3.まるで女神のような
ある日、ティアグールの騎士だった私は騎士団長に命じられ仲間と共にテウルギアとの国境にある雪山に向かっていた。
長時間の移動、それも慣れない山岳で。さらに追い討ちをかけるように雪が降り始めた。
毎日の鍛錬で体力に自信はあったが、それでも厳しい。何度も休憩を挟むも身を切るような寒さでなかなか進めなかった。
雪を纏った風は段々と強くなり猛吹雪になって、しまいには何も見えなくなってしまった。
そんな中必死に歩いていたのだが、疲れからかうっかり足を踏み外してしまった。雪で木が埋まってしまい掴まれる物も無く、下に吸い込まれるように勢いよく滑り落ちていった。
どんどん下へ下へと落ちていき、最後に凍った堅い地面に受け身も取れないまま突っ込んで止まった。
血が雪に滲み、周りがピンク色に染まる。衝突の痛みに思わずうめき声をあげたが、寒さで体がしびれてきてすぐに声すら出なくなった。
雪の上で倒れたまま、動けずただひたすら助けを待つしかなかった。
次第に吹雪は収まり、このあたりの住民らしき人が何人か通りかかったが、決まって私の鎧の紋章を見るなりまず罵声を浴びせられた。足の裏で踏まれたり、爪先でつつかれたりもした。
おそらく気付かぬうちに国境を越えてテウルギアの土地に落ちてしまったのだろう。
ティアグールとテウルギアは長年争ってきた。今は一時的に休戦中とはなっているが、彼らにはとっては変わらず憎き隣国の騎士だ。助ける気など微塵もないのだろう。
誰の助けも来ない。私は絶望の中、意識を失った。
目が覚めると、暖かいベッドにいた。
澄んだ瞳の女性が心配そうに顔をのぞき込んでいたが、視線が合うと彼女はばっと飛び退き慌ててどこかへ行ってしまった。
お礼を言いたかったのだが、極度の疲労からすぐにまた眠りに落ちてしまった。
その後、また目覚めたのはその翌日。眩しい朝日が私を起こしてくれた。今度は意識がはっきりしていた。
崖から落ちたことを思い出し、自分の体を見ると運よく骨折はしていないようだった。打撲と擦り傷で済んだ。
傷口から流れていた血ももう止まっていた。包帯がぐるぐると分厚く巻き付けてあった。
ちょっと巻き過ぎな気もするが、きっと不器用な人なんだろう。少し不恰好だが、ありがたいことには変わらない。
鎧は床にまとめて置いてあり、腰に付けていた剣はベッドに立てかけてあった。
どこかからいい匂いがしてきて辺りを見回すと、ベッドの向かいにキッチンがありあの女性が鍋をかき回していた。
なんだか懐かしい感じがしてぼーっと眺めていると、視線に気づいて彼女が振り向いた。
改めてはっきりと見た彼女の姿。
その容貌は正直美人という感じではなかったが、何だか側にいてあげたくなるような不思議な雰囲気があった。
全くの無意識だったが、しばらく見惚れてしまっていたらしい。何も言わないままの私に彼女は不機嫌そうな顔してまた鍋の方に向き直した。
慌てて機嫌を悪くさせてしまった事を謝ると、彼女はべつに。と短く答えた。
特に怒っているわけではなさそうで安心すると、私はそれ以上機嫌を損ねないよう言葉を選びつつ話しかけた。
彼女の名はエミィというらしい。
あまり口数は多くなく、物静かな女性だ。
自分の姉や今まで見てきた周りの女性達がおしゃべりな人ばかりだったので、少し新鮮な感じだった。
いつもなら聞き役に回ってほとんど自分から話す事は無いのだが、彼女を前にした私はなぜだかとても饒舌になってしまった。まるで母親にあれこれ話しかける幼い子供のようだった。
彼女の顔は始終不機嫌そうなままだったが、最後まで聞いてくれた。
そこでの最初の食事はこんがり焼けたいい香りのパンと野菜がゴロゴロとたっぷり入ったスープ。
とても美味しく、さらに久しぶりの食事だったのもあり思わず無心でなりふり構わずがっついてしまった。マナーや騎士道以前の問題だ。今思い出すと、少し恥ずかしい。
食べ終わり、なぜ私を助けてくれたのか彼女に尋ねるとなんとなく。と一言だけ返ってきた。
常に素っ気なくぶっきらぼうな態度だが、その目はとても優しい。
きっと本心は違うのだろう。倒れていた敵国の人間を助け、ここまで渾身的に尽くしてくれるくらいなのだから。
慈悲深い、まるで女神のような……
食べ終わると彼女の家事の手伝いをした。
洗濯し、部屋中ハタキではたいて回り、床を雑巾で拭き、洗面所や風呂の掃除……
私は今まで屋敷にすんでおり侍女が全てやっていたから、こうして手伝うのは初めてだった。
しかし自分でいうのもなんだが、結構こういう作業は得意だ。不器用な彼女の拭き残しや身長が低く見えてないところなどを拭いて回った。
そうこうしているうちに日が暮れてきて帰り支度をしていたら、不意に呼び止められた。
「待って。まだそんなんじゃ、まともに動けないでしょ?」
「しかし、もうこれ以上泊めていただくのは……」
「私、二回目は助けになんて行かないからね」
彼女なりの気遣いだろう。
確かにまだ体中痛んで歩くのもどこか掴まりながらがやっと。こんな状態で隣の国まで戻ろうなんて無謀に近かった。
私はその言葉に甘えて、怪我や疲労が落ち着くまでいさせてもらうことにした。
「では、私は今日からこちらで寝ますね」
「は?床の上?」
「お気になさらず。貴女はベッドでお休みください」
「でも、アンタ怪我人でしょうが」
確かに怪我はしているが、すでに昨晩自分が寝込んでしまったせいで彼女を硬い床で寝かせてしまったのだ。今日もという訳にはいかない。
「いえ実はですね、私……床で寝るのが好きでして」
見え透いた嘘だ。こうでも言わないと彼女はベッドで寝てくれないだろうから。
「あっそう、勝手にすれば」
そう言いながらも彼女は心配そうな目をしていた。
それでも床の上に寝そべりそこを離れない私に根負けしたのか、しぶしぶベッドに入ってくれた。
翌日、リハビリも兼ねて家の周りを散歩した。
なかなかいい地域だ。戦ばかりで荒れ果てたティアグールの町と違い、のどかで空気が美味しい。内紛もほとんどなく治安も良さそうだ。
帰ると、ふと窓の端に真っ赤なペンキで落書きがされているのに気づいた。
『人殺しのエミィ!』とはっきり書かれていた。
誰がこんなひどい事をと憤っていると、私は嫌われ者だからいいの……とどこか遠くを見つめながら彼女は言った。
私にはなんだか無理して強がっているように思え、心が苦しくなった。
結局三日ほどそこにいさせてもらった。おかげで体調もほぼ回復した。
騎士団の仲間達も私を探しにすぐ側まで来ていたようで、その後無事国に帰る事ができた。
帰った後しばらく職務を全うしていたが、何かと彼女の姿を思い出すようになった。
彼女、エミィはその不器用な性格ゆえに人の反感を買いやすく、傷ついた心を守るため無理やり強がりを演じている。
口から出る刺々しい言葉はその身を守る強固な鎧だ。精一杯の防御。
しかしそんなに守りを固めつつも嘘や愛想で自分を飾ろうとはしない、まっすぐな人。
彼女を守りたい。
強い衝動が私を突き動かしていた。気づいた時には騎士を辞め、国を出ていた。
彼女の元に行くために……




