26.新しい世界へ
エレベーターはラボの階に止まった。
扉が開くと、目の前に見慣れた景色が広がる。
いつもなら仕事が終わるとここで休息を取っているのだが、今日は違う。
「私を必要としてくれる人なんて、いる訳が無かった……どこにいてもどんな状況でも」
「それは違うよ」
突然の声に驚き振り向くと幼い少女が立っていた。
その顔は少しやつれていて、かなり疲れているようだ。
アテナが管理区を出てから、ずっと密かに後をつけてきたらしい。頭の中に気を取られて気づかなかった。
「聞こえていたのか……」
アテナの思考は口から漏れ出し、独り言となって外に溢れていた。
「君は……確か、シノと言ったか?」
こくりと頷くと、一呼吸置いてシノは口を開く。
「あのね。自分を必要としてくれる人って……絶対いるんだって、どこかに。色々な世界、色々な場所……どこかでいつか必ず会えるものなんだって」
「信じがたい話だな」
「嘘じゃないよ。だってわたし、ここでおじさんに会えたもん」
おじさん。おそらく管理区で最初に戦ったあの男の事だろう。
ソシキ達とよくモニターごしに見ていた。
小さな女の子と無骨な男の不思議な組み合わせ。共通点もなければ親子以上に歳が離れている……なんだかとても難しい組み合わせのように見えた。
しかし意外にも波長が合い、うまくやっているのを見て驚いたのを憶えている。
血は繋がっていないはずなのに、まるで本物の親子のようで。
気の向くままに動き回る娘とそれに振り回される父親。
彼女はもちろん、男の方も毎日のように翻弄され疲弊しながらもどこか幸せそうだった。
お互い出会うべくして出会った。
シノの生前の話は大まかにソシキから聞いていた。その詳細までは分からないが何か極度に抑圧された世界で生きていた、と。
そんな彼女は、世界を移動しここに来た事で自由を手に入れる事ができたのだ。
何もしても不必要に責められないこの世界で、羽を伸ばしのびのびと過ごせるようになった。
幸せを手に入れる事ができた。
だから、彼女の話は本当の事なのだろう。
ならば。
どこかに私を……アテナではなくてこの私を、必要としてくれる人がいるのだろうか。
どこかに自分のままでいられる場所が、世界が、あるのだろうか。
「頑張って頑張って、やり尽くして……それでもどうしてもつらいなら、今いるところが間違ってるんだって」
「場所が、違う……?」
「うん。だから移動していいんだよ。もっと、毎日楽しく生きていいんだよ」
『移動』していい。
その言葉は拙くどこか説明不足だが、なんとなく意味は分かる。
場所を移動する。おそらくその意味は二つ。
まず一つ目の意味。
身の回りの環境を変えたり、活動する地域を移動したり……今とは違う状態にするという事。
それに伴って人間関係もまた変わる。
ある意味博打だが、そこから好転していく可能性はそこまで低くないはずだ。
しかし……現実、それが必ずできるとは限らない。
周りの環境、その時の状況、タイミング……様々な要素が重なってどうしようもない状況に陥る事もある。
色んな事象が複雑に絡まり合い、がんじがらめで身動きが取れなくなった時。
そんな時は、世界を『移動する』のだ。
これが二つ目の意味であり、その世界での最終手段だ。
世界そのものを変える。
この世に別れを告げ、別の世界へ行く。
極端すぎる言い方かもしれないが、四方八方塞がって手詰まりに陥った時……それは最後の救いとなる。
勝手にその命を手放してはいけない……世間の一般的な考えはそうだろう。
でも、そんな凝り固まった考えでは息が詰まってしまう。
自分は苦しくて、必死にもがいてもがいて、それでいてどうしようもないのに……と。
だから、そう言う時はその命を終わらせてもいい。
今とは違うどこかの世界へ『移動』してもいいのだ。
行動に移さなくとも、こういう考えをなんとなく頭の片隅に置いておけば……もっと毎日を気楽に、前向きに、自分らしく、生きられるはず。
シノの言わんとしている事は概ねこんな感じだろう。
しばらく無言で考え込んでいたせいか、気づくとシノは不安そうに私の顔を覗き込んでいた。
アテナはわざと少し明るいトーンで話を続ける。
「なら、今回はどうだった?『幸せ』?」
「うん!すっごく楽しかった!幸せだよ!」
シノは満面の笑みで答えた。今にも飛び跳ねそうなくらいの勢いで嬉しそうに。
まるで遠足の後の子供のような……
(そうだった、忘れていた。彼女のおとなしさや話の内容につられて同い年くらいに見えてしまっていたが、そうだ……彼女はまだ小学生なんだった)
笑う彼女のピンク色の唇の間からチラチラと、可愛らしいすきっ歯が覗いている。
「そう。ならよかった」
「けど、もう終わっちゃった。終わりになっちゃった」
「終わり、か……」
こんな世界、いっそもう終わりにしてしまおうか。
マスター達が……いや、今はもうその名は呼びたくない。
ソシキなどと自称して勝手に優越に浸るあの臆病で狡猾な人間達、彼らが作り上げた……狭い箱庭。
自分達が生き延びるため、利用するため、それだけに作った不自然で歪な場所。
こんな無意味な世界なんて。
「……行きましょう。行って終わらせましょう、この世界を」
シノは何も言わず頷く。
静かに二人一緒にラボの広い部屋の中をゆっくりと歩き出した。
インカムの向こうはさっきから静かになったり騒々しくなったりを繰り返している。
歩きながら、またアテナの思考は進む。
最強の存在として造られた私。でもまだ何か欠けている。
明らかに何かが不足している……そんな自分に悩み苦しんできたが、ようやく分かった。
やっぱり、それは自分を大事にしてくれている人だ。
自分を認めてくれ大切に思ってくれる人。
それが、その要素が……不足していたのだ。
そういう人のために生きたい。そういう世界で生きたい。
そしてそれは……きっとここではない。
ああよかった。やっと分かった。
またなにやらインカムが騒がしい。
『おい!さっきから何を企んでいる!ラボで何をする気だ!』
『止まれ!いいから止まるんだアテナ!』
「……命令には従えない。私は気づいたのだ。『やるべき事』がある、と」
『従えないだと?!あまり勝手なことをされては困るんだこっちは!』
『お前達も大事な我々の資源、その体のパーツ一つ一つが貴重で高価なもの……もったいないが、こうなったら仕方ない!自爆してもらおう!』
「なっ?!」
『造竜全員に緊急時用の自爆機能がついているのだ!今みたいに操作不能になった時のな!お前もその横のちびっ子も、じきに木っ端微塵に爆発するぞ!』
「「……!」」
二人は顔を見合わせるとラボの奥に向かって走り出した。
『やるべき事』を間に合わせるために。
『アテナ、お前は優秀な型だった……だが、データは収集済み!コピーならいくらでも作れるのだ!』
『オリジナルだからと念のため取っておいたが、この際もういい!せいぜい醜く爆ぜるといい!』
走りながら後ろのシノを見る。息が上がり、体がふらつき苦しそうだ。
もともと、ここに来るまでの通路の移動で疲れ切っていた彼女。それでも無理矢理その足を必死に動かして着いてきてくれている。
「シノ、まだ走れる?」
「う、うん……」
「頑張って!もうすぐ、『機械管理室』はもうすぐそこだから……!」
「はぁ、はぁ……がん、ばる!」
頑張るとは言ったものの、シノの足はそろそろ限界だった。
「……わぁっ?!」
ふらついたつま先が小石にぶつかり、転んでしまった。
とっさに前に手をつき大ごとには至らなかったが、手のひらや膝にできた擦り傷が痛々しい。
『そろそろ子供は体力の限界だろう!そこで大人しく死を待つ、それが賢い考えと言うものだ!』
「くっ……仕方ない、乗って!」
シノの前にしゃがみ背を向けた。
彼女は慣れた動きでひょいと足をかけ登る。あの男にもこうしておぶってもらっていたのだろう。
シノをおぶったまま走る。彼女がいる分少しスピードは落ちるが、自爆までギリギリ間に合うはず……いや、間に合わせる。
ふいに背中から声がした。
「ありがとう……」
「えっ?」
「優しいね、おねえさん」
「……それは、なぜ?」
「だってわたしをこうやって助けてくれるもん。優しいんだね」
(私が……優しい?)
そんな事、言われたことがなかった。
ありがとうなんて初めて聞いた。
ああしろ、こうしろ、という指示の言葉か、よくやったと高圧的に褒められる言葉くらいしか耳にした事がなかった。
(なるほど。そうか、そうなのか……こうして環境が少し普段と違っただけでも、わずかに変化した。だとしたらやはり……)
ふんわりと胸の辺りが温かくなった。
顔が背中に向き、視界がシノを捉える。
脳からの指令ではなく無意識に動いていた。
戸惑うアテナ本人の意思を置きざりにして、口から勝手に言葉がこぼれる。
「こちらこそ、ありがとう」
言葉と共に口角が上がり、顔の筋肉が緩むのを感じた。初めての動きに筋が突っ張り、少し痛む。
今まで無表情だったアテナの突然の笑顔にシノは一瞬不思議そうな顔をしたが、つられるように一緒に微笑んだ。
機械管理室。
ラボ内の機器全てを一括で管理するところ。
モニターと手元に無数のボタンがついたパネルがある。ボタンは不規則にチカチカと光っている。
「耳を貸して。最期にやりたい事がある」
部屋に入るなり手早く耳打ちをするアテナ。
一方的に言い終えると、シノの返事も待たずに今度は部屋で何かを探し始める。
シノは彼女の言う『やりたい事』に驚いた顔をしてしばらく戸惑っていたが、一足遅れてアテナに着いていった。
『さぁ!爆発まであと一分も無いぞ……!最後に言い残す事はあるか?』
「もうじき、お互いいなくなる……何を言おうが無意味だ」
残り三十秒。
ようやく二人は部屋の奥に目的の物を見つけた。
大量に積み上げられた同じパッケージの一斗缶。
どれも未開封で、ラボの機械に使われているらしい油がたっぷり入っている。
シノが片っ端からナイフでこじ開け、アテナがそれを思い切り放り投げて中身を部屋中にぶちまける。
羽で弾いたついでに拾っておいた、あの時の果物ナイフがここで役に立った。
そして最後の二缶は……二人顔を見合わせ頷くと、それぞれ一気に頭から被った。
油はさらさらと体を流れ床に垂れていく。
『何だ、何をしているんだ?!油か?!まさか……!何してる?!おい、止めろ!止めるんだ!おい……!』
人生は楽しいことばかりではない。
なんでもかんでもすぐに逃げてはいけない……確かにそうだ。嫌な事にも立ち向かう事自体は大切な事であり、我慢強くなれる。
でもそれには限界がある。
外からは見えなくとも、確実にその心は疲弊しやがて壊れていく。
人は環境によって変わるのだ。好みや性格といった小さなことから、その人の生き方まで。
だったら、自分に合う環境や人間関係を探してもいいんじゃないか。
シノの言う通り、『移動』していいんじゃないか。
もちろん、100%合うなんて思ってはいない。
けれど……自分が自分でいられるようなそんな場所、そんな誰かの元にいたい。
逃げるのではなくて、探す。
回避し避けるのではなく自分から前へ向かっていくのだ。
私の人生、今回もつらいものだった。
誰にも分かってもらえず寂しさにひたすら耐え苦しいだけ。
しかし、どうにも駄目だった。誰も私を認識できないのだから、どうしようもない。
この世界ではもう打つ手はなかった。
だから、私は次の世界へ行くのだ。まだ見ぬ出会いを……まだ見ぬ世界を求めて。
これは逃げではない、出発だ。
新しい世界への。
二人の体は風船のように一瞬で破裂し、細かい破片となって部屋中に吹き飛んだ。
その爆発で辺りは次々と引火し、油で勢いを強めながら部屋から部屋へとどんどん広がっていった。
そしてその階全体に満遍なく炎が回ると、スイッチが入ったかのように突然耳をつんざくような爆発音と共に煙と炎が勢いよく吹き上がる。
建物そのものが崩壊を始めたのだ。
消火装置を起動しようにも操作パネルはすでに全て焼かれてしまった。
液晶は粉々、通信用のケーブルは焦げて千切れている。
『あ、ああ、あああ……!我々の代替ボディ達が……!完璧な器が……!』
ソシキ達は目の前のディスプレイに映る景色をただ呆然と見つめるしかなかった。
轟々と燃え盛り黒い煙で充満する室内。
そして別のカメラに切り替えると、空高く煙を上げて崩れていくラボの建物が映っている。
地下で繋がっている管理区や居住区が崩壊するのも、時間の問題だろう。
『ああ、あああ……!!』
やがて炎が治まる頃には全て瓦礫に埋まり、そこには乾いた大地だけが残っていた……




