第二十二話「獣王グレガリオン・ウルファング」
半獣半人の大男がオークへ静かに語りかける。
「少し遊びが過ぎるぞ、オークス」
――オークス。
どうやら、あのオークの名らしい。名前を知っているということは、コイツらの仲間か。あるいは、さらに上の存在。
クソ……こんな劣勢の中でさらに敵が増えるのか。
明らかに異彩を放つ強者の登場に、周囲の連中が怯む。そんな中、オークだけは不敵な笑みを崩さなかった。
「これはこれは。アンタみたいな奴がどうしてこんな所にいるんだ?」
そして、オークは男の名を口にする。
「半獣の君臨者グレガリオン・ウルファング」
!?!?
背筋から脳裏にかけて衝撃が走る。
半獣の君臨者グレガリオン・ウルファングだと!?
ゲームでは獣人族の頂点に君臨する、“獣王”と呼ばれる最強格のボスキャラだ。
奴は闇の神ヌルエルの加護を受けた信奉者でもあり、その名を聞いただけでも大抵の冒険者は震え上がる。
グレガリオンにはこんな逸話が残されている。
――とある満月の夜。
彼は何の前触れもなく剣皇国シンソルヴァへ現れた。
突如として現れた獣王を目の当たりにした門兵は慌てて警笛を鳴らす。
城門へ集結した剣兵団は、実に十万を超えていた。
だが、グレガリオンはその全ての兵を単独で壊滅させたという。
当時の国王アレクシスは、剣聖オルフェウス・アレリオンと大賢者アルファス・ペンドラゴンを招集した。
二人の力によって、辛うじて国は守られたらしい。
――それでも、多くの犠牲が出た。
歴史に刻まれるほど凄惨な大災厄だったという。
神出鬼没。
理不尽。
そして、圧倒的。
それが獣王グレガリオン・ウルファングだ。
◇
当時、アイツも相当苦しめられていたのを覚えている。
「ずるいよ。バフも無しに魔術を無効化するとか。近接戦闘もあの火力だし、誰が耐えられるっていうんだよ」
珍しく頭を悩ませるアイツに、俺は適当にアドバイスしたのを覚えている。
「強者には強者をぶつけりゃいいんだよ。お前の選んだ君臨者をな」
するとアイツは、ふんぞり返りながらこう言った。
「僕にとっての君臨者は、ノクターンただ一人だよ」
◇
そう。力には力をぶつける。
それが俺の中でのセオリーだった。
だが、目の前のオークは確かにこう言った。
半獣の“君臨者”と。
どういうことだ。
グレガリオン・ウルファングは敵キャラのはずだ。
君臨者とは、本来世界を救う側の存在。
何故、こんな化け物が君臨者として扱われている?
隣で、アイズの剣が小さく震える。
「あの人……かなり強いと思う」
彼女は剣の扱いに長けている。
真剣を握った経験が少なくとも、圧倒的強者を前にすれば、本能で理解できるのだろう。
しばしの沈黙の後、グレガリオンが口を開いた。
「コロシアムへ向かう途中、騒ぎを聞きつけてな。それより――先ほどの閃光は、お前の魔術か?」
奴は俺を見て尋ねた。
「あ、あぁ……」
流石にこの状況だ。平然としていられる方がおかしい。自分でも分かるくらい、俺の声は震えていた。
「そうか。お前も良き師に巡り会えたようだな」
そう呟くと、奴は俺たちへ背を向けた。
――その瞬間。
オークはニヤリと笑い雄叫びを上げ、背後からグレガリオンへ襲いかかる。
「獣人族の王は俺が貰ってやるよォォォ!! グレガリオン・ウル――」
「堕ちたなオークス」
視界の中から一瞬でグレガリオンの姿が消える。
次の瞬間には、オークの頭部がもぎ取られていた。
アイズが口を抑えて絶句する。
周囲の連中も息を呑んでいた。
大量の血飛沫を撒き散らしながら、オークの巨体が地面へ崩れ落ちる。
一瞬たりとも目で追えなかった。
しかもオークには、魔術耐性のある防具と強化バフが付与されていたはず。
それをまるで虫でも潰すように……。
――これが、君臨者なの……か。
グレガリオンはいつの間にか野盗たちの背後へ立っていた。
その手には、まだ微かに痙攣するオークの頭部が握られている。
「ふぁ……ファ……ング……」
オークは最後の言葉を漏らすと、目から霞んでゆき力尽きた。
無造作に地面へ放り捨てられた頭部。
「貴様らもこうなりたくなければ――獣人たるものの誇りを持って生きろ」
と言うと、グレガリオンは赤黒い瞳を見開いた。
「この眼が赤く染まっている内は誰であろうと容赦はしない」
獣人族たちは完全に戦意を喪失したようで、武器を捨てその場に平伏していた。
そして、奴は静かに森の中に消えて行った。
◇
その日俺たちは適当な宿を取り、早めに体を休めることにした。
一部屋一泊銅貨四枚。簡素で古い宿だったが、最低限の清潔さが保たれてる。
俺たちは話し合いの末、二人で一室を借りることにした。
もちろん節約の為でもあったが、あんなことがあった後だから、用心の意味でもそうした方が良いという考えからである。
窓の近くで腰を掛け、夜空を見上げる。
星たちよりも美しい輝きを放つ宝石のような球体は、渓谷で見た時とは違い、茶色の落ち着いた光を放っていた。
半獣の君臨者グレガリオン・ウルファング……。
一体、何者なんだ。敵なのか味方側なのか。
この世界はどうなっている。
本来、奴の見た目は全身が灰色の毛で覆われた狼型の獣人のはずだ。
だが今日見た奴は、人と獣が混ざり合ったような異形だった。俺の知っているグレガリオンと決めつけるのには尚早かもしれない。
“君臨者”というだけあって俺たちに敵意を見せなかったのだし。
もし本気で敵だったなら、オークを殺す必要などない。
考えたくはないが、もしグレガリオンの殺意が俺たちに向けられていたのなら……。
恐らく俺たちはあの場で死んでいた。
最悪の想像をした瞬間、強烈な吐き気が込み上げる。
「っ……!」
俺は慌てて窓を開け、そのまま吐瀉物をぶちまけた。
風呂から上がったアイズは俺の異変に気がついたのか、慌ててタオルを脱ぎ捨てて駆け寄ってくる。
彼女は濡れた髪も拭かぬまま、俺の背へ回復魔術をかけてくれた。
「ノックス……もしかして、さっきのことで抱え込んでる?」
俺はその問いに、答えられなかった。
彼女の問いから、目を背けたのだ。
しばらくすると治癒の手は止まった。
そして、そっと後ろから細い腕が伸びてきて、俺を優しく包み込んだ。
同時に柔らかな感触が背中へ押し付けられる。
『不安』『恐怖』『高揚』
様々な感情が頭と心を掻き乱してゆく。
俺たちは死にかけた。
それだけじゃない。
浅はかな判断で彼女まで巻き込んでしまった。
「私は大丈夫だから。そんなに心配しないで?」
彼女は優しい。
俺はその優しさに甘えている。
その結果がこの有様だ。
焦燥感からか死の淵に触れた直後だからか、窓に映る俺の顔はぐちゃぐちゃになっていた。
俺の様子を見た彼女は、小さく息を漏らすと、そのまま俺をベッドへ押し倒した。
「ノックス……」
衣を脱いだ天使のような彼女はとても美しかった。
心臓が静かに高鳴る。
その時が来たら不思議と人は欲が無くなるもの。
「私の全部……貰っていいよ」
そして俺の本能は静かに燃え続けた。
その夜ーー
俺たちは身体を癒すどころか、さらに疲労を重ねながら朝を迎えた。
入口の扉が開いたことにも気付かないまま。




