 何かが近づいてくる気配。
同時にユートフィアの表情が引き締まり、辺りを警戒する。
「来る」
洞窟の奥からぞろぞろと現れたのは紫色の巨大な蜘蛛の群れ――その数、数百匹。
「ポイズンスパイダーか。アンタ、戦闘経験は?」
俺は頷く。
ユートフィアは全てを察したように豪快な笑みを浮かべ拳を握り締めた。
「では話が早い。名前を探すのはあとの楽しみに取っておこう。今は"害蟲駆除"と行こうか」
ポイズンスパイダーが一斉に迫り来る中、ユートフィアは拳に巻きつけられた包帯を解き、拳を振り下ろす。その拳は黒く染まっており、今までの歴戦の傷跡が伺える。
放たれた衝撃で地盤は崩れ、次々に魔物が押し潰されていく。
その度にグチャッ、やらネチャッとした音が聞こえてくる。
魔術を使っている感じはしない。
強化バフでも強化薬でもない。純粋な暴力だけで魔物を薙ぎ払い続けている。
彼女の猛攻の勢いは増していき、包帯を縦横無尽に操り、魔物を拘束し、引き寄せ、殴り潰していく。
その表情はまるで捕食者のよう。
どっちが魔物だかわからねぇぞ、、
間違いなく手練れだ。
こんな危険な場所に一人でいるんだ。戦えない方がおかしいか。
俺だって負けていられない。
烈風!!
ズバンッ!
風の刃でポイズンスパイダーを両断していく。
「やるね、アンタ。こっちも負けてられないよ」
数こそ多いものの、一匹一匹は強くない。
これならあっという間に……。
危ない!
背後から伸びる蜘蛛の糸がユートフィアを襲う。
ポイズンスパイダーの糸は伸縮性や耐久性に優れており、仕掛け網や衣服、魔導具の素材として重宝されている。
しかし放たれた直後の糸は強力な粘性があり、自力で解くことは難しい。
ユートフィアはものの数秒で蜘蛛の糸に覆われた。
あぁなっては自力で脱出するのは不可能だ。
魔力を凝縮させ指先に集め、蚕の繭のようになった糸を切り裂く。
風の鉤爪!
シュバババババッッ!!
繭の中からユートフィアが倒れ込む。
そんな中でもポイズンスパイダーの猛攻が緩むことはない。
キ、キリがない……!
今はこいつらの相手をしている場合じゃない。
旋風!
風が渦を巻き、周囲へ猛烈な突風が吹き荒れる。
ポイズンスパイダーたちは堪らず後退した。
――今だ!
俺はすぐさまユートフィアのもとへ駆け寄ると、肺へ風を送り込み、強引に酸素を流し込む。
すると、彼女の胸が小さく上下した。
……よかった。
幸い致命傷には至っていなかったらしい。
ユートフィアは苦しげに咳き込みながらも、ゆっくりと瞼を開いた。
「ありがとう、少年。危うく奴らの餌になるところだった」
ったく心配させやがって。
「しかし、随分と古典的な蘇生方法を試みたものだな。低級回復魔術でも良かったはずだが……まさかコレが狙いかい?」
そう言って唇を押さえ、ニヤけ顔で俺を見つめてくる。
ちゃうわアホ!
回復魔術なんか使えねぇんだよ!
ユートフィアの安易な挑発に乗っていると、ポイズンスパイダーの群れが一斉に洞窟の奥へ戻っていく。
「なんだ、もう終いかい?」
いや、おかしい。
ポイズンスパイダーは通称"兵隊蜘蛛"。
獲物を見つけると集団で襲いかかる。奴らに知能はなく、最後の一匹になるまで攻撃を続けてくるはずだ。
ズシッ
ズシシッッーー
轟音を上げ洞窟の奥から現れたのは、ポイズンスパイダーの上位種であるクイーンスパイダー。
狡猾に冒険者を追い詰め、生け捕りにする危険な魔物。
ゆっくりと体を麻痺させながら内臓だけを喰らい、体内へ自らの子を産みつける。
クイーンスパイダーに捕まった冒険者は、生きることも死ぬこともできず、無限の苦痛を味わうという。
ギィィィイイイイ!!
まるで我が子を殺された恨みを孕んでいるかのような奇声を上げこちらに向かってくる。
「おやおや、こんな上物に出くわすとは。久々に楽しめそうだ」
クイーンスパイダーを目の前にしても、ユートフィアは明らかな笑みを浮かべていた。
すかさず手を伸ばし魔力を込めると、彼女は片手を伸ばし俺を制止する。
「手を出すんじゃない。コイツは私の獲物だ」
そういうと、彼女は口元を緩めたまま走り出し、クイーンスパイダーの前脚へ拳を叩き込んだ。
魔力を伴わない攻撃ではクイーンスパイダーに致命傷は与えられない。
現に相手はビクともしていない。
だが彼女はそんなことなどお構いなしに前脚を殴り続けた。
拳から血が流れ落ちる。
それでもユートフィアは殴ることをやめない。
彼女の狙いは何だ。
ユートフィアはただ一点、前脚の関節部分だけを狙って打撃を与え続ける。
何度も。
何度も。
「流石に硬いね。だけど、ただ硬いだけ」
彼女は延々とクイーンスパイダーの硬い前脚を殴り続けた。
すると、
バギッッ!!
ボギッッ!!
ボトッ……。
幾度となく打撃を叩き込み続けた結果、クイーンスパイダーの前脚の一本がもげ落ちた。
ギュイイイイーーーッ!!
悲鳴にも似た奇声を上げるクイーンスパイダー。
「おや? まだ終いじゃないだろ? 楽しみはこれからじゃないか」
ユートフィアは拳から流れる血を舐め取り、禍々しいほどの笑みを浮かべていた。
そんな彼女の狂気に屈したのか、クイーンスパイダーは後ずさりし、この場から去っていった。
なんて無茶苦茶な戦いなんだ。
まるで魔物同士の殺し合いを見ているようだ。
魔力すら使わず、拳一つで上位種を退けるなんて。
「何だ? まるで悍ましい魔物を見るような目だな。炎神流の戦いがそんなに珍しいか?」
炎神流?
初めて聞く言葉だ。
ヘヴゲでも聞いたことがない。
ユートフィアは拳に包帯を巻き直しながら語り始める。




