10.白い翼
給湯室には誰か先客がいた。人影が扉の小窓から見える。恐る恐る扉を開くといたのはハルだった。
何か話しかけようと思ったが、また切り出し方が思い付かず結局無言になってしまった。
淡々とコップにお湯を注いでいると、横から視線を感じる。
(今だ、話しかけるチャンス……!)
振り向いて何か言おうと口を開くが、声が出るより彼の言葉の方が早かった。
「……それ、うまいの?」
彼は不思議そうにまじまじとミドリを見つめている。そこまでじっと見つめられると少し気恥ずかしい。
「えっ……そ、そうですね。私は好きな味だけど……」
「俺らってさ、食ったり飲んだりしなくてもいい訳じゃん?」
ずかずかと近づいてきて隣に並ぶ。
さっきよりだいぶ図々し……いや、フランクな感じだ。まだ出会って数回しか会っていないが、まるで友達のような雰囲気。
うまく打ち解けられたのか、それとも……
「う〜ん、まぁこの体は栄養補給必要ないから……」
「じゃあなんで給湯室なんてあんのかなって。お、高そうな紅茶見っけ」
彼は勝手にしゃべりながら片っ端から戸棚の扉を開けては、中に手を突っ込んで漁っている。
棚の中には色とりどりの瓶や缶が並んでいて、産地やブランド別に細かく分かれたインスタントコーヒー、スタンダードなダージリンやアールグレイからキャラメル風味やチョコレート風味まで揃っている紅茶のティーバッグ、粉末の緑茶のスティックもある。
どれもインスタントばかりで、瓶やペットボトルの類は一切無いが。
「ただの習慣よ、習慣。いつも飲んでたから」
「ふぅん」
ただ好き放題ひたすら漁るだけで、元に戻すという発想は全く無いらしい。扉全開のまま今度はカウンターの引き出しの中身を漁り始めた。
ミドリは荒らされた棚の中を元に戻し扉を閉めるとため息をついた。
(いきなりタメ口だし、やりたい放題……)
この感じ……う〜ん。正直、苦手なタイプだ。
他人との距離が近くグイグイくるタイプ。話しやすいし、悪気は無いんだろうけど……どうもなぁ。
でもよく喋る彼といれば人間関係の練習になるし、それに悪い人では無いんだし。そう思い直して彼の方を向き話しかける。
「ハル、せっかくここに来たんだし何か飲む?」
「オレンジジュース」
「ごめんなさい、ここには無くて……」
「え〜。じゃあコーラ」
「インスタントしかないの、ここ。コーヒーか紅茶なら……」
「なんもね〜じゃんここ。くっそつまんね」
口を尖らせ不貞腐れている。つまんないも何もここは給湯室だ。遊びの場では無い。
なんだか子供の相手をしているみたいだ。
やっぱり駄目だこの手のタイプは……どうも調子が狂う。早めに会話を切り上げた方が良さそうだ。
とは言え、切り上げるためのうまい言い方が思いつかない。自分の会話力の無さには本当にうんざりする。
結局何も思いつかずそそくさと無言で退室しようと扉をくぐったら、歩調を合わせて彼も付いてきた。さよならも何も言ってないし、そうなるのも当然だろう。
(う〜ん、何て言うべきか……)
歩きながら彼の方を見る。
機嫌は治ったようだ。さっきまでのむすっとした顔から一変、この後何をするのか興味津々といった感じでこちらを見ている。
(別に何もしないし、これから部屋に戻るだけなんだけど……)
何か変に期待されているようだ。
一応仕事のパートナーだし関係はそこそこを保っていたいから、あまり邪険には扱えない。
う〜ん、参ったな……どうするべきか。
「あっ!」
彼は急に何かを思い出したようで大声を上げると、こちらにくるっと背中を向け走り出した。
「忘れてた!俺、この後一階も見に行くんだった……じゃ!またな〜!」
ドタドタドタとやかましい足音を立てて声が遠ざかって行く。
またこの調子で今度は一階で出会った人に声かけるのだろうか。まるで辻斬りだ。ご愁傷様。
まぁそれにしても、よかった。勝手に向こうから去ってくれた。内心とてもホッとした。
しかし、またなとまた言われてしまった。
本来なら再会を願う嬉しい言葉のはずだし、本人に悪気は一ミリも無いのだが……
(『また』会うんだよね。というか会わなきゃいけない……参ったな)
あんなのと組んで落ち着いて仕事なんてできるのか。
好き勝手動かれてピンチになるとか、ひどいと向こうの人間に見つかって殺されるとか……最悪だ。
勝手に動かないよう制御する?いやいや、できるかあれ?
でも悪気は無いもんだからやりづらい……う〜ん。困った。
ミドリは今までとは真逆の悩みにまた頭を抱える事になった。
孤独や自分の事に散々悩まされ、やっと落ち着くと思ったらこんどはこれ……頭が痛い。
今日はもう寝よう。部屋に戻るなりすぐにベッドに入り、横になる。
ふと、白い鳥の映像が脳裏に浮かんだ。
(あの鳥、すごい綺麗だったな……)
仕事中じゃなければもっとじっくり見れたのに。
それに写真だって撮れ……ないか。
竜の指、というか爪じゃ携帯のカメラは押せなかった。残念。
気持ちよさそうに伸び伸びと飛んでいて……
その体も、羽も真っ白で大きくて……
長い尻尾がくねりながら風に靡いていて……
(尻尾……?)
鳥の、尻尾?あんなに長いっけ?
あれ?
よくよく考えたらあの場所にいたのも変だ。
飛んでいる高さが私と同じくらいって事は……つまり富士山やエベレストより遥かに上。
鷲とか渡り鳥とかならまだしも、あんな都会の鳥が山を越えられるなんて聞いた事がないし……
あれ、もしかして……鳥じゃない?
(う〜ん。飛行機とかの見間違いかな?なんか後ろに尻尾があったような気がしたけど……まぁいいや、もう寝よう)




